「東京府高等女學校」
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時事新報に掲載された「東京府高等女學校」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
東京府高等女學校
東京府は昨年十二月二十八日の府令を以て東京府高等女學校を京橋區南小田原町に設置し
校則を定め校長を撰み諸般の準備も昨今に至り大半整ひたるよしなれば開校の日は近きに
在る可し女子教育の事に關しては我輩聊か素論なきに非ざれば序ながら記して識者に質さ
んと欲するなり
女子の學問教育を盛にするは我輩の賛成する所なれども男女の性質習慣を異にするに拘は
らず強ひて之を同一の門に入れんとするは固より難きのみならず尚ほ其上にも講堂の授業
に依頼して女徳を養成せんとするが如きに於ては更に論ずる所なきを得ず抑も學校の教育
は智識を磨き就業の才を作るが爲めに大切なりと雖も品行徳躁を修むるの目的を達せんと
するには其運動遲緩にして容易に實効を見る可らざるの常なれば徳育の事は別に方法を設
けて講堂の授業は專ら智學の一科を主とするの外ある可らず或は學校の教とて間接には生
徒の不徳怠惰を防ぎ又その勇氣節操を養ふに足る可きものもあらんなれども直接に人の徳
義の模範と爲り品行を進むるの責任は智學に專らなる教師其人に求む可らざるや明なり特
に婦人の徳に尚ふ所は男子の如くならずして徳義の静體に屬する部分多ければ專ら温良貞
實〓雅淑順の資を重んじて彼の剛毅膽勇活溌果敢など云ふ徳の動體に關するものは唯男子
に相應す可きのみ故に今公共の學校に假令へ徳育の備ありとするも靜體の徳を重しとする
妙齢の女子を其講堂の中に驅り以て有徳の淑女を作らんとするの希望は或は空しからざる
を得ず我輩の特に疑を存する所なり女子師範學校の如きは專ら學校教師たるに適當の女學
生を養ふ所にして國中の初等教育を盛ならしむるが爲めには大切なる可し又女子職業學校
は其目的異なれども智學の一方を旨として手工技藝を授け婦女子をして衣食の途に就かし
めんとするには必要なる機關なれども抑も一家の内君と爲り慈母と爲り温良淑實にして子
女を養育し家計を總べ厘錢出納の微、衣食庖厨の煩を司る有徳の婦人が榮して公共學校の
門に出づ可きや從前の實例に據れば先づ稀なりと云はざるを得ず講堂に師弟相面して人倫
道徳の旨を學ぶは至て容易なれども雙方の情相通じて無盡の〓に〓風の薫〓るものあるに
非ざれば〓〓〓を一〓の〓として研究したる〓〓にして〓躬行〓〓は容易にて〓〓〓可ら
ず〓〓〓〓〓〓〓暫く教師の〓〓を憚り〓〓〓〓〓裝ふこと〓〓〓〓と雖も一〓の假〓、
固より頼むに足らずして却て天眞を〓(そこな・牀のつくり+戈ふの恐あるのみならず講
堂群居、寄宿舎雜住の結果として女生徒の徳性は靜體より動體に移り起居動作の活溌なる
こと男子を凌ぐに至るは西洋諸國の女學校に於ても免れざるの弊惡なりと云へり我輩は女
子教育の必要を信ずる者にして殊に日本の婦人は優美の徳性に富むの代りに大切なる智育
に至りては千百年來全くこれを度外にしたることなれば今日その教育を盛にして知識の足
らざる所を補ふの工風は誠に然る可しと雖も世の女子教育を論ずる人が女學校は智育の門
に止まらずして徳性養成の地たる可しと云ふに於ては議論は兎も角も實際は如何にして其
目的を達す可きや疑はざるを得ず故に始より女子の學校教育は智育專門の府と爲し女徳の
教成は學校の門に於てせずして他の方法に依頼するこそ却て實際に効ある可しと我輩の信
ずる所なり東京府の設置したる女學校は其校則に示すが如く「優良にして有用なる婦女を
教育し兼て又教育を重視する女子の爲めに必須の學科を教授するの目的」なれば其校の盛
否は都下妙齢の女子の爲めに今後の關係少しと云ふべからず而して其旨とする所は學校教
育を以て智育一方の用に供せんとする者なるや或は又然らずして女徳養成の手段なるか我
輩これを知らずと雖も開校後の實際に注目し或は他日再び徳育の事を記して大方の教を乞
ふことある可し