「酒茶煙草珈琲の功能」
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時事新報に掲載された「酒茶煙草珈琲の功能」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
左の一篇は北米批評雜誌に掲載したる米國の醫學士シーヤレ氏の説にして原文は
Sedentary Men And Stinulants と題し平生坐業を事とする人は腦髓を過勞して之を消耗
すること多きが故に酒、茶、煙草、珈琲等を用ひて之を防ぐべしとて其防消の功能を論じ
たるものなり彼國にて酒煙草等の害を鳴らすの聲は頗る喧しく近來は我日本にても其〓に
傚ひ禁酒節酒など稱して頻りに酒害を説く者もあるよし大酒暴飮固より宜しからず古來世
の誡しむる所なれども左ればとて唯その害を擧るのみにして其功を忘るゝが如きは學者の
事にあらず偶ま米國の醫學社會に本論の現はるゝあり依て之を譯して社説に代ふ
今の世に不消化病又は膽液質病など稱する病は甚だ少なからざる中にも取分け坐業を事と
する人に此病の多きは爭ふべからざる事實にして記者の知る所にても戸外の勞働を職とす
る輩が此種の病に罹りて苦痛を訴へたるの例は極めて少なく其病氣と云へば必ず身體中の
機關に係る眞實の病にして謂ゆる所勞不快など云ふ類にあらず然るに坐業者の疾病は毎に
漠然身體氣分の不加減を感ずと云ふに在るが如し今その不加減の次第に搨キして遂に深憂
大患に陷りたる有樣を述ぶるは茲に不要なりとするも此人々が斯る不幸の極に立至りたる
次第は我々の深く注意を要する所なるべし如何となれば此種の病患たる其身體と共に精~、
品行をも腐敗せしめて啻に一身を傷ふに止まらず併せて其害を他人に迄及ぼす尚ほ其上に
病に罹る者の多くは有力有爲の人物にして社會の上流に立つべき人々なればなり然るに今
この患を避けんとすれば全く之を避るに難からず又或は之を輕減するの道もある可きに世
人の之に注意を怠り坐して彼の大敵をして日々吾同胞を蠶食せしむるはu々悲しむべきの
至りと云ふ可きのみ世の諺に才幹を養成するものは十分なる健康に外ならずと云ひ又確か
なる思慮、誠なる感動、明かなる分別は健康なる體の仕組より生ずるものなりと云ふ、不
十分なる胃腑肝臓にて支へられたる腦髓より高尚立派なる思慮分別の出るを望むは恰も調
子の狂ひたる樂器より優美なる音調の發するを望むと同樣の談なるべし盖し詩歌哲學宗教
等の如き人間一種の天才は全く健康の人に屬せざるが如きもの〓々これなきにあらざれど
も斯る幻想は抑も亦人事の末にして彼の脾胃〓肝なる哲學者、宗敎家、改革家等が古來今
に至るまで此世界に於て何等の偉業を奏したる事かある、抑も胃と肝との消火機は身體の
堡障とも云ふべきものにして生命を養ふ所の食物はこの二關を過て消化を受くるにあらざ
れば其功を成す能はざるは勿論、若しも二機關の働にして全からざるときは害を全身に及
ぼすものと知るべし左れば今茲に不消化病及び膽液質病は坐業の人の特疾なりとして扨其
特疾なる以所は如何、其療法は如何、もしも之を療するの術なきときは極度に輕減するの
法如何等の問題は我々の須らく研究すべき所なり盖し其病源たるものは種々あることなら
んなれども重もなる原因は坐業を事とする人に避くべからざる習慣として食物の分量と消
化機の所要との間に存する關係を破るに在り此事たるや世人の左まで疑はざる所なれども
今詳細なる證據によりて其然る所以を示さんとするに當り先づ生理學上の學説より始めん
に不消化病とは食物の不消化即ち消化するに苦痛難儀を感ずることにして又膽液質病とは
肝臓の働き全からざるより起り其徴候は種々樣々なれども茲に詳説するの必要なければ之
を略し扨生理學上の説に據れば人間身體の組織は終始新陳更代するものにして又或る組織
もしくは機關を使用すること甚しければその消耗の度を揩オ隨て其部分の欠を補はんとす
るの要ますます急にして其消耗を補ふ所の物は適當に消化したる食物より來らざるべから
ず左れば過剰なる筋力の運動は過分なる排泄物を生じ隨て其部の消耗を補ふべき過分の新
物料なかる可らず勞働して汗して水を求るが如し故に人として其腦髓を過勞するときは大
に~經組織の消耗を起し其補欠を要するの道理も亦明に見る可し盖し食物の成分は定まり
たるものにして一口の食物にても其中の成分を問へば皮膚に何程、筋肉に何程、腦髓に何
程と云ふ如く夫々相應の榮養分を含むものなれども之を人々の取捨に一任して飮食せしめ
以て宜しきに適す可きや若しも之をして適宜ならしめんとするには第一に其人は本來圓滿
健康ならざる可らず第二に其人は生活の方法に於て厘毫も生理に背くことある可らず然り
而して今の世界に斯る十全の人物ある可きや否や我々の見ざる所なり (以
下次號)