「貧民の保險貯蓄」

last updated: 2019-10-28

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時事新報に掲載された「貧民の保險貯蓄」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

驛遞局に於て預金の道を開きたるは明治八年にして同年度の人民預け高は僅々二萬圓なり

しも一昨年廿年に至りて二千八百萬圓の巨額に上れり即ち此法あるが爲めに人民の貯蓄を

獎勵したる効用は大なることならんと雖も年々新規の貯金人員と其預金との比例に於て各

人平均額の揄チを見るに其原因は小民の生計次第に進んで次第に貯蓄を揩キ者なりと云は

んより寧ろ中以上の人民が次第に貯蓄揩キ者なりと云はんより寧ろ中以上の人民が次第に

驛遞局を利用して斯る事相を呈したるにはあらずやと疑はざるを得ず試みに其統計を掲ぐ

るに

新規預金額      新規預人數   一人平均

圓        人    圓

明治八年    二〇、五五九    二、一八四    九、

九年      四三、一二六    三、四五七    三、

十年      九二、二九七    二、八二九   三四、

十一年    三一六、〇八七   一一、五二一   二七、

十二年    四七二、二六一   一二、四二五   三八、

十三年    六一一、三八七   二二、五一八   二七、

十四年    六八四、五八六   二〇、二四九   三三、

十五年    八三〇、五〇八   二三、六三二   三五、

十六年  一、九八八、〇一八   五八、七七六   三四、

十七年  四、九五〇、七六〇   八四、〇九七   五九、

十八年  七、一四七、一〇〇  二〇四、一四八   三四、

十九年 一三、〇五一、四三二  二九八、九二一   四四、

即ち明治八年に一人の新規預け額九圓なりしものが十九年の平均四十四圓に達したるは中

以上の産ある者が五六年來の不景氣に由り商賣に資本を用る道を得ずして幸に驛遞局を利

用したる結果なりと吾輩の竊に推測する所なり銀行は得意の誰れ彼れを問はず其金銭を預

り之を保管して自他雙方の便利を達する筈のものなれども一方に驛遞貯金の法を設けて大

金をも預るとありては銀行者一般の營業に聊か迷惑の筋なきを得ず例へば今我驛遞の貯金

二千七百萬圓とすれば融通社會に取りて隨分少なからざる金額にして然かも其金額が中人

以上の懷に出てたるもの少なからざるに於ては一は間接に諸銀行の業を苦しましめ一は單

に貧民の爲めにす可き驛遞貯金の本色を薄くしたるものと云はざるを得ず故に今驛遞の門

前より中人以上の者を拂ふて眞に小民の貯蓄を獎勵せんとするには貯蓄預りの金高を大に

減して頻々の記入を自由にすると共に利子をば引上げてますます其節儉貯蓄の念を起さし

むること肝要なる可し古今東西社會の制度を見るに動もすれば下流小民の利害を忘れて自

然に上流の便利にのみ偏するの勢なきにあらざれども實際に於て國力盛衰の源は下流に發

するものにして殊に文明の進歩と共に次第に貧富の懸隔を生するときは不平も亦下民より

起るの常なれば社會の秩序を維持して上下雙方の安寧幸b謀るには下民の爲めに厚生の

一手段として特に其貯金法に注意あらんこと冀望に堪へざるなり

右の如く一方に於ては專ら下等人民をして貯金の利に浴せしむると共に其出納の手數をば

極めて簡易にするの工風專一なる可し些少の金圓を頻々預りて頻々拂戻し其出納を確實に

して間違ひなからしめんとするは實に至難の事務にして机上の議論も實際に齟齬するの事

情は我輩の飽く迄も知る所なれ共英國其他に於ては既に之を實施して方法も次第に整頓し

次第に下流社會の〓本を爲すとのことなれば我驛遞局に於ても先づ自國の民情風俗を〓察

し民情今尚ほ官衙の巌格を厭ふて商家の簡易を悦ぶことならば預金事務の根本を商人風に

定め物の姿も人の精~も紛れなき商店にして人民の來りて談ずるに易からしめ尚ほ樣々の

差支もあらんには自家の實驗を以て之を改ると同時に外國の事例をも參考に供して次第次

第に改良を加ふるときは至難の事も他年一日容易に行はるゝに至る可し例へば今の法に従

へば人民が金を預るときは容易なれども之を引出すには數日を費し、此の局に預けたる金

を彼の局に受取ることも叶はずなど隨分その日稼ぎの貧民の爲めには不便利なるものなり

凡そ是等の箇條は當局者の既に己に熟知する所ならんなれば爰に蝶々論辨するを要せず實

際の事は都て其人の工風に任し去り唯我輩は驛遞貯金の功コをして獨り下流社會にのみ普

ねからしめんことを祈るのみ                       (完)