「我日本は海國なり」
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時事新報に掲載された「我日本は海國なり」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
在ボーストン某生
我日本國は四面海にして太平洋の一隅に孤立する海國なり世界に海國多しと雖も四方全く海にして然かも其文明の度半開以上に進み人口繁茂して社會の仕組稍整然たるものは西洋に在ては英國、東洋に在ては我日本國の兩個あるのみ固より日英の文明に幾段の前後ありと雖も其人情風俗に於て自から異なる所少なからずと雖も巳に其地理を齊ふして二つながら海國たる以上は有形の物理上その國の經濟と軍備との二箇條に於ても亦自から形迹を同ふせざるべからざるものあり固より同じ嶋國なればとて氣候の寒暖地味の肥痩等に依て産する所の物は必ずしも一樣なる可らずと雖も嶋國には自から其地面に際限あるが故に文明次第に進み人口歳歳増加する時は到底農産物に不足を生じ自國の食物を以て自國の人民を養ふに足らず必ず其供給を他の大陸國に需めざるべからざるの勢となるは嶋國に於て免かる可らざるの數なり今日の英國にても現に小麥の供給をば露西亞、亞米利加等の大陸國に仰ぐを視て之を知るべし左れば我日本國に於ても後來必らず食物の供給を支那印度等の大陸國に仰ぐの時節到來す可きや論を俟たず然るに經濟の理に於て他國より物を買ふ時は必ず之に對して自國の物を賣らざるべからず物を賣らずして物を買はんとするは恰も種を下さずして苗の生ずるを望むに等しく到底望むべき事柄にあらず然らば則ち嶋國の人民は何物を賣て養民の料を他に需むべきやと尋ぬるに凡そ人間の爲すべき事業は千差萬別殆ど無限なりと雖ども之を大別すれば農工商の三に外ならず農たらざれば工たり工たらざれば商たるの他に手段あるべからずと雖ども限あるの土地を以て限なきの人口を養ふことは到底嶋國に在て出來べからざることなるが故に我國をして後來一の農産國たらしめ農業を以て富國の策を謀らんとするも萬萬行はるべき事ならずと云はざるを得ず巳に農事を以て國策を立つるの目的なしとせば工商の中其孰れか我國相に適するものを撰び以て後來の計をなさざるべからずと雖ども其工と爲りて製造の業を起すこと甚だ容易ならず假令へ國民に製造適當の性質ありて良工たるの資格に乏しからずとするも唯無形の性質のみに依頼して實際その製造の用に供す可き材料を自國に生ずるに非ざれば以て製造國たる可らず羊毛、綿花、鐵等の如きは即ち製造の材料にして自から之を生じて自から之を製造するにあらざれば眞の工國たること難かるべし後來我國に於て果して此材料を生ずるの目的ありや若し其目的あらざれば工を以て國を立つるの見込なしと云はざるべからず或人の説に假令へ自から其材料を生ずるの便なきも他國に之を需むるの道あれば敢て工國たるに差支なかる可しとの言あれ共材料の供給を他に仰で唯之を製造するのみの業を執るときは利益自ら多からず、利益多からざれば世界の市塲に他と競爭するを得ずして結局立國永遠の策と爲すに足らざるや明なり彼の英國の如き北米又は印度の地方より製造の材料たる綿花を輸入し之をマンチエスターに於て製造するの實例なきにあらずと雖もこは其以前亞米利加又は印度地方の人民が未だ製造の業を起すの資力に乏く唯農産物を輸出するを以て本業とせし時の事にて今日の勢、綿布製造の業は綿花産出の地方に移りマンチエスターの製造も漸く衰へてボンベー、カルカツタに同事業の起らんとするあり現に今日我國に輸入する唐絲の如きも印度製のもの居多なりと云ふ材料の産出、製造の繁榮兩者の離る可らざるを以て視るべきなり然るに英國に在ては今日文明の基本とも云ふべき鐵製造の材料に乏からずして善良の鐵鑛は全國に散布し又この鐵を溶解するに必用なる石炭を其鐵鑛と同じ塲所に生ずる等實に稀有の天幸を兼并するが故に製造國たるの地位を後來に持續することある可しと雖ども我日本國中には此種の天幸あるを聞かず然らば則ち後來製造の業を以て我を立てんとするの策も亦難しと云ふべし我國の國相巳に農たるを得ず又工たるの資格なきものとすれば後來經濟の策は唯一の商業あるのみと斷定せざるべからず抑も商の事たるや自から物を産するにあらず又之を製するにあらず唯其賣主買主の間に立て雙方の便益を謀り寒國の物産を暖國に送り東の物を西に賣り所謂有無相通ずるの媒介を以て業とするものなるが故に其國土の廣きを要せず其國に物を産するを要せず唯商國たるに必用なるは國の位地海國にして海路四通の衝に當り人民航海の術に熟達して自から航海の事を專にするに在るのみ抑も我國の位地たるや東は亞米利加の大洲に面し西は支那帝國の大陸に接し右に文明國ありて左に半開國を控へ恰も天然商國たるの位置にあるものなれば賣主買主の間に媒介して其有無を通ずるに至極便利の國柄と云ふべし左れば我後來の國策は唯運輸通商を以て目的となし我國を世界の商國となし恰も西洋の英國を東洋の一隅に創始して旭日の徽章を東西の間に輝かすべきなり斯く云へば言少く空談に似たれども世界萬國古來の實跡と今日の現状とを熟考するときは必ずしも其空ならざるを知るべし往古埃及亞歴山港の繁昌より中古威尼斯、里斯本、馬徳里、安特提、又近世に至ては英の倫敦、米の紐育の如き全く海運通商の便に依るものにて自から其物を産するにあらず又之を生ずるにあらず唯有無交換の媒介たるに依て此富有を來せしものなり又ここに我國の今日商國たるに最も適當の時機到來せりと云ふべき所以のものあり即ち南北の亞米利加を接續する巴那馬の地峽を開穿して太平洋と太西洋との水を通ずるの工業將に成就せんとする此事なり前年蘇西海峽の開けてより以來天下通商の航路遽に一變して今日は復た喜望峰を迂廻する者なく從て古來世界海運の中心となりて東西の通商を專有したる倫敦は稍其繁榮を失ひ地中海海岸の諸港却て中心に位せんとするの勢あるが如し故に巴那馬の海峽一度び開くる時は今日通商の航路復た一變して我横濱港が東西通商の中心となり太平洋の汽船は勿論總て亞米利加より東洋に來るものは先づ我横濱に寄港して支那印度等市塲の模樣を考へ又東洋より亞米利加に行くものも我横濱に寄港するの便を知り横濱は恰も世界通商の集■((「黒」の旧字体のれんがなし+「占」)+れんが)たるべしと豫期するも敢て狂者の空想と云ふべからず商權の擴張今日の時機失す可らざるなり (以下次號)