「日本銀行の株券騰貴」
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時事新報に掲載された「日本銀行の株券騰貴」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
日本銀行の株券騰貴
政府か兌換銀行券條例に改正を加へて公布したるは本年七月三十一日のことにして當時日本銀行の株券は二百廿餘圓の相塲なりしも昨今にては二百八十圓内外を出入し僅に四五箇月の間に殆んど六十圓の騰貴を見るに至りたり世上一般の説を聞くに同行株券の斯くも騰貴したる其次第は同行の事務漸く整頓して收益も爲めに大に増加す可しとの見込に由て然るものならんなれども條例の改正は之が重もなる原因たらざるを得ずと云ふ其説の當否は容易に判斷す可らずと雖も株券の騰貴が條例改正の前後より其端を開きたるの事實は經濟論者の宜しく注目す可き所のものなる可し凡そ物の相塲は其實價に從ふて高低するよりも寧ろ見込に由りて昇降するの常なれば日本銀行が條例改正の爲め將來實際に得べき利益は今日世人の見込む所と毫も違ふことなきや否に就ては我輩も其實况を知らざれば之に答ふることを得ずと雖ども兎に角に同行が條例改正の爲め巨額の兌換銀行券を發行するの特典を得たる其外に政府に貸付する二千二百萬圓に對しては明治三十一年に至るまで一箇年百分の二即ち年年四十四萬圓の利子を得ることになりたるは更に大利源を開きたるに相違ある可らず左れば今後其收益の大に増加すべきは必然にして從て株主への配當金も多きを加ふ可ければ其株券に昨今の騰貴を致したるも偶然にあらざるを知る可し
我輩は本年八月三日の時事新報に於て兌換銀行券條例改正の事を論し其大體に就き賛成の意を表したるのみならず兌換券の發行額及び交換準備に關する毎週平均高表を官報に掲げて世上に廣告する事としたるは文明政府の處置なりと賞讃したれども日本銀行が明治三十一年に至るまで政府に貸付する二千二百萬圓に對して毎年四十四萬圓の大金を國庫より受取るとは實に株主の利益にして其金の出所は詰り國民の納むる税金より外ならざる旨を述へたるは讀者も巳に知ることならんが昨今同行株券の騰貴したる其原因が果して重もに條例の改正に在りとすれば我輩の豫論は今日に於て稍や其實を得たるものにして同行の株主は未だ四十四萬圓の利益を國庫より受取りたることはなけれども今日その一株に就き不意の六十圓を儲けたる次第なれば第一着の僥倖は既に實を握りたるものと云ふ可し蓋し政府が斯る大金を年年國庫より支拂ふことに决したるは固より種種の事情ありて再三再四熟考の上の事ならんなれども其事情なるものを金に積りて果して年年四十四萬圓を値し株主をして目下直に六十圓の僥倖を得せしむるに足る可き程のものなるや否や我輩も此に至れば少しく判斷に躊躇する者なり
日本銀行の組織は人民より成り立ちたる會社なれば漫に公益の一途に偏して營業の損益を顧みざるが如きは固より爲す可からず唯利是れ重んずるは行の本色なれども其重役は政府の任命する所にして特別の法律に由りて支配せられ特別の權理をも附與せられて所謂半官の商會なるが故に獨り全國銀行の模範たるのみならず商賣の中心、信用の源淵として一擧一動都て公明正大の高處に止まり苟も不時の利を僥倖するが如きは進で之を為さざるのみか眼前に利を見るも之を避る程にして始て天下の信を取るに足る可し甚だ迂闊なるに似たれども體面重きものは其擧動も亦重からざるを得ず人事の常數なればなり左れば今回日本銀行が四十四萬圓の殊利を得て其株主が株券の騰貴に逢ふたるは誠に僥倖にして株主の私の爲めには誠に祝す可きなれども左りとは銀行の體面に於て如何なる可きや若しも此一事にして商賣社會の模範たらんには即ち天下の商人を率ゐて僥倖依頼の念を起さしむるの弊なしと云ふ可らず我輩は株主の私に對しては少しく氣の毒なりと雖も日本商法の徳義の爲めに之を惜しむものなれば銀行の經濟に於て必ずしも斯る特典殊利に依頼せざるも能く其自立を保つ可き覺悟あらんには自から之を避けて國庫の累を爲さざらんこと冀望に堪へざるなり