「獨逸新帝」

last updated: 2019-11-26

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時事新報に掲載された「獨逸新帝」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

(倫敦エコノミスト抄譯)

獨逸新帝の即位より今日に至るまで僅に七箇月にして其間至て短ければ政略の見る可き者

なきは勿論なれども豫て聰明活溌の聞高くして皇太孫若くは皇太子たる頃より非凡の擧措

多かりしが故に若しも帝位を踐むに至らば其政略必ず人を驚かすならんとは世人の待設け

たる所なり新帝の齢は今年三十にして血氣正に盛なれども從來大に其氣力を示す能はざり

しは全く故の老帝が獨裁の權を握り内外の事を專决せしより皇太孫も之に喙を容るゝの機

會なかりしに因る者なるに今や新帝は此覊絆を離れて羽翼を延すの時に會し即位の初め陸

軍一般に下したる勅諭にも親ら兵馬の權を統率して兵士と利害休戚を同ふするの意を示し

其後ち前の陸軍大臣を罷めて新規の人を登庸し其他各師團の指令長官も大半は新帝の即位

と與に交迭あり参謀長モルトケ伯の職を罷めたるは一は老衰の爲めならんと雖もウオルダ

ルシー伯の之に代りたるは新帝の意を承けたるに疑ある可らずウオルダルシー伯は新帝の

眷顧を得たる武人にして今後ビスマークの辭職するに於ては新帝は伯を擧げて總理大臣に

爲すならんとの風評ある程なれば陸軍部内にも勢力の大なる思ふ可し又新帝は陸軍訓錬の

方法を變革し更に歩兵擴張の議を出し兵數を揩オ組織を改め且將校をも撰拔黜陟して歩兵

の力を歐洲第一ならしめんと計畫し又親ら海軍を檢閲して將來大に之を擴張するの跡を示

したれども即位後未だ間もあらざれば着手に至らず然れども其政略は海軍を以て獨逸帝國

の一大權力と爲すの考なること世人の信ずる所なり宗敎に對するの政策は不干渉の旨を示

しオルソドツクス派を保護せざるを明言し實際の政略も亦その事實を表したり次に外交政

略を如何と云ふに露國の關係を密にせんことを欲して自ら露帝を訪問し次で墺太利帝を尋

ねて途次獨逸聯邦諸王國の君主にも會合し更に伊太利に赴き國王並に法皇に面接し終て又

英國に行幸の風聞あり而して其途中には佛國に立寄り重なる政治家に會合するは新帝の憚

らざる所なりと云ふ斯の如く天子自身にして朝暮旦夕の間に諸列國を歴遊したるは古より

殆んど其例なき所にして尋で伯林に歸らば老相ビスマークと雖も恐くは新帝が歴遊の間に

〓〓る新智識に驚くならん又途すがら新帝の擧動を見るに實に獨裁〓〓の君主にして其放

言到らざる所なきが如し例へば〓〓〓帝訪問の際、宴會の席に於て新帝の爲したる〓〓は

〓〓なる天子の日に〓すま〓き所にして淡泊洒落は兎も角も其擧動は沈默静謐に乏しと云

ふ可し次に内國の有樣を如何と云ふに新帝の眷顧を得たるドーグラス侯が撰擧區民に訴へ

たる演説は人をして豫め新帝の意を承けたる者ならずやと疑はしめたり或は然らざるもド

ーグラス侯は平生新帝に見えて其意見を聞き偶然これを撰擧區民に告げたるは明白の事實

にして即ち侯の言に據れば新帝は人民の阿諛諂侫を悦ばざれども勉めて偏頗の念を去り宗

敎の事の如きは最も公平の處置を敷くべし又人民に對しては多數の利害を旨とし社會上の

問題に其思想を注ぎ内外の平和を祈るは新帝の政略なりと明言したり又新帝は國民自由黨

の總理ベンニングセン氏を引見し朕は一黨派の天子ならず人民を見ること一視同等にして

殊に材能に富み愛國の心深き人なれば都て之を認識するを喜ぶ者なりとの意を陳べたり内

外百般の政治に關する新帝の擧措は活溌輕快にして即位後七箇月の運動の斯く忙はしき邊

より見れば將來の政策も亦必ず人の意表に出づる者ある可し 

然れども新帝にして強て百事を專决せんとする時は有爲の人は恐くは其下風に立たざる可

し人を見るの明と人に任ずるの大量とを具ふるに非ざれば因循優柔の政治家のみ事を執る

は必然にして從て其政略も退歩すると與に共に偶ま失敗あれば人民は一にこれを新帝の所

作に歸し甚しきに至りては歳の豊凶を擧げて新帝の政略に依る者なりと爲すが如きは愚昧

なる今の人民の免れざる所なり又宰相に其人を失ふことなしとするも國會の紛擾を釀すは

明白の事實にして殊に獨逸の人民は不屈の精~に富み今日までも老帝の政略に抵抗を試み

たること少なからず新帝は未だ老帝ほどの威コ人望を備へざれども一天萬乘の天子として

人民を見る時は國會議員等の反對は暴逆罪犯に均しき科なり壓制を加へざれば不遜の人民

は御し難しと云ふが如き筆法にて下民に臨まんとするに於ては下民はu々不平を鳴し軋轢

いよいよ甚しくして底止する所ある可からず即ち新帝の才力は拔群なるも歳尚弱くして未

だ其權力を振ふを許さゞるに尚ほ之を事とせずして進んで内外の政治を獨裁せんとするは

上下の不和を釀し國の不幸を生ずるの媒介たるべし要するに新帝の擧動の輕躁を免かれざ

るは全く世事に長けざるの故なるのみ帝の爲めに考ふるに今後の十年間は無爲の政策を取

り隱然人望を収めて而して後ち大に事を爲すこと得策なりと信ずるなり