「銅買占組合の運命如何」
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時事新報に掲載された「銅買占組合の運命如何」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
銅買占組合の運命如何
佛國の商人が相謀りて一の組合仲間を設け世界中の銅を一手に買占め其價を左右するの
一事は目下經濟社會の一問題にして議論少なからず其填末は曾て本紙上にも記載したる事
ありしが近著の米國發兌のネーシヨン雜誌中に其組合の運命を論じたるものあり依て左に
之を譯出す
佛人セクレタン及び其組合仲間が世界中の銅を一手に買占めたる事に就ては世間の議論
區々にして遠からず填覆の運に陥るべしと前言するもの多きが如し盖し當今銅の價、頗る
廉ならずして之を使用するの道、未だ廣からざるが故に其産出の額は常に消費の額に超過
して市に沽れざるの殘額絶えず増加するの現状なれば世の議者がこの有樣より推論して銅
買占の組合は結局破産に至るべしと論斷したる事ならん成程銅の産出額と消費額と相平均
せずして市塲の殘額次第に増加するは事實相違もなき事なれども右の論斷は中たるものと
云ふ可らず當今有名なる經濟學者レヴヰレー氏の説にもこの殘額の増加は組合の弱點たら
ずして却て強味の源たるものなりと云へり其次第如何と云ふに銅の最近の産出額と其價の
成行とを參考すれば最も明瞭なるべし近來銅山の發見に加ふるに採掘法の進歩したるを以
て俄に其産額を増し僅々十五年間に二倍の多きを見るに至れり勿論その消費額も之に隨て
増したる事なれども其増加は産出の多きが如くならずして二年前銅の價、非常に低廉なり
し時にてすら消費額に比して産出額の多かりし事は年々五萬噸に近かりしと云ふ其節倫敦
市塲の價は智利産のものにて一噸四十磅前後即ち一片の價九仙内外までに低下し此價にて
は到底引合はざるを以て大抵の銅山は成るべき丈け手を縮め中には全く廢業したるものも
ありし程の次第なり而して彼の組合仲間は恰も此折を以て事を始め最廉の價を以て市塲に
殘留せる五萬噸の銅を一手に買占め之と同時に世界中の重立たる銅山の所有主と爾後三年
間相應の高價を以て産額買人の事を約し其約束に據るときは一噸六十五磅の割合にして當
時の自價を以てすれば賣主の爲に大に利得ある如くに見えたり組合は此方法に由りて世界
中毎年の産額五分の三を買占め殘り五分の二を産出する銅山の所有主は何れも微力にして
十分獨立の働をなすこと能はざる者共なりしかば組合は恰も世界の銅を悉く一手に買占め
たる姿にて之が爲め銅の價は俄に騰貴して一噸八十磅の價格を現はし爾後今日に至るまで
下落の色なし中には賣崩を企てたる者ありて組合より殊更に高價を以て買取りたるもあれ
ども兎に角に前記の價格は歐洲一般に普通なる姿を成すに至れり然るに兩三年前低價の時
節に於てすら消費の額は常に産出に及ばざりしことなれば爾來特に殘額の多かる可きは無
論の譯にして今組合が相手とする所の銅の産出全額を年々二十五萬噸(其中十五萬噸は組
合の買占めたるものなり)とすれば年々の消費額は二十萬噸に上らず故に其價を持續せん
とするには殘額を買占めて然かも永き間これを手離さゞるの覺悟なかるべからず若しも組
合が最初の年に五萬噸を買占めたることならば約條の終り即ち三年目には其庫中に二十萬
噸を堆積す可き勘定なり此事に就き第一の疑問は組合が左る巨額の資本を有するや否の一
事なれども是れは掛念に及ばざる事なるべし何となればこの約條に從ふときは一噸に付き
十五磅の利益を以て年々十萬噸の銅を賣拂ふことを得べき筈なるが故に假令へ其代金のみ
を以て一噸六十五磅の割合にて五萬噸の銅を買入るゝこと能はざるも之を利用して十分の
