「幸福の説」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「幸福の説」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

幸福の説

ライプニッツ氏云く幸福とは人の大に望み又大に又大に要する所のものを得たる結果なり

ヘルヴヰーシアス氏云く幸福とは健康無病なりとヂデロッド氏は之に加ふるに好運の一箇

條を以てせり

スプールツァイム氏云く幸福とは心官と身官と和合したる發達なりと

エッカルト氏云く幸福とは天道に對するの安心なりと

ホーレス氏云く幸福とは驚かざることなりと

カンパネラ氏云く幸福とは徳心の自由なりと

シモニヂーズ氏云く幸福とは勝利なりと

ペスタロッヂ氏云く幸福とは心悦ばしき氣質なりと

フィヒテ氏云く幸福とは自賛なりと

エピキューラス氏云く幸福とは無害の快樂を樂み有害の快樂を絶つことなりと

リチァルド ポールソン氏云く幸福とは五千ポント(金貨二萬五千圓)の歳入なりと

ポリングブローク氏云く幸福とは成功なりと

ソフネクリーズ氏云く幸福とは赫々たる大國の人民たることなりと

ツィムァルマン氏云く幸福とは健康と書籍と幽居なりと

ダレンヘル氏云く幸福とは健康と有福と普通教育なりと

ショーペンハウワル氏云く未だ希望の煩惱界を離れざる者には晝の夢を幸福とし之より以

上能く悟りたる者には遁世と蒲團の厚き椅子を幸福とすと

同氏又云く渡世の戰爭に勝利の見込みあるは幸福にして此戰爭に避く可らざる打擲を被り

て後に快き病院に入るも幸福なりと

セネカ氏云く幸福とは徳を高くして世を遁るゝことなりと

ゼー ゼー ルソー氏云く幸福とは國君と罪惡との暴威を遁れて自由なることなりと

ユドモン アブー 氏云く幸福とは銀行との取引好きことゝ、好き料理番を得たることゝ、

飲食消化好きことなりと

アナクサゴーラス氏云く幸福とは衰勢に屹として動かず盛時に程を忘れざることなりと

釋氏云く幸福とは安心なりと

以上は米國開版のポプュラル サイアンスと題する雜誌中の一節にして古今の識者が幸福

の文字に下だしたる解釋なり毎人の所見同じからずして意味の極めて高遠なるあり又近淺

に似たるものあり我輩は固より其是非の判斷を企る者には非ざれども今の日本の社會に居

り社會の身を以て考ふれば彼のソフヲクリーズ氏の云ふ赫々たる大國の民たるを以て幸福

とすとの解釋に至りては多少の感慨なきを得ず試に歐洲に遊歴して英佛獨露等の人民を見

れば意氣揚々として自國の文武富強を恃み假令へ其夸大の意を言に現はさゞるも眼中人な

きの状は外に溢れて見る可し心中定めて愉快なることならん又米國に至れば其日新の富實

殆んど底止する所を知らず國に兵備なくして之を敢て窺ふ者なく殖産忙中遙に舊世界の軍

事に忙しきを見て冷笑するが如き是亦甚だ愉快なることならん盖し歐米の文武富強は國民

の力に生したるものにして其幸福は取りも直さず手製の幸福より外ならず我日本も今日こ

そ尚未だ彼れに及はざるものあるが如くなれども國の地位と云ひ又氣候物産と云ひ天與の

惠み决して薄からざれば此天與を空ふせずして人力を施すときは前途の望、春の海の如し

假令へ吾々の畢生に望を達するを得ざるも後世子孫果して幸福圓滿の日ある可し故に赫々

たる大國の民たる幸福は我國人手中の物として十分の望を抱き目下我同胞兄弟の中、殊に

上流の社會に於て最大幸福の一を缺きて物足らざる其次第を述べんに我上流社會に内(英

語のホームなるものにして家屋の家に非ず)を成さゞる者多きの一事なり抑も内とは夫妻

親子一家に團欒して相互に隱すことなく相互に忌むことなく貧は貧を共にし富は富を同ふ

し苦樂相共に輕重する所なくして平等に之を分ち假令へ貧困の身を苦しむるあるも不愉快

の心を痛ましむるものなく言行自由自在にして家中都て禁句なきものを云ふ然るに不幸な

るは我日本男子に古來貞節清潔の教なくして世々の習慣殆んど其性を成し假令へ之を犯す

も自から罪たるを知らずして世論亦これを咎めず蓄妾多妻花柳の流弊その結果は伏して一

家妻子の鬱憂と爲り發して家政紊亂の禍源と爲り妻にして夫に語るを得ず子にして父に問

ふを許されず骨肉至親の一家内にして時としては言はず語らず互に目を以てするの慘情な

きに非ず至大の幸福を失ふものと云ふ可し一國の繁榮を謀るには先づ其國の風俗を改良せ

ざる可らず而して國風は家風より發すと云ふ、一國の體面を維持して國光を外に輝かさん

とするには國民の公徳に依頼せざる可らず而して公徳の源は私徳に在りと云ふ左れば吾々

が赫々たる大國の人民と爲る可き其企望は萬々空しからざるを知ると雖も其路に橫たはる

障害物は我日本男子の内行なりと斷言せざるを得ず語を寄す天下上流の士君子苟も國を愛

するの誠心あらば先づ其家を愛して内(ホーム)を成し先づ第一の幸福を全ふして第二の

幸福に及ばんこと我輩が敢て言葉を正ふして勸告する所のものなり