「眼中兵なし」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「眼中兵なし」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

眼中兵なし

一昨日の紙上に民間政黨の覺悟と題し假令へ我憲法の文面上に於ては責任内閣の形を成し國會議塲の勝敗に因て政權を授受することとなるにもせよ愈愈内閣員をして悉皆辭職せしめんとするは抑も難中の至難にして千年徹骨の感情は容易に消磨すべくもあらず他より押迫らるれば隨てここに意氣地を發し初め穩柔の態は忽ち化して手負野猪の猛勢を現はすに至るも測り難ければ啻に議論上より政權授受の用意のみならず一歩進んで反對の覺悟をも爲さざる可らざる旨を開陳せしが右は全く空想を描いて漫に放言したるに非ず内閣と國會と議論を鬪はしていよいよ其極點に至るときは結末一句甚だ困難なるものありて案外圓滑ならざるを見るべしとて最後の恐る可きものに注意を引き眞實に忠言を呈したることなれども更に思案して其最後の恐るべきものとは何ぞやと尋ぬれば他にあらず腕力銃砲の事なりと答へざるを得ず然るに銃丸一發事みな破るるは素よりなれども扨斷然决意して其一發を試むる迄には中中以て一通りの手數にあらず是れ亦宜しく記臆す可き所のものなり凡そ人間を無遠慮なりと云ふも又一方より見れば必ずしも然るに非ず爰に兩人相對し其議合はずとて忽ち怒り、怒りて刀を拔き、拔けば直ちに切捨つるが如き咄嗟の間に殺伐の極に到るものは其例極めて稀なり況んや文明の道理漸く行はれて四方八面白日の照さぬ隈なき今の世の中に於ては議論に議論を重ね動搖の上にも動搖して赤怒熱火の如くに至りても猶ほ容易に手を下すこと能はず其間に種種樣樣の事情入亂れて千百の支障全く盡果てたる後にこそ始めて血を流すに至るものなれば銃砲の必要は何れの時に於て差迫るべきや殆んど無中の有と稱して可ならんのみ回顧すれば維新以前武士の獨り權威を恣ままにするや平民は之を恐るること虎狼の如く又毒蛇の如くなりしかども其眞に恐るべきものは武士其人に非ずして腰の一刀あるが爲めなり若しも雙方相激していよいよ刃傷に及ぶときは彼は秋水、我は赤手、共に相當る可らざること明白なるが故に之を帶ぶると帶びざるとにより一は威張り一は畏縮して幾百年の間武士の外天下また人なきが如くなりしことなれども其長日月を通算するに濫りに人を殺したる者は極めて僅少にして藩によりては切捨御免の制あるにも拘はらず創建以來幾百年偶偶一人の非命に死したる者ありやなしやと云ふに過ぎさるもの多し又江戸繁昌の時代には喧嘩口論毎日の事にして動もすれば刀の柄に手をかけて脅したる事なれども實際に斬殺したりとの談は甚だ稀にして他に妨げらるるか自ら制するか兎に角に樣樣の支障ありて最後の一段落を踏越えしめざりしことならんのみ是等の事實を見れば人間世界に殺伐の沙汰は决して容易ならざるを證するに餘りあるべし左れば國會の議塲に於て如何なる紛耘を醸し軋轢を生することありとても其大破裂に至るまでには非常の手數を要することにして現政府にもせよ又將來の當局者にもせよ手に兵馬の權を握ればとて未だ言論の爭を盡さざるに輕卒にも兇器を濫用して以て議塲を打壊するなどは事情俄に許さざる所にして其心中は既に激〓の〓〓に達すと雖も猶ほ道理を憚り世間に會釋して砲門を〓しながら火蓋を切るに躊躇するや人心の自然に自から命ずる所のものなり故に廿三年の國會は我國未曾有の新例にして官民共に不慣なるより激すまじきに激することもあるべく百事不圓滑なるを免れざる可けれども其大破裂に至る迄の次第に至ては則ち前陳の通理も漏るることある可らずと覺悟して手負野猪の猛勢侮る可らざるを記臆すると共に又昔時の平民が帶刀を恐れて卑屈に陷ゐりたるの非を鑑みざる可らず左れば今後の我が帝國代議士たる者は眼中更に兵戈を見ずして安んじて其言論を逞ふし固く本分を守て人民の權理を伸長し福利を増進せんこと冀望に堪へざるなり我輩の所説萬一事實に違ふことあらんか我國の災難これより甚だしきはなし幸にして誤まらざることを得んか人民の幸福これより大なるはなし