働をなすことを得べければなり但し三箇年の條約期限盡きたる後に組合の有樣は如何なる
べきや、期限盡きて品物の價は世間の自由競爭に任するも組合の事業は能く今日の如く繼
續し得べきや、組合が今日一時の利益も他日その價の下落と共に水泡に歸せざるべきや否
やの疑問に關し世間多數の論者は何れも不幸の結果を期せざるものなしと雖も實際は必ず
しも所期の如くなる可しとも思はれず世界の銅の斯の如く一處に充積したるが爲め其商勢
は容易に自由競爭の自然に復する能はずして銅山の所有主は約條期限の終りに至りても勢
に迫られ組合には便利にして産出者及び消費者には不都合なる約條を重ねて結ぶに至るや
も圖り難し從來の成迹を以てすれば組合は既に一噸に付き十五磅即ち總計四百五十萬磅の
利益を得たるものにして今猶ほ其手元にある二十萬噸の銅は其中の五萬噸は四十磅其他は
六十五磅の價にして買入れたるものなれば若しも組合が三個年の終に至り所藏の額を一噸
四十磅の割合にて賣拂ふとするも全體の上に於て猶ほ利益あること左表の如し
買 價
五萬噸の價(一噸四十磅替にて)二百萬磅
四十五萬噸の價(一噸六十五磅替にて)二千九百二十五萬磅
右合計三千百二十五萬磅
賣 價
三十萬噸の價(一噸八十磅替にて)二千四百萬磅
二十萬噸の價(一噸四十磅替にて)八百萬磅
右合計三千二百萬磅
是に由て之を見れば組合は所藏の銅を一噸三十磅即ち一斤七仙に賣却するも猶ほ且つ倒産
に至るが如き患なきを知るべし扨かゝる事の次第にて銅山所有主の情態は如何と云ふに從
來の經驗に據れば當今歐洲の時價なる一噸四十磅にては採掘の費勞に引合ふもの極めて稀
なるが故に所有者の今後の覺悟は現に其手に二十萬噸の銅を有し之を一噸四十磅もしくは
三十磅の低價にても賣拂はんとするの勢ある組合を相手に取り之と競爭するか或は組合の
所望の通りに新約條を結ぶか二者その一に居らざるを得ず斯る事情なれば組合は恰も銅を
左手に握り右手に所有主を弄して自ら好む所の約條を結ぶ可き地位を占むるものにして既
に歐洲の銅山中には組合と新約條を再訂しつゝあるものもありと云ふ勿論その約束の箇條
の如何なるものなるやは未だ知る能はざれども兎に角に組合は其約條を利用して爾後年々
産出額の過剰を防ぎ又は其價を下落せしめて以て世間の需用を増し之と同時に組合と約條
を結ばざる所の所有主に不利を蒙らしむる事を得べし何れにしても其結末は組合をして今
日よりも更に勢力を逞うして銅の産出者は常に其制を仰て利益を專にすること能はさる可
し然りと雖も此結果にも又三條の變相あることを忘るべからず第一この事を行はんとする
には十分の資本を要することなれば若しも組合にして資本に乏しきに於ては救ふ可らざる
の始末に至る可し然れども組合が其資本に乏しきや否やは未だ知るべからざる所なり第二
に所有主中には其銅脈十分にして市塲に跋扈するに足るべしと信じ以て組合と競爭を始む
るものなしとも云ふべからず然れども現在組合の手中に在る銅額の十分なるを見れば容易
にこの事ありとも思はれず且つ所有主にして眞に之を實行せんとするには獨り組合一個の
みに止まらず更に他に競爭せんとする者に向て一々爭ふの覺悟なかるべからざれば旁々以
て困難なりと云ふべし又第三には銅山の新發見ありて獨立の産出額を増し組合が一手買占
の手段も之が爲めに妨げらるゝに至るべしとの懸念なきにあらざれども然れども目下屈指
の銅山中には差當り新發見の望あるものとてはなく其他の微力なるものに至ては恐るゝに
足るものあるべからず左れば是等の所有主の爲めを謀るに進んで組合と爭はんよりは現時
の高價を利し其所得を賣るの大利あるに如かざるなり以上の事情を以て考ふるときは銅買
占組合の位置は世人の一般に想像する所よりは更に確實なりと云ふ可きものなり