「貧民の保險貯蓄」
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本文
貧民の保險貯蓄
社會は貧富の劇塲にして文明の進歩と與に其等差次第に分れ幸いなるは隻手を以て鉅億の
産を造れども不幸なるは一家數口の腹を滿すに物なくして飢餓旦夕に迫りその差愈々隔絶
して殆んど際限なきが如し要するに優勝劣敗の作用にして人事の數の免かれ難き所ならん
と雖も公衆全體の利害より考ふる時は畏るべきの弊なきにあらず即ち貧者は富者を敵にし
て其財産を分たんとする議論にしてこれが爲めに社會現在の組織を變革し所有均一の法を
設く可しと主張し甚しきに至りては公然たる破壞手段を用るもの是なり近來西洋諸國にス
トライキと唱へ職工の相連合して其業を中止し以て雇主を困しむるも其一例ならん聞く所
を以てするに職工同盟は猶ほ臨時の祭禮の如き者にして今は殆んど歐米一般の流行と成り
彼輩の常に之を行ふ所以は唯、一時の不平を慰むる手段に過ぎずと云ふ元來貧富の爭に於
て雇主に最後の勝を制せらるゝは勿論にして特に飢餓旦夕を保つ能はざる貧民なれば一日
の業を休むすら容易ならざるに况して數日を空過するに於ては糧食缺乏の爲めにも同盟維
持の策、行はれずして敗北たるや疑なし此理由は職工自ら悟らざるに非ずと雖も此手段に
據らざれば己れの不平を慰むる能はざるが故に不利敗北を期しながら腹癒の爲めに之を行
ふ者なるべし要するに罷工同盟の行はるゝは貧富不均等の著しき證據にして社會黨共産黨
の如きは更にその罪を現在の社會に歸し其組織を改むるに非ざれば人民の幸福を進むる能
はずと爲し以て破壞説を唱ふるに至れり社會主義共産主義と罷工同盟とは同一ならずと雖
も由て起る所の原因は貧富不平均の爭にして只五十歩百歩なるのみ
社會主義の最も行はるゝは日耳曼にして近年殊に其勢の盛なるより政府は頻に之を憂ひ撲
滅の手段を講じたれども成功なければ竟に一策を按じ國家保險の政略を布きたるは千八百
八十一年の事にして即ち政府の力を以て貧富懸隔の差を少なからしめんが爲めに其法を第
一病氣、第二怪我、第三老衰の三に分ち職工保險の道を立てたり此三法は未だ悉く實行に
至らざれども一千八百八十三年初めて病氣保険の法を布き都て職工たる者は己れの賃銀よ
り若干宛を積立て之を政府に預けしめ其翌八十四年には更に雇主に命ずるに職工の爲に怪
我保險の負擔を以てし殊に危險多き職業に關して嚴命を布き翌八十五年に至り更に尋常の
職工にても同じく雇主より其保險料を拂はしめ終に其法を社會一般に推及〓し獨り文官の
みならず陸海軍人にも同じく保険の法を設けしめたり
ビスマルクの見る所に於ては官吏軍人も夫れ夫れ其業に依て衣食する者なるが故に均しく
職工と看做して保險を爲さしめたる次第ならんと雖も官吏軍人の所得は尋常職工の比にあ
らず隨て保險の法もこれに異なる可きは論を俟たず即ち職工の病氣保險は其給料の内より
積立を爲さしむれども怪我保険は雇主に於て特に其負擔に當るの法は移して以て官吏軍人
に當嵌む可きに非ず依て此邊に適宜の法を設け尚ほ國民保險の基礎を固むるが爲めに帝國
保險局を設け日耳曼皇帝其局員を勅撰し民撰の委員と相會して事を執らしめ其法頗る繁密
なり發令の初には成功覺束なかる可しとの懸念もありしに爾來の成績を見れば多少の良果
なきに非ず但し國家保險の策に據て全く社會主義の蔓延を防ぐに足るや否は疑はしき所な
れども元來保險の目的は平生少額の金を節し以て不時の需に應ずる準備にして其効は貯蓄
の上に在る者なり貯蓄は各人の隨意にすれば怠り勝なるのみならず貧民社會に至りては時
に多少の金を餘すも直に之を浪費して懷中常に一錢を遺さず又若干の貯蓄は出來得る職工
にても多年の習慣これを許さずして能く節儉の効を奏したるは至て稀なり故に政府に於て
國家保險の事を管理し職工の爲めに其賃金中の若干部分を貯蓄せしむるは脅迫に似たれど
も元來貧者の爲めに利益を謀る深切厚意の事業なれば政府の壓制とのみ云ふべからず且つ
雇主をして貧民に代りて保險料の一半を拂はしむるは富者の富を割て之を貧民に分ち與ふ
る次第なれば貧富均一の點に於ても職工の不平を慰むるに足る可し只困難なるは生命の保
險にして病氣と云ひ怪我と云ひ之を避くる容易なれば保險の金額も至少にして可なりと雖
ども生命保險は然らずして年に前後の差異こそあれ一度は其拂渡を要する者なるが故に保
險の料は高價ならざるを得ず故に日耳曼政府は施行の方法に苦心したれども其手段の宜し
きを得るに於ては病氣怪我二樣の保險に比して貧民の利益更に大なる可きを信じ生命保険
に限りては故さらに拂込の金を少うして更に政府より相當の保護を與ふる考案なりと云へ
り (未完)