「宗教家の運動」
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時事新報に掲載された「宗教家の運動」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
宗教家の運動
原人以來世に宗教ありて其綱紀作法は種々相異なれども之によりて人心を和らげ秩序を保
ち次第次第に進化發達して世の殺伐不人の極弊に陥るを制御したるに至ては何れも皆相同
じからざるはなし即ち今日に於て文明と稱し開化と唱へて親戚知己の交際より家内の起居
に至るまで濫に人情の外に逸出せざるに至りしものは皆是れ宗教勸化の力にして人間私徳
の領内に於て廣く其効益を奏せし所のものなり之より以上國の政事に對し又郷黨の相談に
與りて所謂公徳に屬する運動も同じく宗教の勢力に影響せられて漸く累進化醇したるは是
れ亦疑を容れざる事實なりとす勿論事物の常數として利弊交々相伴ふの習なれば宗教とて
も時に人事に弊害を及ぼさゞるには非ざれども親愛、忠恕、好意等諸々の吉徳をして數百
年來未だ全く地を掃ふに至らざらしめたるのみか益々これを伸暢せしめて世の徳風を裨補
し今も猶ほ裨補しつゝあることなれば我輩は心を現今將來の道徳に寄すると共に飽までも
宗教の要用を認むるものなり然り而して宗教が人間の道徳を教導するに當り私徳と公徳と
何れを先にし何れを後にすべきやと尋ぬるに先づ第一に居家の私行を修め其根據を固くし
て然る後に處世の公務に及ぶべしとは多年來我輩の持論にして葢し事の順序正に斯の如く
ならざる可らざるを信ずればなり特に近來我國の徳風は日に益々萎〓(草冠+靡)に傾き
外面には著るしき醜體を顯はさゞるが如くなれども内行の修まらざる却て在昔に劣り文明
の狂熱徒に不倫の氣焔をして熾ならしめたるの觀なきに非ざれば苟も徳教に志ある者は主
として人の私行に注意を惹き之が矯正の法を講ずるころ正に今日の急務にして社會の爲め
に謀りて洵に眞實なるものと云ふべし然るに日本にては古來政治に偏重を置き人生の榮譽
も諸般の事業も一に政府に輻輳して政府は即ち是れ國、國は即ち是れ政府と云へるが如き
意味不分明の状態にありて然かも其光明は十方世界を遍照せしとなれば世に高潔なる佛教
家の如きも布教に熱心するの餘、時としては陰に政府の庇蔭に倚らんとせし者も少なから
ずして其體面を傷けたること往々なりしに近頃に至ては更に一歩を進め富〓を後楯とする
に止まらずして恰も之を先鋒と爲し〓〓愛國など稱して〓〓披露するを憚らざらん〓〓〓
〓至〓り抑も〓〓の本色は前にも述べたる如く〓〓の〓〓〓〓〓〓〓に在りて殊に佛法の
如き〓進の〓〓〓〓〓〓帶を〓〓又は〓〓山門に入るを許さずして〓〓に門前に標示する
などは皆是れ私徳を尊重するの餘、凝て此極に到りたること明白にして忠君愛國の如き處
世の公徳に屬するものは要するに唯私徳の發達を待つに外なかりしや知るべきのみ左れば
陰より陽に、後楯より先鋒にいよいよ進んでいよいよ本末を忘れ誤謬の溝渠をしてますま
す廣からしむる今の佛教家の心事こそ不審の至りにして佛教の前途の爲め否な私徳の發達
の爲めに我輩は何分にも心に樂しからざるを覺ゆるものなり今の佛徒は知るや知らずや昔
の高僧の言に表に王法を尊び内心に佛法を信ずと云ふことあり其心自ら高遠にして無限の
味ありと雖も今は則ち然らずして佛法を擁して王法に結託せんとするやの趣なきにあらず
前言の語法を借用して之を評すれば表に佛法を奉じ内心に王法に媚ると云ふも不可なきが
如し清淨深遠なる佛法の爲めには誠に氣の毒なる事共にして心ある者は轉た今昔の感に堪
へざる所なるべし故に我國の佛教家たる者は喙を公徳の領内に容れて濫に衆生濟度に盡力
せんよりは寧ろ私徳の點より其身の行状を省み自ら潔ふして以て世に徳行の模範を示し風
教の改良に一助を與へんこと我輩の望む所にして佛教の爲めなり又國の爲めなるべきを信
するものなり