「敎育の犠牲」

last updated: 2019-11-26

このページについて

時事新報に掲載された「敎育の犠牲」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

本論に付きエフ マキス ムーレル氏の意見

回顧すれば今を距ること凡そ四十年前、余は文官の撰任に試驗の必要なる事を熱心論辨し

たるものなれば世人は余が敢て輕々しく右の意見書に記名せざりし次第を了解せらる可し

印度政廳にて官吏の任用を公開の試驗に付せし前、及びサー チャーレス トレビリヤン

が英國の文官任用規則に改正を加へし前に當り余はタイムス新聞の紙上に於て特許に依り

て官職を與ゆるの害を論じ文官の登用は試驗に於てせざる可らざる事を痛論したりき今日

に至りても余は此議論に於て一歩を枉げざるのみならず猶ほ依然として特許任官の事は人

間に過分なりとの説を執る者なれども又熟ら熟ら世の情態を察するに今や正に其試驗の方

法を吟味して之を改良し若しも能ふ可くんば其利に伴ふ所の害を減ずるの策を講ずべきの

時節到來したりと云ふ可し抑も現行の試驗法は其利uの多きにも拘はらず我國の公共學校

及び大學校の實際に缺典あるを免れざるは明白なる二個の事實に依て之を證す可し即ち其

一は既に公立學校に於て六年の課程を卒へたる者にして大學分科及び大學の入學試驗に落

第したる者の數と其二はオクスホルド及びケンブリツヂ大學の學位を有する者にして一兩

年の用意を爲さゞれば文官登用試驗に及第すること能はざる者の數とを見れば事實の證明

これより確かなるものある可らず余は十分にこの事を論ぜんと欲すれどもその餘暇なきを

以て唯、余の心中最大の所感を陳するに止む可し余がオクスホルド及び其他に於て見たる

處に依れば曾て試驗法に屬したる所の希望は全く水泡に歸したるものゝ如し今の少年學生

は百般の課業に唯試驗及第と云へる一の目的を有するのみにして其讀む可きの書は勿論、

紙數に至るまでも夫々規則に所定ありて自由の撰みを許さず終日課業に齷齪して左右を顧

みるの暇さへあることなし斯くて其結果は如何と云ふに規定の課業は止むを得ずして之を

修むるも一たび試驗の畢る後は恰も重荷を卸したると同じく直に忘却し去て片影を留めず

唯その跡に殘る物は心理上の惡心にして無理に過食したる後に嘔吐を思ふて食物を嫌ふと

一般の病症のみ余の所見にては此不幸たるや實に甚しきものにして今日まではイザ知らず

今後は必ず英國精萃の血芽を殘害するにも至ることならんと信して痛歎に堪へず盖し現行

法の下に最も苦しめらるゝ者は最も卓越の人物にして多數の愚人は之が爲めにuし活溌有

爲の少年は之が爲に損する所多かる可し往時我國にて頴才と稱する人々は其大學校に在る

や猶ほ尋常一樣の懶惰生たることを免れざるものなれども刻苦勉強の其中に何時しか發達

し皆一樣に秀逸にして何れを是れと區別する能はざる程なり其結果、果して如何なる可き

や國會議員と云ひ裁判官と云ひ僧正と云ひ海陸の將校と云ひ俊才卓越の人甚だ多しと雖も

其人物たる何れも同一樣にして其姓名を知らんとするには職員録を繙かざるを得ず今や我

國は國民群中に卓越する智力上の勇者を失ひつゝあるの有樣なるが扨之を歴史に徴するに

古來何れの國にても他の衆人中に卓絶したる數個の人物即ち眞の豪傑なくして能く其國運

の隆盛を致したるの例あることなし然らば則ち之を救ふの方法如何と云ふに余の所見を以

てすれば大學校の試驗法を改正するに在る可しと思はるゝなり即ち其試驗を二種と爲し一

は後來の望ある頴才有爲の者の爲めに二は其他の者の爲めに設け扨第二種の試驗は今日現

行の其儘にて唯大學の學位を與ふることを止めて單に分科大學の得業生となし第一種の方

は大學に於て眞實の卒業試驗を行ひたる後猶ほ三四年を經て更に最後の試驗をなし學位稱

號を與ふることゝなすものなり蓋しこの方法の實際の利害は試驗掛其人に關するものにし

て英國の試驗掛は大抵少壮の人なれども獨逸にては之に反して年老の人なるを常とし獨逸

の試驗掛は受驗者の平素學修したる所を試むれども英國少壮の試驗掛は其知らざる所を試

むるの風なきにあらず然かのみならず英國にては時として試驗掛が受驗者の豫備の敎師た

りし事などもありて人間の常情として他をして不安心の思を爲さしむることなきにあらず

兎に角に文官の登用法に關しては余は競爭試驗に代用す可き良法あるを知らざる者なれど

も其競爭は之を極度に減ずることを得ざるにあらず即ち其方法は試驗掛の管轄を巖密にす

ると競爭試驗を漸次に應用試驗に變ずるの二個條こそ最も必要なる可し(以下次號)