「雇佛人歸國の風説」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「雇佛人歸國の風説」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

雇佛人歸國の風説

近日來道路に傳ふる所を聞くに佛國にては今回同國士官にして我が陸軍省に傭聘され居る

ものを歸國せしめんとの事に一决して彌々來る廿七八日頃には橫濱を解纜して歸途に就く

向もあるべしと云ふ其由縁を尋るに當初日本にて兵制改革の際は正に佛帝第三世ナポレオ

ンの盛時にして毎事佛國の指南を受け其國人の渥き好意に預りしものが近來は何故にや一

切萬事獨逸に則とるの風となり兵制に至ても今や獨式は漸く佛式を凌駕せんとして自然兩

國よりの雇士官に勢力〓(えい・乃+皿)虚の姿を生じ只さへ慊からざるに况して佛獨の

關係は仇讐相容れざるの間柄にして内實面白からずと云ひ又表向きには日本の兵制が漸く

獨逸式に近づきたるからには日本に雇はれたる佛士官も其獨逸式の下に運動せざるを得ず

左りとは佛國軍人の本色に於て相濟まずなどゝて扨こそ右の如き次第に及びたることなら

んと云ふ者あり固より道路の風説にして其實果して然るや否やは容易に信を措く可らず世

間には之につき前後の方便など種々苦慮する者あるよしなれども若しも事實左ることの有

らんには我輩は猶豫なく之を解雇せんことを望むものなり啻に佛士官のみに限らず都て外

國人を傭ふて事實に不用なるか又は面倒なる事情ある者は其本國の何國たるに論なく同樣

の處分を施す可きのみ元來我國にて外國人を傭聘する其方法は多年我輩の意に滿ざる所に

して海軍は英を師とし陸軍は佛を戴き醫術は獨逸に依るの風を成し而して此三國は歐洲中

にても夙に強大と稱せらるゝものなれば日本にて兵事醫事の改良に付き偶ま此三強國人に

依頼したるは事の内實の如何に拘はらず外面より一見すれば強國なるが故に特に之に依頼

したるの嫌疑なきを得ず之を喩へば男子が權門の娘と結婚したるが如し内實は雙方の情相

通じて夫婦たりしことならんと雖も世間より見て此婚姻は權門の勢力に依て成りしものな

りとの推測なきを期す可らず浮世の人言も亦面倒なりと云ふ可し例へば我海軍に英國を學

ぶは英の海軍が世界隨一たるが故なりと云へば十分の理由なれども始め和蘭を師として日

本の航海術を開きしものが時勢の變遷と共に何時しか其舊師を離縁して今は我海軍に蘭人

の影をも見ざるが如き少しく奇妙にして世間に對し全く嫌疑なしと云ふ可らず左れば佛帝

の落路以來金年に至り我陸軍に漸く佛式を疎んじて他の百般の事例と共に漸く獨逸に摸倣

したるは眞實、事の要用に出でたることならんなれども之が爲めに端なく意外の嫌疑を蒙

るも亦是れ防ぐに由なき次第なるべし畢竟外人を雇入るゝは唯その技藝を利用せんが爲め

のみ苟めにも強國の臣民を聘して竊に歡心を買はんとするが如きは謂はれなきの甚だしき

ものなれば縦來の内實は决して斯る卑劣の趣意には非ざるにもせよ今後外人を傭聘するに

は决して其國の強弱を標準とせざるのみか成るべく此等の嫌疑をも避けて唯その技藝の優

劣と給料の高低とを斟酌し廉價に事を辨するの方針を定むるこそ獨立國の事なれ故に今回

佛國士官の去るは毫も憂るに足らず佛人にても獨人にても將た英人にても之を雇ふて之を

使用するは我國の便利を謀るまでのことなれば雇はれ人の私の利害又その本國の都合は此

方の知る所に非ず苟も解傭して差支なき限りは先方の言を聽くに及ばず傭主より暇遣す可

きのみ思ふに此種の類例は今回の佛士官のみならず獨逸その他の國々より傭入れて今日の

實際に不用なる人物も隨分少なからざることならん彌々不用とあるからには假令へ其傭期

限の半にして給料をば空しく附與するも苦しからず斷然一時に歸國せしめて日本國の事は

日本國人にて處理し眞實外國人の助力を要する部分にのみ傭聘の事を行ふ可し情實の爲め

に官吏の數の多きは既に我政府の苦しむ所なり然るに今この内國の情實に加ふるに外國交

際の情實を以てして不用の外國人を傭ふが如きは吾々人民の堪へざる所なり