「貧民の保險貯蓄」
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時事新報に掲載された「貧民の保險貯蓄」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
貧民を救ふが爲めに職工保險の法を設るの説はビスマルクの新案ならずして是れより先き
英國に於ては多年貧民救助の策を講じて保險の説を唱へたる者少なからず抑も救貧法の如
きも今日に在ては徒に財貨を浪費し中以上の人民の負擔を重くするのみにして成績の擧ら
ざるは全く其法の宜きを得ざるに在れば論者中には其弊を唱へ國家保險の法を設けんとて
千八百八十五年及翌八十六年に取調委員を置き施行の方法等を審議したれども其議論の一
ならざると又他に重要の問題ありたるが爲め立消となり今日までに終に實効を見ざりしな
り然れども學者政治家中に國家保險は救貧法に比して〓ること疑なければ之を實施す可し
と説くもの多くして與論も次第にこれに傾き遂に其施行を見ることならんと云ふ吾邦に在
りては古來貧富の等差、少なければ英國若くは日耳曼の例を以て推す可らざるは勿論なれ
ども今後社會の進歩と倶に貧富の懸隔u々甚だしきに至るは事實自然の勢にして容易に制
す可きに非ず貧富の差いよいよ甚だしければ隨て社會主義共産主義の起る可きも亦自然の
勢なれば我輩は今日直に國家保險の法を日本に行ふ可しと主張するには非ざれども豫め貧
富相違の原因を極め之を防ぐの策を講せんこと今より祈る所なり
貧民保險の事は容易に行れ難しとするも貧民貯蓄の道に至りては大に奬勵して其便を計る
工夫なかる可らず而して之を自然の成行に放任するに於ては事の擧る可き望なければ政府
より干渉して驛遞貯蓄の法を設くるは寧ろ必要の務なる可し西洋諸國には到る處に其法を
設け目的は廣く國民に貯蓄の念を起さしむるに在り就中、中以下の種族に至ては日々出入
の生計にして些少の金額も手元に殘し置けば謂れもなく消費するの常なるが故にかりそめ
にも其餘剰の金を最寄の郵便局に投じて貯蓄するの法あれば其功コ甚だ少なからず即ち此
法の流行以來中以下の人民に節儉の念を起して良結果を來したることは人の知る所なり
日本に此法を移したるも同じく右の精~ならんなれども今日の實際を伺へば吾輩は聊か説
なきを得ず現在の法に因るに驛遞局預金の最高額は日々五十圓を一口と爲すが故に大に預
金を爲さんとする者は一日に五十圓を齎らし一年三百六十餘日にして大數一萬何千圓を依
托し得る計算なり固より最高の數なれば一般人民の總て此の如くならざるは明白なりと雖
も最高制限の大なるが爲めに今の驛遞貯金の樣は獨り中以下の人民のみ其澤に浴するに非
ずして中以上、寧ろ富有の家にして所持金を托する者少からず實際の事は詳ならずと雖ど
も試に貯金本人の身元を糺したらば中以下の人民は頭數こそ多けれ其金額は却て少き事相
あることならん驛遞貯金の利子は年四朱二厘にして甚だ薄きが如くなれども銀行に托して
も利子は年五朱内外に過ぎざるが故に人情の自然政府の方に就かざるものなし且政府が驛
遞貯金の法を設けたるは只中以下の人をして節險貯蓄の道を得せしめんとの旨趣なれば更
に實際に就て其便法を設けんこと希望に堪へざるなり
就て我輩の所見を陳ずれば第一は今の貯金の制限を改め一日五十圓一年一萬何千圓の額を
更に大に減少して例へば一年三百圓一日一圓と云ふが如く其額を引上げ又最低制限の十錢
を改めて五錢若くは三錢と爲し中以下の者をして一層貯金の便利を得せしむるに在り中以
上の人は其金を驛遞局の保管に托せざるも銘々自身に始末し各最寄の銀行に預くるの道無
きに非ずと雖も以下の小民は些少の餘剰を銀行に持參するも銀行にて其煩を厭ふの意味も
あり或は各郵便局へと思へども他人は一度に三五十圓を托する其側に自分は僅に十錢銀一
片の記入を願ふとありては何か外聞も面白からず旁々以て驛遞貯金の便利を利用せざる者
多きが如し遺憾なりと云ふ可し英國の駅遞貯金法は施行以來既に廿八年その間種々の改正
を加へ世界各國驛遞貯金の中に最も完全の聞ありて貯金の制限は最高一ヶ年額卅磅(凡我
百八十圓)を踰ゆ可らざるの法なり近來更に之を五十磅に引上ぐるの議論ありて下院の問
題となりたるに若しも斯の如く改正すれば銀行貯金に影響を及ぼし民間に銀行者は利uを
殺がるゝと共に中以上の財産家が次第に驛遞貯金を利用して却て貧者の便を奪ふの恐ある
可しとて五十磅の説は廢棄に歸したりと云ふ然るに日本の貯金は日に五十圓を限りて一年
一萬何千圓の大金を托す可し其數に於て既に不釣合のみならず東西貧富の相違を考へたら
ば是非とも一考を要することなる可し(未完)