「立君政統論」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「立君政統論」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

立君政統論

在ボーストン某生

世に建國の數少なからず隨て其政府の體裁も亦一樣ならずと雖ども之を要するに立君の政

體と共和合衆の政體と唯此二類あるのみ固より其立君政治の中には君主獨裁の風あり議院

合議のものあり又其議院合議にも英國の如きものあり獨逸の如きものありて其仕組一樣な

らずと雖ども其大體の種類に至ては唯右の二者あるのみ抑も我國の政體は君主政治にして

然かも其君主の血統は古來連綿として曾て絶たることなく誠に以て古今萬國に比類なきも

のと云ふべし尤も來る廿三年よりは國會を開き從來の仕組を變じて萬機公論に决する筈な

れども是れとても我政統の大體を變ずるにあらず其大體は依然尚ほ立君の政統にして更に

王室の威巖を損することなかるべし啻に之を損せざるのみならず向後人心の赴く所に任じ

て之を妨げざれば其威嚴は益々貴く未來永遠皇統の連綿たるは余輩の信じて疑はざる所な

り右の如く我政統は立君の體にして今日特に其利害得失を論ずべきにあらず又これを論ず

ればとて萬々無益の沙汰なれども此に疑ふべきは古來世の學者論客未だ曾て一言の此政統

の利害得失に及ばざるの一事なり蓋し其此に論及せざるは立君政統の至善なる所以を研究

考定して然る者なるや或は既に其利害の在る所を考究して竊に其得失を心に斷定すと雖ど

も之を言外に發し筆紙に述べ以て之を世に公にするの勇氣なきものか將た我國の政統立君

の風なるが故に古來の習慣第二の天性となり其利害を研究するを忘れて唯漠然これに滿足

するものなるか甚だ疑はしき次第なり若し果して其心中を吐露するの勇なきものとせんか

到底此疑團を氷解するの期なかるべし人智發達の今日に在て復たあるべからざることなり

或は又其習慣に依て唯漠然これに滿足するものとせんか此滿足は殊に頼み少なき滿足にし

て余輩の之に滿足することを得ざる所なり盖し事物の理を研究して心に自から確信する者

は容易に之を他に移し難しと雖ども漠然古來の習慣に依て之に滿足する者は容易に變心し

て漠然他に移るの憂あるが故に左れば事少しく陳腐に屬して無益の談に似たれども左に聊

か余輩の所見を陳述せんに余輩固より我國立國の政統は理論上極て善良なるものなりと斷

定して疑はざるものなり扨て余輩の之を善良なりとする所以は我立君の政體を特に萬國に

超越するものとして然るにあらず立君の政體は世に珍しからず歐羅巴にも立君の國あれば

亞細亞にもあり或は亞弗利加の内地黒人の中にも亦あるべし决して世に誇るに足らざるな

り又單に政治上より視て以て立君の政統を善良なりとするにもあらず若し立君の政統を以

て政治上至善のものとする時は共和合衆の政體を以て至惡となさゞるべからざるの理由な

れども如何にせん今日の實際に於て亞米利加、佛蘭西の如き共和の政體は支那立君の政體

に優ること萬々なれば單に政治上より之を視る時は立君の政體必ずしも美ならず共和の政

體决して惡む可らず到底人智發達の今日に在ては政體の外形は何樣にして其名稱は之を何

と名くるも一國政權の歸する所は其國民の公議にあるが故に立君の國と雖ども君主自から

政を擅にする能はず其帝王と云ひ大統領と云ひ一國の政治には殆んど關係少なく内實は虚

位を擁するのみにして恰も國民の公議に制せらるゝ者と云ふも可なり近日佛蘭西に於て或

流の人々が大統領の官位廢すべしとの説を唱へ漸く之に同意する者多しと云ふ盖し此人々

