「東洋問題」
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時事新報に掲載された「東洋問題」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
東洋問題
サイベリヤ鐵道は露京と浦鹽斯徳との間に七千餘哩の直線軌條を布くに非ずしてアムール、エニセー、オビの三大川を利し一條の運河と二道の中間鐵道とに依て其聯絡を計る者なれば全線の開通至て容易ならんとの次第は過日の紙上に之を述べたり隨て鐵道落成の後露國の東洋政略に變化あるべきは自然の勢にして又其變化の衝も當る者は支那朝鮮及び日本の三國ならんなれども支那朝鮮の事は姑く擱き專ら日本の爲めに考ふるに鐵道の落成は一日も速なるを冀はざる可らず或人の説にサイベリヤ鐵道の目的は露國が東洋に對し兵事上の運動を試みんとする者にして落成の曉には兵師を東邊に送り大に武斷主義の政略を張ること必然なるが故にこれに對峙する日本などは一刻も油斷ある可らず若しも悠緩自から棄るあるに於ては國の獨立にも關係するに至るべければ早く防禦の策を講ずるこそ今日の急務なれと云ふ者もあれども我輩の所見はこれに異なり即ち彼の論者はサイベリヤ鐵道の落成は日本の爲めに危急存廢の影響ありと爲すが如くなれども熟熟鐵道開通以後の有樣を想像するに第一に露國は事あるの日容易に大兵を東洋に出して戰端を開くを得べきや如何我輩の疑ふ所なり抑も軍事に鐵道を利用せんとするも其實際に臨み貨物運搬の便利の如く無造作ならずして常に困難多きは歐洲諸國の實驗に於て既に明白なる所にして殊にサイベリヤの鐵道に至りては其里程遠隔なるのみならず到る處茫漠たる原野にして食糧薪炭一にこれを歐洲本部に仰ふぐの不便少なからず又その途中數條の大河に遮られて在る時は運河を渡り又在る時は鐵道に乘り水陸こもごも兵師の繼替を爲す毎に隊列を亂すが故に漸くこれを整理して再び進軍を始むるには容易ならざる時間を要し歸する所七千餘哩の一端より一端に兵を行るの紛雜は世人の想ひ到らざる所なる可し例へば我國の鐵道にても今日突然これを兵事に利用して急に東京より仙臺まで師團を繰出す其時間と歩行して晝夜進軍を試むる日子とを比較すれば殆んど相伯仲して鐵道却てその用を爲さざるの奇談あるべしと云ふ者さへあり或は極端の話ならんなれどもサイベリヤ鐵道の行軍は東京仙臺に比して一段の困難あること論を俟たざる所にして途に繁開の市街なければ晝餐夜泊何れに斯る便利ありや單に糧食の一事にても七千哩外の行軍は容易ならざるに加ふるに氣候嚴肅、冬は霜雪に鎖されて春候尚ほ未だ全く路の通ぜざることあるに於てをや尋常の旅行にても年中四ケ月の交通を遮らるる次第なれば充分の行軍を試むる其期限は盖し年の一半にも及ばざる可し今の露國にして斯る不便を顧みず俄に兵を出すが如き拙策を取らざるは窃に我輩の信ずる所にして或は時に出兵の企ありとせんか數百の士卒を送るは兎も角も遠征軍を組織したる數千數萬の大兵を如何にして東洋にまで繰出し得べきや實際に於て許さざるは明白なり故にサイベリヤの鐵道落成したればとて露國が直に東洋の侵掠に着手せざる可きは勿論縱へその企ありとするも交通不便の爲めに暫く自由の運動を得ざるは疑ひもなき事實なるべし
サイベリヤの鐵道落成したりとて露國が容易に兵を東洋に弄する能はざるの〓〓は暫く右の如き者なりとして第二の疑問は支那と露國の葛藤是なり即ち鐵道の線路は支那帝國の背後を一匝するもにならず南方温暖の地に進むに隨ひ工事の便利いよいよ多ければ凡そ地勢の許す限り其線路は支那の版圖に接近せしめて殆んど界線の觸るるまでに之を南に移すこと露國の得策なる可し即ち支那西北の全面何れの處より侵入するも單に露國の隨意にして蒙古滿州その擇に任せたる有樣なれば其境上に兵を案じてイリー、クルジヤの怨を雪ぐは容易なるのみ支那の爲めには非常の大患にして露人の乘す可き機會は之より大なるなきが故に露支戰爭の破裂は殆んどサイベリヤ鐵道の全通を待たざるべしとの説あり露支兩國の關係は今日辛ふして無事の姿を粧へども互に利害を殊にして氷炭相容れざるの趣なれば此説或は一説なるに似たれども熟熟事勢の實際を窺ふときは露國は獨り輕易に〓を開き得ざるのみならず鐵道落成後の擧動は以前に比して故さらに謹直を飾るの手段なかる可らず若しも然らざるに於ては支那の爲めに大切なるサイベリヤ政策を害せらるるなきを期す可らず我輩は却て露國の危險を恐るる者なり (未完)