「政黨論」
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本文
政黨論
在ボーストン某生
歳月の經過を水の流に喩へたるは古人の名案にして其經過の速かなるは實に油斷の出來ざ
るものなりとのことを示したるものならん明治廿三年に至り愈々國會を開くべしとの勅令
ありし其時には世の壯年輩は或は其期を永きに過ぎたるものとして往々不平の言論を發し
たる者ありしかども今日に至ては已に其期も明年に切迫し未だ手筈も充分に行き屆かざる
其内に最早開設の期に差し迫りたり余輩固より政談家にあらず國會開設の後に至ても平生
の主義を變ずるにもあらず飽まで局外に中立して事の條理を糺し人智開運の趣を察して世
の變遷を鑑み靜かに前途の方向を定めて大に後世の爲めに計畫する所ある者なれば國會な
ど云ふ人事の一局部にのみ身を委ねて天の約束、人の運命を忘却するが如き卑劣の者には
あらざれども如何にせん自國の利害は自から忘るゝこと能はず何事にあれ苟も世の人心に
感動を與へ世間に波瀾を生ずるものとあれば其事の政治に關すると否と又余輩自家一身の
好惡に關すると否とを撰むに遑あらず悉く之を記して之が説をなさゞる可らず余輩の自か
ら好で政治を談ずるにあらず恰も世間の爲めに強ひられて止を得ず政談する者にして世人
智酔へり我れ獨り醒むるを得ざるの有様なり左れば今日世の人心に感ずる所は國會開設の
一段にして第一人の注目する所は政黨の一事に在るが故に聊か左に其事を説かん抑も政黨
なるものゝ起因は其主義の異同に依て成り立つものにて其主義あらざるか又は其主義を終
始同一にする時は固より黨を分て自他の別をなすべき理なし在昔英國の政黨の如きは即ち
政治上の主義を異にして一は守舊、一は改進と分れたるものにて其改進黨の言に曰く天の
此人を生ずるや始よりして貴賤上下の區別あるものにあらざるが故に固より人民は同權に
して四海は兄弟なり然るに或は貧富を以て參政の權を定め或は貴族に限りて之に特權を與
へ富を以て貧を制し強を以て弱を壓するとは實に謂れなき次第なるが故に宜く貴族の特權
を剥ぎ參政權の區域を擴めて以て人民同權の主義に隨ふべしと又其守舊黨の言に曰く現在
世の有樣を察するに人に貧富強弱の差あるは勿論又智愚賢不肖の別ありて其樣同じからず
已に同じからざれば隨て其權理をも同ふすべからざるは理の最も明白なる所なり人民の同
權は天理の公道なりと云ふて其説は立つべけれどもこは所謂座を視て説くの方便にして現
世の實際に施すべきものにあらず貧弱にして愚なるは即ち其人の不仕合なるが故に暫く不
平を忍び富強にして智あるものゝ制御を被らざるべからずと兩黨の主義斯く判然として相
分れ其勢相近づくを得ずして恰も水火の相容れざるが如くにして時としては干戈の沙汰に
及びたることもあり然るに人智發生の勢は之を止めんとして止むべからず其勢は恰も大河
の決するが如く苟も其衝に當りて之が妨碍をなすものとあれば其ものゝ何物たるに論なく
悉く水勢に押し倒さるゝの様にして今日に至ては守舊の議論も全く迹を絶ち世は改進自由
の秋となりたり外面に於ては守舊改進の兩黨今尚ほ英國の政治社會に存し互に權を爭ふは
昔日に異ならずと雖ども唯政黨の名目のみにして別に主義を異にするに依て然るにあらず
守舊黨の政略却て改進黨よりも過激なるものあり或は改進黨にして却て守舊因循の政をな
すことありて今日の其名は其實ありて而して後ち存するにあらず唯古來の習慣に依て自他
の別をなすに便利なるが故に之を其儘に存するものなり譬へば人の姓名に鷲藏、松吉抔の
