「リヴアプールの歳暮」

last updated: 2019-11-26

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時事新報に掲載された「リヴアプールの歳暮」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

現に當府民がクリスマスの塲合に特に慈惠を施して貧民の心を慰するの工風を實地に目撃

して轉た感服に堪へざるものあり即ち去る二十四日には當府の知事クークソン氏が冬服給

與の式を擧行したり是れは府中の街道にて靴もなく股引もなく半身裸體とも申す可き貧兒

のみを集め來り之に四五百枚の冬服上著を惠與する者にして儀式の庭には樂隊の國歌を奏

するあり貧兒の父母親戚は庭の内外に群集して之を傍觀する其處に知事は井戸綱大の金鎖

を以て皿大の印綬を繋ぎ之を胸間に埀れて出て來り貧兒を抱き上げて丁寧に上衣を着せ三

法師を抱きたる豐太閤とも申す可き氣勢にて左手に貧兒を擁しながら當日儀式の大主意を

演説する其有樣燦爛たる金光、襤褸兒と相對照して傍觀人は覺えず惻隱の情を催ほするな

る可く此時リヴアプールの僧正が殊勝なる音聲を以て宗敎上の演説を爲せば滿塲寂として

隨喜の涙を流さゞるものなしア丶此一滴は社會黨の不平を鎔解し去るの熱涙なり無數不平

の貧民をして此熱涙を生せしむる其心匠こそ殊勝にも又巧みなれど被存候又去る二十五日

即ちクリスマスの當日には金滿家の令閨令孃が貧民院又は貧兒職業學校等にて幾百の貧子

女にクリスマス晩餐を馳走するの習例あり小生も其現塲を一覽致し候に當日は質素ながら

貧子女食堂の飾り付け等も之れあり食事前に施主なる令閨令孃が出で來れば子女は整立し

て賛美歌を唱へ斯くて一同食卓に向へば幾多の令閨令孃は甲斐甲斐しくも手を下して親か

ら牛肉などを切り取り幼年の貧兒へはナイフとフホークとを持ち添へて其食事を助くる等

其平常の高貴を忘れて一朝貧子女の母たり姉妹たる其心掛けこそ優しけれ頓て食事の終る

のを待ちて學校長は子女後來の心掛を説き示し當日の施主に對して其厚意を謝すべし云々

と命ずれば子女等は撃卓皷腹して三呼喝采する其聲を聞きながら黒塗りの馬車に乘りて歸

宅する婦人方を見ては如何なる貧乏の人民にても不平を唱ふるの辭なかる可し又クリスマ

スの前日には貧家の子女が隊伍を組んで富家の門前に行歌するの習あり富家は其貧子女を

延て夜來の殘食を分與するか或は幾シルリングを惠施するを常とするが如し其他貧民救惠

の法は固より一にして足らざれ共此一擧彼の無數の貧民をして多日鬱積の不平を融和せし

むるの効能あること固より疑を容れざるなり今より二三年前なりと覺ゆ東京神田明~の祭

禮あるに際し祭禮の寄賦金其他一切の費用は富家に多くして貧家に少なく然かも其祭禮の

盛觀を娯しむの趣は貧富同樣なるが故に祭禮の一擧彼の貧窮民をして平常の不平を散せし

むるの効能ある可し云々の論を時事新報紙上に掲げたることありしが當英國の如く貧富の

懸隔甚たしき國柄にては自然か故意かは暫く置き兎に角右クリスマスの祭禮などに當りて

貧民の不平を融和するの氣轉に乏しからざるやう見受られ候此等は人事の瑣末なる部分な

るが如くなれども心波情海滔々たる今の世の中に於ては經世家の最も注意す可き事ならん

と奉存候

當地歳暮の所見に就き序ながら今一事申し上げ候は廣告術の進歩即ち是なり小生は廣告術

と申せり何となれば廣告の工風は日々天下商人の心匠を勞する所にして其能く人目を引く

と否とは實に一種のアートなればなり斯くて人々廣告を爭ふが爲めに新聞紙上は勿論廣告

に都合好き塲所柄は其廣告料も亦高直にして倫敦のオクスフホルド街及びリゼント街など

にては商店の普請中、家の前面を廣告塲とすれば其廣告料の収入を以て家の前面の普請料

を辨ずるに足る可しと云へり左れば近來廣告を事とする者の中一定の塲所を借り切るの代

りに生きた五尺の人間を以て廣告の的と爲すもの多く芝居の廣告抔は幾十百の人間に大な

る廣告札を背負はせて街上を横行さする者甚だ多く當地クリスマス前の廣告にて最も人目

を驚かしたるはリウヰスと申す雜貨店にして同店にては五層の高塔にスキ間なく電氣燈を

點じ其中段の廻廊に巌然たる金モール出立の大將が滿身電氣燈を帯びて運動するやう仕掛

けたり過般ロンドンタイムスは其社説に廣告を論じて我々人間は石の時代、銅の時代、鐵

の時代を經過し來りて今正に廣告の時代に入らんとす云々と記したり一時の戯言なりと雖

ども近來人間が廣告體と爲ることu々多きを見るに足る可しと被存候先づは歳晩の所見御

報道まで一筆如此に御座候なり           

英國リヴァプール府に於て 

十二月二十八日      高橋義雄

もV先生函丈     (畢)