「東洋問題」
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時事新報に掲載された「東洋問題」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
サイベリヤの鐵道にして支那の背部を一匝する時は露兵は何れより攻入るも自在にして支
那の患これより大なるなかる可しとて説を作す者あれども我輩の所見は之に一致するを得
ず抑も鐵道は例へば猶連鎖の如く互に接續するに非されば其用全からず露京より浦鹽斯コ
まで七千餘哩の一大連鎖を作ればこそサイベリヤ鐵道の効始て顯はるゝものなれども中途
に於て其一部分を切斷せらるゝこともあらんには全線忽ちその働を失ふ可きや明なり即ち
露支一朝事あるに當りて支那の大兵イリー地方より露領に繰出し鐵道線路の或る部分を破
壞したらば恐くは露兵は一人も南下する能はざる可し或は露國がこれを恐れて其線路を衛
る手段を爲すも幾千哩の境界上に敵は何れの處より顯はれ出づ可きや計る可らず故に全線
を防禦するには復た其全線に兵を布くこと必要なれども廣漠無限の原頭に數千哩の哨兵を
張るが如きは既に兵法の許さゞる所にして加ふるに攻むる者は土着の民兵絶て糧食に苦ま
ざれども守る者は人馬糧薪一に是を遠隔なる歐洲露領に仰ぐの必要を免れず昔は支那人が
北狄の侵入を防ぐ爲めにとて萬里の長城を築きたれども今や露人は南方の敵に對し逆に又
萬里の哨兵線を張るの奇談もあることならん秦皇長城の事業は後人その愚を笑ふと雖も北
狄を防ぐの策は當時これを措て他に道なきの其趣移して以て今後露國がサイベリヤ鐵道の
防禦に困難を累ぬる證例と爲すべし事情此の如くなれば鐵道工事の中は勿論落成の後も容
易に支那人は敵にす可らざる次第にして殊に今日に在りてはサイベリヤ地方人民の日常諸
品は概ねこれを支那に仰ぎ其國境の貿易甚だ盛なるは露人の開拓殖民上に非常の便利を得
たる者なれば支那人は露人に對し平時には飮料食品を供給し戰時には鐵道線路破壞の權を
握りて恩威兼帶の地に立つ者なるが故に露國の爲めに計るときは支那と倍々親義を結び露
支境上に無事を保つの工風最も大切なる可し
右の次第なるが故に露國近來の政策は專ら平和を旨として八九年以前の如く公然侵轢の手
段を施さゞるは事實に於て掩ふ可らず從來兩國の境界は互に相混亂したれば遊牧の民南北
に來往する其間に種々の苦情を釀し葛藤當に止ざるより露國政府が其機に乗じ土兵を驅て
支那の領地を蠶食せしめんとしたる事は一二度ならず彼のイリー、クルジヤの事件の如き
は即ち其例なれ共南北既に季候を殊にし、味方は客にして敵は却て主なるが爲めに露軍毎
に失敗して南征の志を果さゞりしは形勝の相違これをして然らしめたる者ならん是に於て
露國は頓に其策を一變し暴威侵掠の代りに平和殖民の手段を以てし雙方互に折合て境界を
一定するの議を唱へ其意を支那政府に通知したるに支那は固より故なきに事を好まず依て
兩國より委員を派し會同して現時尚ほ境界線の决定談判中なるものも少なからず而して本
年の春支那の委員呉太徴が滿洲地方と東サイベリヤの經畫を正したる事の如きは露人の兼
て入込み居たる滿洲領の貿易塲を全く支那の手に渡し露國委員は今後露人が法を犯して支
那の領地に闖入するを禁止すべしと約諾したりと云ふ即ち談判の局は支那の全勝に歸した
る者にして俄に事相を窺へば露國の擧動不審なるに似たれども其實は政略一變の然らしめ
たる所にして三四年來露支の境上に干戈の沙汰を聞かざりしも蓋しこれが爲めなるのみ
是に由て視る時はサイベリヤの鐵道落成以後と雖も露國が直にこれを利して大兵を浦鹽斯
コに送る能はざるは勿論、中途より支那の後背を衝くことさへ容易ならざる次第なれば從
へ工事は竣ればとて露國の政略に見る可きの活氣を添へざるは窃に我輩の信する所なり或
は露國が厚く支那に結び露支連合して鐵道保護の策を設けながら專ら東亞の一邊に運動を
試むるなきを期せずとの掛念もあらんなれども畢竟極端の想像説のみ若しも一方に露支の
連合を以て鐵道保護の行はるゝ望あらば他の一方には支那と他の一國とが相結んで事ある
の日に鐵道を破壞し露兵をして南下せしめざる手段なきに非ざれば我輩は日本の爲めにサ
イベリヤ鐵道の落成を畏るゝより寧ろ一日も速くこれを利用するの日に會せんことを祈る
者なり乞ふその理由を次に述べん(未完)