は政治上に大統領の不用無益なることを感じたるものならんか果して其説の行はるべきや

否やは豫め明言すること難しと雖ども兎に角に人智發達の徴候として視るべきものなり去

れば余輩の立君の政統を以て善良なりとする所以は一國の政治を以て目的となし此目的を

達するが爲めに然りとするにあらず別に王室の貴重なる所以のもの有て然りとするものな

り抑も一國人民の互に相結合して一群をなし自から他國の人民に對し自他の區別をなす所

以は啻に同一の政府の下に居て政治上の關係を齊うするが爲めのみならず其言語風俗を同

うして互に能く其情を通じ互に悦び互に憂へ同情同感なるに依て然る者なり即ち其平生内

の社交を親密にし以て外に對するの勢を成すものにして王室は此社交を調和整理して恰も

之が中心と爲り全國の人心を結合するに最も適するが故に余輩は特に此調和の功徳に依頼

せんと欲する者なり譬へば彼の英國の王室の如き法律上に於ては行政立法兩權の源は王室

に屬し假令へ議院に於て可决したるものにても其法律にして若しも王室の意に適せざるこ

とあれば忽ち之を廢棄するの權ありと雖ども實際に於ては曾て此權威を振ひたることなく

議院にて可とする所のものは王室も可とし議院の不可とする所は王室の不可とする所と爲

りて其際更に王威を輝やすことなく王室は恰も無用の長物なるが如し議院中或る過激の

人々は斯く政治上に王室の權威なきを視て眞に之を無用の長物と誤認し或は宮内の定額を

減ぜん抔と説を唱ふる者あれどもこは全く立君政體の精神を知らず王室の用は政治上にあ

らずして社交上にあることを解せざる者の淺見のみ文學技藝等人間高尚の事より慈恵遊樂

等の細事に至るまで苟も社交上有益のものにして政治社會の外にあるものは一として英國

王室の光澤を被らざるものなく皇族は恰も社交の中心にして國民の敬愛决して輕からず前

年倫敦府にて開きたる萬國漁業博覽會の際或る夜病院設立の爲めとて特に慈善會を開き英

國屈指の貴族豪族は勿論皇族方も悉く出塲して或は茶を賣り菓子を賣り此處を先途と各々

腕を振ふて客を引きたる其中に彼の有名なるウエールスの妃は草花を販ぐの役に當りしに

其店頭は常に人の山をなし一莖の薔薇花價五圓の高價なるも須臾にして悉く之を賣り盡し

たりと云ふ且平生人館の價は僅に廿五錢なるも當夜に限り二圓五十錢と定めたれども尚ほ

入塲を望む者多くして遂に夜の八時後は門を鎖して入塲を拒絶せし程のことなりしとぞ我

國に於ても近頃これに類似の事あれども未だ以て社交上の機械となすに足らず惡るく之を

評すれば其會は即ち御用の會にして其慈善は即ち政府の慈善と云ふも可なり此所に來て物

を買ふ人物は今の政府の御用達か然らざれば同役の附合、長官の内諭、止むを得ずして出

でたる官吏のみ其體裁甚だ面白からず此事に就ては後日必ず大に論ずる所あるべし兎に角

に右は些細なる事柄にして固より事の大體に損益する所なしと雖ども亦以て英國王室の社

交上に有力なるを證するに足るべし米國の共和政體美は即ち美なりと雖ども社交場の秩序

に至ては英の整然たるに及ばざること甚だ遠く春花爛〓(まん・火+曼)人心の花に厭き

たる其時に際し一莖の薔薇を五圓に賣るの手際は迚も米人抔の企て及ばざる所ならん英國

の王室已に然り我國の王室は其由來も甚だ古く隨て其人心に感ずる所も極て深く固より英

國抔の及ばざる所なれば若し之を利用して社交の中心となすことあらば其功徳は實に廣大

無限にして王室の光澤今日に幾百倍を加へ後世子孫永く徳澤に浴すべきは余輩の固く信し

て疑はざる所なり是れ余輩が我國立君の政統に漠然滿足せずして殊更に其滿足すべき所以

の理ありて而して是に滿足する所以なり