「學校論」

last updated: 2019-11-26

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時事新報に掲載された「學校論」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

本月二十一日の時事新報に今回政府にて經費取調委員を命じたる事に付き其擧を賛成し取

調とあれば之を取調べて節減法を施すことならん政費の事に付ては兼て世論もあることな

れば或は明後年國會開設の時に當り議員等に樣々の説もあらん例へば文部省又は其外の政

費に付て云々と述べたらんには隨分天下の人心を感ぜしむるものもあらんとて我輩の想像

を記したりしが同日の日附を以て箕作佳吉氏より時事新報の記者に當てて左の來書あり

大學校の目的は單に生徒を敎る而己にあらず

十二月廿一日の時事新報に掲載せる各廳經費の取調と題せる論説中に左の如き語あり

况んや學校費の如き數の最も明なるものにして事の損u利害を見ること最も易く本來學

校の目的は唯生徒を敎るのみにして一年の校費を生徒の數に割付け又その卒業生の數に割

付るときは毎一人に付き費す所の金員は誠に明瞭にして此敎育の代價は安きものか高きも

のか日本國民は果して斯る直段の敎育を買ふて之に安んず可きや否や

是は他日帝國議會開設の後文部省經費を該省の事務費何十萬學校費何十萬として同議會に

提出したる時右の如き疑問を起す議員もあらんと記者足下の想像したる者なれば強ち記者

足下の信する所として見る可きにもあらずと雖も其語氣より察するも又豫てより時事新報

の主張する所より考ふるも學校の經費を生徒の數に割付け云々は記者足下の持論なるが如

し是は普通敎育を與ふる學校に就きて云ふ時は格別異論もなかるべしと雖も文部省直轄の

學校一體に就き論ぜしなれば其學校中の重なるもの即ち帝國大學をも意味するものゝ如く

考ふる人もあるへく或は已に實際時事新報記者足下が左樣考へ居るやも知る可らず若し左

樣なる事あれば我邦敎育上容易ならざる事にして實に余は遺憾とせざるを得ず

抑大學校の目的は生徒を敎育するの外に之と並立する今一個の一大目的あり即ち我々の智

識の境界を廣むること是なり語を換へて之を云へば大學校は新き知識を造り出すを務むべ

きものなり是は聊高等敎育に就き研究したる者は皆同意する所なり若し學者の一群ありて

專ら學術の研究に從事し新しき發明を爲すに汲々すとせんには此學者の群を稱して大學校

と云ふも可なり英國のケンブリッヂ及びオキスフオルドの兩大學校は則ち此の如き學者の

體に附したる名なり然るに若し一大學校ありて單に生徒を敎育することにのみ從事すとせ

んには其大學校は既に死物なり其程度も數年ならずして甚しき低度となり人の嘲笑を受く

るに至るべし米國西部の諸州に此の如き有名無實の大學校と稱するもの多きは人の知る所

なり

我帝國大學は多年政府の奬勵保護を受け漸々と眞の大學校の位置に進まんとし近年に至り

ては研究の結果も漸々現出するを以て歐米各國にても我東洋に一の學術社界あるを知るに

至れり然れども既に得たる結果を將來爲す可き事業と比するときは實に萬分の一にも足ら

ざるなり抑我邦は東洋の一隅にありて古來歐米と交通せずして一種の文明を發達したり此

文明の歴史を研究するは人間知識の爲め非常に肝要なることにして我邦の法律家歴史家人

類學者が明にすべき所なり又我國には〓に我邦固有の病氣あり又同じ病氣にして外國と我

邦とにて趣を異にする者あり此等の研究を力めんことは我々日本人の最も望む所なり又地

震の如きは我邦の如く其研究に便なる所はあるべからず而して地震の性質を知るは我々の

安危に最も親密なる關係あり又地理學上地質學上動物學上植物學上等に於て我邦に固有な

る事物多ければ若し此等を研究するに於ては世界の爲め我邦の爲めuすること多かるべし

其他一切の學術上我邦に於て特に研究すべきことは各學専門家に問ふ時は唯其多きに驚く

の外なかるべし

我邦に於て學術上研究すべき事柄は此の如く多し而して此研究の任に當る者は我大學にあ

らずして誰ぞや現に我大學は此任に當らんと務むるものゝ如し然れども此等の研究には書

籍なかるべからず器械なかるべからず標本なかるべからず然らば隨分金を要すること明瞭

なり故に余は謂ふ大學校の經費を生徒の數に割付けて生徒一人の敎育費を計算せんとする

は誤れるの甚しきものなりと是故に「學校費の如きは數の最も明なるものにして事の損u

利害を見ること最も易し」の語は大學校に當つる時は一を知りて二を知らざる語と云はざ

るを得ざるべし足下以て如何とかする

十二月廿一日        箕作佳吉

時事新報記者足下

來書中の意味は表題の如く大學校の目的は單に生徒を敎るのみに非ずと辨論したるものに

して此義は我輩に於ても異議あることなし大學校の目的は必ずしも生徒を敎ふるのみにあ

らずして新しき知識を造り出すに在り例へば爰に一群の學者あり專ら學術を研究して新発

明に汲々たらんには此學者の群を稱して大學校と云ふも可なりとは至極同意にして既に本

年五月二十六日の時事新報にも公共の敎育と題したる一編に

(前略)又學問の極めて高尚にして費用を要すること割合に大なるものは人民の私に能

くせざる所なれば其規模を簡單にして之を政府の手に任ぜざる可からず何れも文部の事に

して又或は敎育全體の方向を示す爲めには學者の集合もなかる可からず是等も多少政府に

關係することにして我國今日の事態に於ては尚臨時特別の處置を要するもの寡からず云々

とあり右の文中學問の極めて高尚とは即ち箕作氏の云はるゝ一群の學者が新知識を造るが

爲めに汲々するの類なり是れは固より一國に必要欠く可らざる所なれば或は今日の事態に

於ては政府の手に歸して然る可き事情もあらん又或は國中有志有資の人の私に企る時節到

來もあらん兎に角に國の爲めに最高等の學術研究を要するは飽くまでも異議なしと雖も行

政の政府が生徒を敎育せんとて學校を開き幾百幾千の少年を集めて之が爲めに國庫の金を

費し國民の負擔に歸するが如きは我輩の感服せざる所なり故に去る二十一日の新報中に記

したる學校の文字が帝國大學を意味する歟せざる歟の論は擱き大學にても中學にても無數

の生徒を集めて尋常一樣大學中學の敎育を授る部分の經費は之を愛しまざるを得ず既に之

を愛しむときは其敎育の代價の高きか安きかを論ずるも自然の勢なる可し唯その漠然學校

と記したるは未だ開きもせざる國會議塲を想像して議員が斯くも云ふならんと其論勢を空

中に畫きたるまでのことなりいよいよ官公立學校の得失を國の經濟上に論ずる塲合には我

輩自から細論なきに非ず他日敎を乞ふ所ある可し