「人民の外交」
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時事新報に掲載された「人民の外交」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
人民の外交
國交際を大別すれば和親と通商との二樣にして甲は政府の司る所に屬し乙は總て人民の事なり國の政府に外務の本局を置き諸外國に吏員を派遣し文書を往復し互に信誼を通して人民の通商を便ならしめんことを圖り或は何かの行違ひよりして紛紜を生ずるの塲合には談判を開き時として戰爭にも及ぶなど凡そ是等の大事は政府の當さに司る可き和親の部分なれども之を外にして凡そ兩國の物品を貿易賣買し又は兩國人の智識を交換する等人民の利害に關する私の事共は聊かも政府の干渉を俟たず人民の宜しく自から處分す可き所のものにして即ち通商交通の部分なり本來日本の條約は法權上にも通商上にも甚だ不權衡を極めたるものにして之が改正をなさんとしても亦容易に行はれず、爲めに朝野の議論囂囂として何れも不平の情に堪へざる所なれ共是は暫く政府の事として論外に擱き一方に我が人民と彼の人民との間に行はるる通商交通の事情如何を見るも惆帳に堪へざるもの甚だ少なからざるが如し例へば文明熱狂の輩が我國固有の文物を輕んじて漫に外國を恐れ却て彼れの侮る所と爲る者あり又は商賣の事に就ても日本の商人は往往取引上に無理難題を言掛けられ其都度多少の損失を蒙むるのみか顯然たる理非曲直の爭に於て公事裁判に及ぶの塲合にも動もすれば敗する者多し何れも我日本國民が外人に輕蔑せらるるの事實にして即ち人生に貴重なる榮譽私有の人權を蹂躙せらるるものと云はざるを得ず然りと雖も本來他より來りて蹂躙する者あるは我れに間隙あるが故にして其罪必ずしも蹂躙者にあらず畢竟我國人が自尊自重の大義を知らざるに坐するものなりと我輩の斷定する所なり日本の人民は古來官尊民卑の風習に育てられ官邊をば一種不思議の靈境となして上下の懸隔甚だ遠ければ聊かにても官縁ある者は其品位格別に高く、民臭ある者は一概に低くして其空氣の及ぶ所公私ともに隈なく行渡り殆んど脱却す可らざるの有樣にして例へば官邊末流の吏人と民間中等社會の富豪と孰れか尊くして孰れか卑しきやは問はずして知るに足るべき筈なれども從來の實跡に徴すれば尊卑の所在道理以外に顛倒し恰も官民の間は人權の格を異にするが如くにして吏人の威張るや限りなく富豪の卑屈なる亦驚くべし左れば今の政府に於ても先例に照らして之を御し易き人民と目し去り其私權を見ること甚だ重からざるが故に人民たる者は獨り心に自尊自重の旨を發明して之を伸さん抔とは思ひも寄らざる次第にして因循の久しき殆ど其性を成し日本の人民は今日尚ほ奴隸の境遇を免れざる者と云ふも過言にあらざるが如し斯る卑屈奴を驅て外國獨立の市民と拮抗せしめんとするは抑も亦無理なる注文にこそあれ蓋し外に向て傲るものは内に恃む所なかる可らず一家眷屬の内に齒せられざる繼子が偶偶戸外に出でて遊〓することありとても何として能く他の群童を凌駕して勢力を張るを得んや左れば今の日本人民は恰も一國内の繼子にして其繼子の根性は容易に拔く可らざるものとして猶ほ暫く之を忍ぶも獨り怪む日本の官吏は日本の平民に對してのみ頗ぶる莊儼なりと雖も外國の平民に對する時に當りては啻に平等を許すのみか時としては席を讓りて敬意を表することなきにあらず故に無心なる人民の目より之を見れば彼國の平民は我國の官吏に勝るの觀を爲し我我が平生より鬼神視する所の官吏にても外國の平民に接するときは忽ち鬼神ならずして鬼神却て人間の下に在ることなきにあらず左りとは平民も外國の二字を冠すれば恐る可きものなり外國の平民は迚も日本國平民の對等にあらずとて左なきだに自尊の念に乏しき者共がいよいよますます外國人を恐るるは正に今日人民外交の實相なり世人或は我平民を評して其外人に對するや卑屈なりとて責る者なきにあらざれども我輩は直に其卑屈者を咎めずして之をして卑屈ならしめたる原因を求めんと欲する者なり過日(本月一日)の時事新報に我日本國の中等社會には立國の背骨たる可きもの决して乏しからずとの次第を記したり今や其背骨をして骨の用を爲さしむるか、或は然らずして之を鷄肋視し徒に取捨に苦んで遂に其用を空ふするか我輩は竊に政府の方針を窺ふて國運を卜するのみ顧れば條約改正の一件も未だ不滿足なるを免れず祈る所は人民同士の外交にあることなれども前陳の次第にては何れの時か能く彼我對等の地位に進歩すべきや我輩は政府當局者の爲めを謀りて其應援の乏しきを悲しむ者なり