「巴奈馬運河會社」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「巴奈馬運河會社」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

巴奈馬運河會社

岩本述太郎 草

佛國の巴奈馬運河會社が資本に不足して殆んど救ふべからざるの厄難に陥り社長レセツプ

氏以下役員の辭職したる當時騒擾の摸樣は此程の雜報欄内に掲載せりレセツプ氏は蘇西運

河開鑿以來經驗と名望とを兩手に握り曩に大統領撰擧の折は候補者の一人に撰ばれたる程

の勢力を以て巴奈馬運河開鑿の大業を成就せんが爲めには自ら大難の衝に當り種々樣々の

反對論を破りて八十餘歳の老體をも顧みず奔走に千辛萬苦し漸く今日に及びたるものなる

に人事多くは意の如くならず氏も始めより斯く迄困難なるべしとは思はざりしならんに工

事の進歩は甚だ鈍く費用は益々増加して終に流石の老練家も施すに策の盡きたる事なるべ

し大藏卿ペートラル氏が議院に提出したる運河案即ち會社の仕拂を三箇月間猶豫し其間に

救濟の方法を講ぜしめんとの原案の廢棄されたる時レセツプ氏は顔色青ざめ兩手冷え渡る

までに失望したりと云ふ僅かに殘る恃みの綱の絶え果てしと聞いては實に左もあるべき事

にして氏が社長を辭したるは猶ほ死したるが如しとの世評も不當とは云ふべからず偖此人

ならば大丈夫と國人一般に信任せしレセツプ氏が失敗したる今後の工事は如何に成り行く

べきや此儘にして止むならんか或は繼續するならんか我輩の聞く所に據て推察を下せば此

儘にして止まざること勿論なるべしと云ふも若し繼續せんとならば是非とも既に消費した

る資本の高若くは利子を大に減じて會社の負擔を輕くせざるべからずレセツプ氏の豫算に

從ふも運河竣功の後、之を通過する貨物は一年七百五十萬噸内外に過ぎざるに合衆國人は

ニカラガ共和國にカラガ湖の兩端を開鑿せんとて殆んど巴奈馬運河と同樣の計畫あり既に

其議も整はんとする勢にして若し彌々成就するに至れば兩運河の間に大競爭の起るや必然

なる尚ほ其上に加奈多、北、共同の三太平洋鐵道あり勿論南亞米利加西海岸より歐洲へ送

る貨物は巴奈馬運河を通過するに相違なかるべけれども合衆國西海岸の貨物は太平洋鐵道

に依頼し濠洲、支那及び我國の貨物はニカラガ、巴奈馬、蘇西の三運河と三太平洋鐵道の

内孰れにても便益なる方を撰ぶならん果して然らば運河開通の後、工費と比較して法外の

利益を望む可らず法外の収利なければ資本家を誘ふの力弱く、資本家を誘ふの力弱ければ

工事の繼續容易ならざるべし左れども又一方より視れば運河開通の利益も亦少小ならざれ

ば會社の負擔を輕くして工事外の費用を大に減ずる時は資本を得るに難からざるべし今の

株主及び金主も止を得ずと覺悟して結局は其策を承諾するならんか或は運河を一種の聯合

工事と爲し合衆國、獨逸、英國等を誘ふて佛國と共に工事の勞を與にし開通の後に至れば

通過船舶の噸數に應じて支配權を分配せんとの計畫ありと噂すれども左る計畫は實際に行

はるべきものにあらず如何んとなれば第一合衆國の同意を得ること難くモンロー ドクト

リン と稱して南北亞米利加へ歐洲諸國の理不盡なる干渉を許さゞる規則あるが故に英獨

諸國とても合衆國が同意せざる時は容易に其意に反して工事を分擔すべしとも思はれざれ

ばなり然りと雖も事の大勢上より觀察して斯る大工事の中道にして永く止む可きにあらざ

れば其繼續の計畫は何れの道よりするも必ず起ることならんと斷定せざるを得ず我輩は讀

者と共に後報を待つのみ