「各廳經費の取調」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「各廳經費の取調」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

各廳經費の取調

政府にては去る十一日外務大臣大隈重信氏を各廳經費取調委員長に元老院議官田中光顯、内閣書記官長小牧昌業、大藏省主計官山口宗義、同曾根靜夫の諸氏を同委員に命じたり聞く所に據れば國會開設の期も既に近寄りたるに付ては政府より議塲に提出すべき會計豫算の編成に就き各廳の經費を調査し冗費を節するが爲めなるべしと云ふ其言の眞僞は兎も角も近來官民共に政費論の喧き折柄右の任命あるを見れば政府は大に各廳の經費を取調べ冗費を節するの趣意たるや疑ある可らず抑も政府にて經費節■(にすい+「咸」)の沙汰は毎度の事なれども終に其實效を見るに至らざるものは何ぞや政府部内に一種の情實あればなり若しも其情實にして止まざる限りは節■(にすい+「咸」)論も到底無益なりと觀念せざるを得ず明治十八年の暮、伊藤伯が内閣總理大臣となるや大に改革を行はんとて事務整理の綱領なる者を發したる其中には冗費を節するの一箇條もありて伊藤内閣は熱心に之を實行せんとして官吏の増員を止め各廳高等官の人員を限り一方には定額金の流用を禁ずるなど最初の間は着着その歩を進むるが如き觀ありしも未た幾ばくならざるに又もや種種の情實差起りて次第に經費の増加を見るに及びたりと云ふ其事實は爾後年年政府より發したる歳計表の面にも明にして情實の止み難きこと以て知るべし扨その情實とは如何なるものなりやと云ふに今の政府は維新功臣の府にして然る可き當局の地位に在る人人は暫く擱き乃ち屬官属吏の輩に至るまでも皆夫夫の肩書ある者多し是等は何れも其功を以て其位に居るの姿にして無下に見捨る能はざるのみならず中には既に老朽して事に堪へざる者にても退隱養老の仕組なき今日に於ては何か官途の地位を授けて之を養はざるべからざるの意味あり又政府は維新以來頻りに民間の人材を登用し一才一藝いやしくも頭角を野に露はす者は之を採て遺す所なく以て人望を繋がんとしたるも止むを得ざるの策なる可し斯くて賞功、養老、愛才等種種の事情より政府の門内には樣樣の人物を群集せしめて非常の繁昌を致しその人員の多きに隨て樣樣の新法を工風し又事業を起し、事業は人員を招き、人員は事業を増し時としては政府本色の範圍外に逸して人と事と多多ますます政費の増加を促したるは即ち今日の實際に於て蔽ふ可らざる事相なるが如し畢竟その源を尋れば唯一片の情實に由來するものにして人情に於て深く怪むに足らず政府の當局者とて亦是れ人情世界の活物なれば其情に流るるも至極尤なる次第なれども爰に差向きの難題は彼の國會の一條にしていよいよ約束の如く明後年は國會を開くとして其議塲に喧しきは財政の點に在ること疑もある可らず或は憲法に於て議員の權限を限り歳出の大綱を議するは可なりと雖も其節目は行政の知る所にして國會の議を許さずなど樣樣の方略もある可し實に政事にも慣れざる突出しの國會議員に政費の細目までも討議せしめては唯議塲を騷騷しくするのみにて却て事務の妨たる可き掛念もあれば議權を限るは至極の妙案なれども單に其大綱の財政論のみに止まりても議員の言ふ可きものあるを如何せん假に爰に想像して文部省の費額に關し本省の定額中、省の事務費に何十萬圓學校費に何十萬圓と原案を提出せんに議員には其細節小目を議するの權なきが故に是れは言はずして其大體に就き抑も文部の本色は天下の學事教育を奬勵するの外なし之が爲めには本省に官吏を要することならんと雖も其事務なるものは果して斯くも多數の官員を使用して斯くも豊なる月給を給し斯くも廣大なる建物を設けて斯くも鄭重なる體裁を張るの要用あるやなきや即ち文部省の事務は果して何十萬を値して直段の安きものか高きものか之を人間普通損益の事例に照し又國民貧富の程度に比して吟味せざる可らず况んや學校費の如き數の最も明なるものにして事の損益利害を見ること最も易く本來學校の目的は唯生徒を教るのみにして一年の校費を生徒の數に割付け又その卒業生の數に割付るときは毎一人に付き費す所の金員は誠に明瞭にして此教育の代價は安きものか高きものか日本國民は果して斯る直段の教育を買ふて之に安んず可きや否や若しも此費の半を以て私立學校の企に任したらば其成跡は必ず今に優ることあるも劣ることはなかる可しとは世人の一段に信じて疑はざる所に非ずや然らば則ち本省の學校費何十萬圓とは其大綱の數に於て之を諾するを得ずなどと論ずる者あれば又一方には軍艦の數と海軍費と照し合して發言する者もあらん又或は官吏の數と其執務時間と賜暇休日の長短多少と俸給の厚薄とを計算し之を民間普通營業の苦樂に比例して立論する者もあらん何れにしても國會議員が正當の權内に居り穩に議論して時事に適切し成るほどと天下の人心に感通す可きものは甚だ多しと覺悟せざる可らず

左れば今回大隈伯は經費取調の長に任じたるは我輩が曾て云へる如く(十一月十六日時事新報)國會未だ開かざるに先だち政府の内より先づ發して大に節■(にすい+「咸」)法を行ひ開會の日に當り議員等をして言はんと欲して言ふ可き箇條なきに苦しましむるの政略なるか、巧なりと云ふ可し若しも然らんには我輩亦その節■(にすい+「咸」)の方法に付き説なきに非ず則ち凡俗羨望の人情を制するが爲めに節■(にすい+「咸」)の第一着手を上長官の身よりするの一事なり例へば諸省院上長官の俸給を大に■(にすい+「咸」)ずるか若くは思切て無給と定め(今の上長官は其華族になるたるとき族稱の外に資本金をも賜はりたりと云へば生計に差支なき筈なり)官宅を廢し、車馬の外裝を止め、自家の經濟を質素にして外の交際法に及ぼし遊樂宴會等都て其表面を手輕にして所謂文明流の榮華を休息し上長の實例を以て以下の官吏に施し其數を沙汰し其俸給を■(にすい+「咸」)じ既に人員を少なくして隨て事務を簡にし又隨て政費を節するが如きは事の順序に於て誠に至當なる可しと我輩の信ずる所なり即是れ敵に接して先を制するの政略事實にして斯の如くなるときは今の政府の地位は其安きこと泰山の如くにして國會開設も唯儀式のみに止まり永く當局者をして枕を高ふせしむるに足る可しと雖も唯掛念なるは前に云へる情實の一事なり無理の情實は能く道理を壓し又時としては道理を製作することあり大隈伯の勢力能く此情實の盤根錯節を解て財政を改革し以て國會に凖備するを得るや否や隨分重大なる問題なり盖し此重大事を成し遂ぐるは單に理財の才にのみ依る可らずして寧ろ其地位の勢力如何に關することなれば事の成否は亦大に伯の地位を輕重するに足る可し