「官吏政談の始末如何」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「官吏政談の始末如何」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

官吏政談の始末如何

過般政府は官吏に演説の禁を解きたれば其後如何なる政談を耳にすべきやとて在野の政事

有志家輩は足を翹て頻りに其發聲を促すが如くなれども未だ何等の取沙汰もなきは俄の事

にて自から其端緒を啓くに〓(ちゅう・足+厨)躇するものならんか但し又解禁とは云へ

猶ほ容易に發し難きの事情ありて然るものか兎も角も我輩は世人と共に聊か物足らぬ心地

する者なり左りながら曾て本紙上に掲げたる我輩の忠言未だ容れられずして政府は特に其

主義を一定したる樣の形跡も現はれざれば今の時に當り即時に演説の擧あるに於ては恰も

陣勢未だ成らざるに出でゝ戰ふものあるが如く一時その進退を制するの處置に苦むの塲合

なかるべきや傍より竊に惧るゝ所のものなきに非ず例へば今爰に一の官吏ありて公衆の面

前に演説して曰く

 泰西の空理に心醉する者は動もすれば現政府の地位を怪しみ治者被治者の權限を云々し

て一擧手直ちに取て代はらんと欲する者もあるが如くなれども元來王政維新の大事業たる

薩長土三藩人の手に成りたるものにして當時の勳功により政府の地位を占領せしものなれ

ば其餘光の多年に繼續すべきは固より當然の次第にして之を歴史に徴するも足利氏と云ひ

徳川家と云ひ一戰勝の故を以て數百年の間覇を天下に稱したるものなり左れば維新以來

僅々二十年を經過したる今日に於て三藩の中土州は稍やその勢を失ひたれども殘る二藩の

薩長が專ら政治の權柄を握り公然藩閥政府の組織を維持すればとて難の憚る所ある可けん

や斯く論じ來れば言少しく急激に似たりと雖も抑も政治の要は國家の安寧を保つに在るの

み唯夫れ安寧なり何ぞ又薩と長とを問はんや今日までの實際に於ても別に差したる不都合

とてはなく先づ以て平穩に經過し來りたることにして蓋し其平穩の由りて基く所を推究す

れば現政府は能く權力の中心に位せるが故なるべし黄金時代の光景を漫畫して施政の方向

を定めんと欲すればこそ治者被治者の關係論も騒々しけれ方今の状態にては權力の中心點

なくして施政の圓滑を求む可らず又國安を保持すること能はざるべし既に此中心點の要用

を認むる上は薩長藩閥政府の組織を維持するの必要も亦隨て分明なるべきのみ如何となれ

ば二藩人は王政維新の勲功により有形無形の權力を掌握して天下に號令するの實を有する

ものなればなり假に國會開設の後に於て取て之に代るものありとせんか餘事は扨置き權力

の中心點たる一儀に缺く所あるは明白にして予は之に國安保持の任を托するに〓(ちゅ

う・足+厨)躇せざるを得ず故に政府が飽までも藩閥の組織を持續せんとするは獨り權力

を好むの俗情にあらず國の安寧の爲めに自から止み難きを知るが故のみ云々

斯て一方には藩閥政府の効能を陳述する其反對に又もや一官吏あり別時別塲に於て一調を

なして論じて曰く

世間往々今の政府を稱して藩閥政府と云ひ情實政府と云ふと雖も是れ蓋し取て代はらんと

欲するものが徒に外形に就て非難を試むるに過ぎず熟々政府の主意の在る所を察するに上

皇室の尊嚴を護り下人民の安寧を圖るの外ならずして唯この任務を盡さんが爲め今日の地

位に立て施政の方向を左右するのみ維新の勲功を恃み藩閥の權力に戀々するが如きは時勢

の趨く所、三歳の小兒も猶其不可を知るべくして現政府の當局者が何とて斯る迂闊の計を

爲さんや試に幕府顛覆の當時を回顧すべし海内の權力を唯徳川の一家に吸収して三百諸侯

ありと雖も皆その陪役たるに過ぎず且又獨り政治上のみならず社會諸般の制度組織に至る

まで悉く幕府の權力を維持するの仕組にして其基礎の堅固なる何人も之を動かし得べしと

は思懸けざりしに一朝偶然の機會よりして脆くも數箇月にして廢滅したるの事實を見れば

徳川の實質は决して強大なるものにあらず之を喩へば老大漠の一見恰も鼎を扛るの力量あ

るに似たれども全體の生力既に竭きて一蹶の下に倒れたるものゝみ此老大漢を倒したるは

則ち當時所謂強藩なれども其實は大に勞したるに非ず假令へ或は勞したりと云ふも既に二

十餘年の過去に屬し今に至りて誰れか自から其舊勲功を喋々する者あらんや強藩士人の眼

中唯皇室の尊榮と人民の安寧あるのみ今の當路の諸公は唯その誠忠の徳と頴敏の才とを以

て國事に當るのみ蓋し藩閥云々の語は在野の小人輩が己れを以て他人の心を忖度するもの

に過きず笑止千萬と云ふ可し故に國會開設の後に於ても事情により更迭を必要とするの塲

合には虚心平気に内閣を明渡して更に〓(ちゅう・足+厨)躇せざることならん如何とな

れば現政府の當路者は智徳の實を以て路に當る者にして藩閥云々の論は之を耳にするも不

愉快を感する者なればなり云々

雙方の説く所は固より一箇の私見を吐露するに過ぎされば互に相反對するも亦咎むべきに

非ざれども之を監督する人は如何なる處置に出づべきや抑も云ふが儘に放任して曾て問ふ

所なかるべきや若しも一方に傾かんとすれば豫め政府の主義を一定して内輪に撞着の起ら

ざらん事こそ肝要なれ偶々想像を描いて當局者に一言を寄するものなり