「國會の安産を祈る」
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時事新報に掲載された「國會の安産を祈る」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
國會の安産を祈る
國會の安産を祈る
毎年相變りもなき事ながら新年の元旦とし云へば貧富老若を問はず皆欣々として一年の延
喜を祈るは千百年來の常例なり記者も年首には天下の樂に連れて凡そ不平心配に屬する筋
のものは一切これを念慮の外に放逐し何事にもあれ先づ芽出度しとして聊かも慶意を失は
ざる積りなれども常に人事の有樣を望見するに十中七八芽出たき事は其芽出たき割合に心
配も亦隨て大なるの習にして例へば姙娠の如き軅て玉兒を擧ぐるの未來を推測して喜んで
祝賀を表することなれども彌々分娩の其時に當り萬一意外の事共あらんかとて裏面の心配
は直ちに之に伴ひ來り竊に其無事を祈るの心遣ひは中々以て無量のものたるを知るべし左
れば我輩が芽出度新年の今日に當り猶ほも獨り懸念に堪へざるものは同じく是れ出産のこ
とにして我國にては去る明治十四年始めて官民の間に國會を孕み爾來指を屈すれば今年は
正に第九箇年目にして之を人間の懷姙に徴するも年と月との相違こそあれ明年は恰も臨月
なり只ならざる大事の姙娠にして全國の悲喜浮沈懸けて此一擧にあることなれば其準備
云々の談は數年前來官民の間に喧しく年月の差迫るに隨ひ何となく忙しき樣子にて野に在
る者は諸方に游説して政黨の組織に奔走し朝に於ては憲法の制定、財政の取調等百事に不
都合なからしめんとて頻りに周旋する趣なれども此有樣にして推移りつゝ明年に至りて果
して滿足なる安産を見るべきや否や幸にして無事靜穩なることを得ば全國の幸福此上もな
くして其芽出たさも亦これに過ぐるものある可らずと雖も實際の成行は今より豫定するこ
と甚だ難く或は言論を容るゝの地積案外狹小なることあらんか或は地積廣きも歩武を遮ぎ
ること多からんか、議員は言論を抛つことあらんか、手負猪の猛勢當る可らざるものあら
んか、近々發布すべき憲法に於て其一部分は之を窺ふを得べしと雖も憲法の文面よりは開
設の後こそ大事なれ彼是れと一々消極的に思案を運らし來るときは懸念を要する次第少な
からざるのみか更に一方より考ふれば其發布の憲法に付き如何なる事情を惹起して開會に
先だち何等かの故障を生ずることなしとも云ふ可らず世人が國會に望を屬する所は多くは
積極的に在るものゝ如しと雖も我輩は之に反し消極的を配慮して心常に安からざるを覺ゆ、
〓莫あれ新年は芽出たかるべし其芽出たからんことを欲すると共に一偏に國會の安産を祈
りて止まざるなり
讀者と共に壽を祝す
出版事業の未だ興らりし以前にありては今日の如く新聞紙の便利とてもなければ世人は天
下の事情を窺ひ知見を啓かんと欲するにも常に隔靴掻痒の歎を免かれずして僅に身邊至近
の状態を見聞するに過ぎざりしが文明の進歩は一朝端なく其欠點を補ふの良機關を與へて
より何人と雖も此利を利するものは日本國内は云ふに及ばず遠く海外の出來事までも坐し
て日々の新報に接するを得るに至れり扨かく便利の世界となりたる上は便利は則ち尋常と
變するが故に苟も新聞紙を閲讀せざるものは恰も社會に生存したる甲斐なき樣の姿にして
一日、目を新聞紙上に放たざるときは人生五十年の其一日を損じ二日、目を閉るときは二
日の壽命を空ふしたるものと云はざる可らず即ち出版術の發明は人間の壽命に生きながら
長短の別を與へたるものにして換言すれば新聞紙は人壽の長短を支配すと稱して不可なき
次第のものなれば苟も社會人事の運動已まざる限りは年中一日たりとて休刊すべき筈のも
のに非ず右の故を以て時事新報は一昨年の十一月より元日、大晦日、祝日、祭日は云ふも
更なり通常各新聞社の休業する毎週一度の日曜日も亦是れ人壽の一部分なりと認定して一
年三百六十五日打通し無休刊と定めたることなれば時事新報の讀者は他の新聞の讀者に比
して少なくとも十二ケ月の上に於て二ケ月弱の壽命を加へ而して時事新報は六十號許の紙
壽を増したるの算用なり抑も新舊年を改むれば茲に始めて鳥兎の匇々たるに驚き驚きして
而して徃事を顧みるは葢し人生の習なり新年の慶事忙はしく人の徃來も賑々しき中に於て
我輩は靜に筆を執りて昨年中日本國内に起りたる諸般の事件を回顧すれば政治上に經濟上
に社會上に學問上に交々讀者と共に喜憂すべきもの少なからずと雖も人身に離れ難き壽命
の一點に於て先づ第一に怡悦の情を發せずんばあらず茲に新年の賀儀として人爲に壽命を
増したるの次第を陳ぶると云爾