「金錢政府」
このページについて
時事新報に掲載された「金錢政府」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
去年十一月二十二日發兌米國の雜誌ネーションに今回彼の國大統領撰擧の事に付き左の説
を記したり
此度大統領の撰擧に合衆黨の勝利を得たる原因に付ては世上に種々樣々の臆説を逞ふして
一致せざれども爰に論す可き二條の事實ありて此事實に付ては世論も殆んど一致するも
のゝ如し即ち其一は今般合衆黨の勝利は大製造地方の職工勞働者の投票に由て得たるもの
に非ずとの事實にして此輩が關税減殺の爲め其賃錢の下落せんことを恐れて共和黨に反對
す可しとの世人の臆測は全く過なりき又第二は今回の撰擧に於る程金銀を費したることは
米國の歴史上に未曾有なりとの事實なり或る計算に由れば合衆黨が此度費したる金額は三
百萬弗なりと云ふ最も低き計算にても之を百萬弗以下に評するものなし但し合衆の委員が
最終の一週間に四十萬弗を要求したるを以て見れば其三箇月前よりの總入費三百萬弗と云
ふ方眞實に近からんと思はるゝなり
扨又共和黨は幾何の金圓を費したるに我輩これを知る由なし我輩は固より同黨を偏愛する
者には非ざれども同黨は反對黨に比して金を得ること遙に少かりしは疑もなき實事なり何
となれば同黨中には撰擧に付き大なる利害を感ずる富豪者少ければなり顧ふに共和黨も出
來る丈は勉めて金力を使用したるならんなれども十分の働を成し得ざりしものなり但し現
政府に於て此度は殊勝にも官吏より撰擧費を取り立ることを止め又大統領は自ら多額の寄
附金を出して惡例を起したれども其例に傚ふて進で金を寄附する者は甚だ少かりしと云ふ
右の如く共和黨の金を使用すること少かりしは別に事情の在て然ることなれば我輩は今両
黨の費したる金額の多寡を見て直に其コ義の優劣を評せんとする者に非ず我輩は唯今後合
衆國の大統領撰擧の時の心得として今回の如く撰擧の方便に莫大の金額を投して思慮なき
小人輩の手中に落したる事實を讀者に知らしめ其注意を引起さんと欲する者なり、大統領
撰擧は恰も政府の競賣にして何黨にても金を多く出したる方に之を買取ることを得るもの
なりと云ふも過言に非ざる可し而して此惡弊の今回の如く甚だしかりしことは既往に曾て
無き所にして又今後u々攝iの勢あるものゝ如し千八百八十四年の撰擧に際しジエー グ
ールド(米國有名の金滿家)がブレーンの爲めに五萬弗を出したることあり當時は頗る評
判なりしが今年の撰擧に此類は决して珍しからぬことなり都と此世界は日にu々金の權力
に壓倒せらるゝ時勢にして諸般の事物年を逐て費用の揩エるものなし紐育の近傍の一村に
黒奴七十五人あり此輩は大統領撰擧の度に其投票を賣ることを常とせる者なるが投票の定
價今迄は一個に付二弗なりし所今年は俄に騰貴して五弗となり之より以下にては賣ること
叶はずと主張して遂に銘々五弗宛を得たる由なり
撰擧に際して投票を賣買するの弊は獨り米國に限るに非ず英國抔にても一時は中々容易な
らざることなりしかども同國にては巖重なる法律を設けて候補人及び之に關したる人々は
裁判所に出て誓の上其金銀出納の詳報告を爲さしむることに定めたる爲め大に其弊を減し
たり又英國にては撰擧の入費を法律にて相當の金額に限り又撰擧人をして極秘密に投票せ
しむるの規あり
盖し何れの國にても人民が公然金滿家に支配さるゝことを欲せざる以上は右英國に於るが
如き巖法を以て其專を防ぐこと必用なる可し又若し人民が斷然决意して金錢政體
(plutocracy)を實行せんと欲するか然らば即ち撰擧抔の如き迂遠極りたる無用の手段は全
く之を廢し其代りに政府交迭の期來れば先つ廣く天下に布告して次回の期限中政權買取り
の入札を爲さしむ可し而して開札の上入札の金額最高なる者に政府を讓り渡して可なり此
方法を以て今日現行の腐敗したる仕組に此すれば道コ上却て勝りたるものなる可し
終に於て一言す今日尚既往の風習を守り撰擧の節は專ら口と筆とを使用して公衆の道理に
訴へ其感情を引起し以て我黨の主義に導かん抔と企て居る者は須らく眼を開て現在政治社
會に於ける金錢の勢力に注意す可し今日に於て速に豫防の策を講ずるに非ざれば他日又如
何ともす可らざるに至らんのみ
右書中の所記に從へば去年大統領の撰擧に合衆黨の勝利を得たるは勞働者が自利保護の爲
めに投票の多かりしが故にはあらずして其實は合衆共和の兩黨が財を散して勢力を買ひ其
散財の多寡に由て勝敗を决したる者なりと云ふ隨分苦々しき談なれども多年來既に成りた
る習慣なれば一朝にして之を改めんとするも容易なることにあらざる可し然るに此事たる
や外國の政治に行はるゝ惡弊にして吾々に於ては痛痒なきに似たれども又退て考れば大に
然らざるものある其次第を陳べんに我國にも明年は國會開設の期と爲りて議員の撰擧は今
年に始まることならんに本來眞似主義の流行する日本の政治社會に於て西洋流とあれば一
も二も其例に傚ひ遂には議員の撰擧に錢を用るも亦文明の西洋流なりなどゝ説を作して言
ふ可らざるの醜體に陷るなきを期す可らず世間に傳ふる所を聞けば今日縣會議員の撰擧に
就ても或る地方にては既に錢の沙汰に及びたるものもありと云ふ霜を履で堅氷至る縣會に
於て既に然るときは國に於ても亦必ず然らざるを保し難し近日發布の憲法には固より其邊
の豫防も十分なる可しと思へども實際に於ては尚更注意を加へ錢の沙汰をば巖重に禁止し
て惡習慣の搨キを其未だ發せざるに防ぎ永遠に我帝國會議の體面を汚すなからんと我輩の
今より祈る所なり