「商賣の廣告法」
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時事新報に掲載された「商賣の廣告法」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
商賣の廣告法
商賣社會の廣告の必用なるは今更申すまでもなきことにして其法一ならず或は新聞紙面に廣告するあり或は引札を毎戸に配り又は人民の群集往來の所に張紙を■(てへん+「曷」)示するあり又或は店の建物を盛にし、店頭の體裁を旨く飾り、看板の模樣を面白くして往來の人の注意を引くの工風等何れも商人の常に等閑に附す可らざる所にして畢竟その目的は營業者の姓名、營業の塲所、その賣物、その職業、その價、その性質を廣く世上の人に告げて客を引き以て商賣の繁昌を求るより外ならず西洋諸國に繁昌する商賣社會の事情を聞くに其廣告の盛なること新聞紙面は勿論引札に張紙にあらゆる方便を盡して遺す所なく凡そ人間何等の營業にても其業を企て其繁昌を持續する爲めの費用の中にて廣告費は其第一に位し廣告を外にして商賣の道なしとは彼の國人の飽くまでも信ずる所にして亦事實に違ふことなしと云ふ竊に古今の世相を案ずるに人事靜にして質朴引込思案を專にしたる古代に於ては人物にしても交際を勉るものは世に重きを成さす、無爲無言にすて見え隱れの處に出沒し毫も求る處なきが如き隱君子にあらざれば評判を得ざりしことなれども文明繁多の今日と爲りては世人復た隱君子を顧るに遑あらず隱君子が隱處に居て徐徐に思案を運らす其最中に一方より現はれ出る者は面倒を憚からざる活溌男子にして無遠慮にも勝手次第に交際の道を張り名を賣り伎倆を示して社會の表に頭角を顯はし甚だしきは滿腔無知無識にして空樽の如き人物にても頻りに自から叩き鳴らして凡俗を驚かし何時しか隱君子の頭上を踏で天外青雲に飛揚するの奇談さへなきにあらず道徳の眼より見れば誠に忌はしき次第にして無言の君子の蔭ながら獨り切齒扼腕する所なれども如何せん文明の世界は必ずしも隈なく明徳の世界にあらずして云はば明樽をして廣告の利を利せしめたるものなり人物の廣告既に斯の如くなりとすれば營業の廣告は尚ほ尚ほ斯の如くならざるを得ず我輩は固より營業の虚名を廣告して世間を瞞着せよと勸るに非ず唯廣告法の本色に從て營業の實を示さんことこそ願ふ所なれども百千年來所謂引込思案の習慣に養はれたる日本の商賣人が今日に至るまで尚ほ自から知らずして舊慣の中に迷ひ活溌なる營業世界に居ながら却て彼の隱君子を學ぶ者あるが如きは其人の爲めに謀りて氣の毒なるのみならず我商賣社會の大缺典と云ふも可なり
左れば我日本國に廣告法の十分に行はれざるは商賣人の不注意にして未だ文明世界の情を知らざるものと云ふの外なし或は米穀薪■(上が「土」+「鹵」、下が「皿」)噌の如き日用品の商店は極めて薄利なるが故に廣告に錢を費すときは所得を以て所失を償ふに足らずとの説もある可しと雖も苟も其商店の稍や大なるものに至りては廣告法を利用してますます賣買の道を廣くし薄利を重ねて厚利と爲すこと難きにあらず其實證を示さんに此米屋の流が店を開くに必ず市中繁華の地を撰び地代家賃の高きをも憚らずして營業する者あるは何ぞや繁華群集の人に我店の所在、商賣の有樣を知らしめんとするの目的にして其地代家賃は取りも直さず營業の廣告費たるのみ此廣告費をば拂ひながら他の廣告法は不利なりと云ふか、解す可らざることなり况んや其他の商賣營業に於てをや廣告法を利用す可らざる者なし從前の慣行に書籍の發兌、賣藥の賣弘の如きは隨分廣告に注意したるものも少なからざれども其他は誠に寥寥たるものにして例へば日本第一の大都會たる東京の中心と稱する日本橋區に千差萬別の商店ある其中に廣告を巧にして家業の繁昌を求めんとする者は十中一二も覺束なし西洋人の眼を以て此有樣を見たらば日本の商人は商賣を厭ふ者なりと評することならん奇なりと云ふ可し其奇の最も甚だしきに至りては芝居を興行しながら廣告を怠る者あり本來芝居の事たるや一度び狂言の仕組に資本を費すときは其後は幾日月の間これを持續するも失ふ所は唯日日の雜費のみにして例へば三十日の興行に客足を絶たずして六十日間に日延すれば利益は啻に一倍に止まらずして非常の所得ある可きに反し三十日の豫算を十五日に終るときは非常の損毛なる可し之を要するに芝居の損益利害は唯この興行の間、一日も長く看客の足を繁くするに在るのみ同一の資本を以て或は大に利し或は大に損する妙機の存するにも拘はらず其興行者が漠然として廣告の法を知らず恰も都會の暗き處に藝を演して風の便に世間に之を傳へ都下百餘萬の人民は未だ其興行の有無を知らざる其際に芝居の方にては今度の興行、外れたりとて三十日の約束を十五日に切上げ大に損亡して大に落膽するが如き迂濶も亦頂上に達したるものと云ふ可し歐米諸國の例に依れば芝居の興行に引札張紙等を用るは無論、殊に新聞紙の廣告に密着して啻に其開塲の日限時刻を報ずるのみならず其俳優の姓名演藝の種類等これを文にし之を畫にして興行中毎日の模樣までも逐一詳にして各新聞紙上に載せざるはなし故に遠近の老若男女は日日芝居の事情を耳にして日常朝夕の話柄と爲り自然に見物の念を發起して之に赴く者多く同一の狂言にして半年又時としては一年に及び尚ほ閉塲せざるものありと云ふ畢竟彼の國人の氣輕にして事物の見聞を悦ぶの風俗に由るとは雖も廣告の力も亦大なりと云ふ可し我輩は固より芝居の廣告のみを勸告する者に非ざれども我國の商賣人が都て廣告を等閑に附する其極端の一例として之に論及したるのみ商况不景氣とは數年來の苦情にして之を概言すれば有形無形共に商賣品の賣れざることなれども其罪は獨り買人なきのみの故に非ずして或は賣るに巧ならざるの罪も免かる可らず故に今後都鄙の商賣人が眞に廣告の利を合點したらば亦以て商况回復の一端ならんか我輩は兎に角に其試用を勸るものなり