稱呼あるが如し鷲藏决して鷲にあらず松吉决して草木ならずと雖ども唯事の混雜を防ぐが
爲めに此を此と名け彼を彼と名けたる迄の事なれば單に此を白と云ひ彼を赤と云ふも差支
なきものゝ如し其目的は唯他を倒して自ら之に代るに在るのみならず英國政黨の仕組は甚
だ淡白なるものと知る可し
近頃に至り我國在野の政治家は往々黨派政治の必要なるを感じ政黨を組織せんとて頻に盡
力奔走する者あれども如何なる故にや何分にも人心の結合宜しからず忽ち集りては忽ち散
じ俄に起つては俄に倒れ其榮枯盛衰の速かなるは恰も夏の草木の如く又た電氣の如く消極
積極の兩端互に相吸引して容易に一所に集合すと雖ども一度に集合して兩端相接するとき
は又忽ち相衝却して互に近づくを得ざる由、甚だ奇觀と云ふべし現在の有樣にして既に斯
の如くなれば後來の始末も亦必ず之に類することなるべし黨派政治の爲め誠に以て惜むべ
き事なれども是亦今日我國の人心なれば如何ともすべからざる次第なり斯くも離合定りな
きの人心を結合するには果して如何なる手段を以てすべきやなど其實際の處置に至ては自
から當局者の見込もあるべければ余輩の敢て關せざる所なれども其離合の常なきは何故な
るやとの問題に就ては余輩聊か所見なきにあらず抑も今日政黨を組織するには必ず先づ其
名を撰び或は改進或は自由など稱して各自黨の旗を建て以て人心を集めんとするに當り
往々其黨名に拘泥して強て改進自由の主義を作らんとして却て自から不都合を感ずるの状
あるが如し之を譬へば自から其名を白と稱したるが爲に強ひて自から白からんことを欲す
る者の如し智者の事にはあらざる可し本來自由改進の名を掲げて自から自由改進の主義を
張んとするには其敵とする所の守舊漸進の黨なかる可らず其敵黨なくして漠然自家獨撰の
主義を主張するは猶ほ的なきに射るが如し其射を共にして樂しむ者なきも亦偶然に非ず試
に見よ今我日本國中此改進自由に對する守舊は果して何れの所に在るや我國民中果して進
むことを惡んで退くことを欲する者ありや甚だ疑はしき次第ならずや或は時勢に後れたる
田舎の老人などには今日の開化を厭ふて舊に復せんことを欲する者もある可けれども此輩
は我社會に對して聊かの勢力もなく固より齒牙に留むるに足ざる數の外の者共なり左れば
其所謂自由改進とは今の政府を以て目的と爲し此的に對して射るものならんと雖ども何程
に説を附會するも今の政府を目して頑固守舊の黨派とは云ひ難たからん或は其施政百般の
中には時として自由改進の趣意に背くものもあらん歟或は壓制に似たる所行もあらん歟な
れども是等は其本色にあらずして唯政府たり有權者たり主治者たるの地位に附屬する偶然
の弊害のみ今の政府の成立ちたる由來と爾來今日に至る迄の擧動とを視るときは斷じて之
を守舊の政府と云ふべからざるは無論その實は政府も亦是れ改進自由の黨派にして在野の
政黨に對して敢て主義の源を異にする者にあらず其主義已に同じ尚ほ何物に對して自由改
進の別をなさんとするか前後の始末不都合なりと云ふべし故に今の在野政黨の目的は果し
て政府に對して其施政の是非を評し的の中心を射通して自家の志を達せんとする者ならば
名を以て實を害することなく政府の方針守舊ならば我れは改進自由を唱へ、政府改進なら
ば我れは守舊を主張し華美に節儉に急進に漸進に長短黒白都て他に反對して自己の説を張
らんとのみ覺悟を定めたらば是に於てか始めて政黨の體を成して人心を結ぶに足る可し徒
に弓術の流名に拘泥して中るべき矢を放たざる者は射に拙なる者と云ふ可きのみ余輩局外
者の所見此の如し世の政談家は別に妙案あるや否や