「山縣伯の歐洲行」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「山縣伯の歐洲行」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

山縣伯の歐洲行

山縣内務大臣は豫て噂の如く去る十四日を以て御用有之歐洲諸國巡回仰付られ古市内務二等技師、中山内務大臣祕書官、荒川内務省參事官、小阪陸軍歩兵少佐、中村陸軍砲兵少佐、賀古陸軍一等軍醫は其隨行を命ぜられたり聞く所に據れば巡回日數は凡そ八箇月の豫算にて出發は來月二日の便船に搭する都合なりと云ふ

山縣伯が今回の巡回は何等の御用筋か我輩の知らざる所なりと雖ども其現職は内務大臣兼陸軍中將監軍部監軍にして在職の儘巡回仰付られたるのみならず内務の吏員、陸軍の佐官屬官が隨行を命ぜられたるより推察を下せば何れにも内務陸軍兩省に關する事なる可しと思はるれども世間に傳ふる所にては伯が巡回の重なる目的は歐州諸國の國防を視察して我國國防の參考に供するに在りと云ふ者あり伯は臨時砲臺建築部長をも兼務することなれば此世説も自から一説なるが如し其は兎も角も伯は維新の際に當り銃丸鎗劔の間に奔走して其武功も著しるく自後間斷なく軍務を執りて所謂專門の武人なれば陸軍に關する視察に就ては或は此人にあらざれば不都合なる廉もあらんかなれども陸軍部内には專門の武人に乏しからざるのみか近年軍事視察の爲め歐州諸國を巡回したる其重なるものを擧れば大山陸軍大臣の一行、西郷海軍大臣の一行、黒田伯の一行、樺山海軍次官の一行、乃木川上兩少將の一行等實に其數も寡からざることなれば大概の事は既に已に視察し了りたることならんと推量せざるを得ず然かのみならず今や内治の政務は多端にして各府縣ともに市制町村制の施行準備に忙しく郡制府縣制も不日に發布す可しとの沙汰もある尚ほ其上に二十三年國會開設の期は最早一箇年の短日月となりて憲法の發布も亦近きにある可しと云ふ旁以て内治の方面はますます繁忙なる可き今の此時に當り其方面の總裁たる内務大臣が之を餘所にして外行とは世人をして大に驚かしむることなきを得ず是れには何か政府部内に深き趣意もあり又餘儀なき事情もあることならん唯これを知らざる者が漫に驚くのみ

百聞は一見に若かず大臣貴官の歐米諸國を巡回して親しく彼の文物を目撃するは啻に其人一身の爲めのみならず國を利することも亦大にして我輩の固より賛成する所なれども又一方より經濟の眼を以て商人風に錢の損益を勘定するときは官吏の外國行も日本と名くる一大家の營業に異ならず即ち其旅行の爲めに費す國庫の金は營業の元入金にして海外巡回の官吏が彼の地に於て大に智識見聞を増し其増したる知見を以て他年一日大に我日本の國益民利を致すことあれば前の元入金は之を償ふて餘りあるものと云ふ可し一國の大臣貴官にして頻頻外國に旅行するは日本を除くの外に餘り事例の多きを見ず恰も我國の特色にして年來これが爲めに費したる金は莫大なる可し前節に記したる大山陸軍大臣以下その一行毎に既に相應の國庫金を費して又今回内務大臣の一行が凡そ八箇月の間に費すものも亦一廉の金額なる可し我輩は政府の爲めに敢て守錢奴を學んで錢を愛しむ者にはあらざれども常に國庫金の大切なるを知り之を利用するに巧ならんことを祈る者なれば大臣の一行が何ほど金を費すも其多寡をば問はずして唯その歸來の後必ず其旅費に酬る丈けの國益民利を待つのみ即ち我輩は經濟の眼を以て商人風に財政を計算し一度び費したる金には間接にも直接にも必ず其償却を求るものなればなり