「時機空うす可らず」
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時事新報に掲載された「時機空うす可らず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
時機空うす可らず
六日の菖蒲十日の菊、又は證文出し後れなど云ふ語は皆事の機會を空うして假令へ其物あ
るも其用を爲さずとの意味を表はし人間萬事手後れにならざるやうにと之を警しめたるも
のならん抑も我輩は明治十五年の春始めて時事新報を發兌して以來政治に關しては官民調
和の要を説かざるはなし殊に當時は既に國會開設の約束さへ公けになりたるに付き國會と
あれば人民が政府に近く接して共に政を議することなり即ち官民直接の關係を生ず可きが
故に政府の人は大に心して方針を改め民間上流の君子に交るには禮を厚くし、下流の民を
御するには恩を以てし、有志者の言路を開き、商工の運動を自由にし、政費を節して租税
を輕くし、官海の豪奢を止めて民間に羨望の念を絶たしめ、不用の官吏を沙汰すると共に
或は野に有力なる政治家もあらば少々の缺典を問はず度量を大にして之を容る可し、官も
民も等しく是れ日本國人なれば互に深く疑ふことある可らずなど凡そ此邊の趣意を以て腹
案を草し爾來幾歳月の間、物に觸れ事に當る其度毎に幾十百回か論説して讀者の聽を煩は
したるは世に隠れもなき事實なりしかども筆端の微力は以て世運を左右するに足らず竊に
政治社會の事相を望見れば國會開設の約束以來言論の路は却てますます窮屈に變じて商工
業の運動は常に干渉の煩はしきを訴へ、人民の負擔は年々増すことあるも減ずることなく
官邊の費用は文明流の盛事に促されて底止する所を知らず、官尊民卑の宿弊は毫も其古色
を改めずして天下官吏に非されば人に非ざるの勢を成し人民も亦官吏を視て恰も之を度外
に置き民間上流の士君子にして苟も身の重きを知る者は故さらに遠方に去りて官風に吹か
れ官塵に汚さるゝを避るのみならず其の中にも熱心なる政治家は志を伸ばすに路なきを憤
りて不平に堪へざるものゝ如し、民間の事情斯の如くなれば政府も亦甚だ之を悦はず互に
相反目して相近づくを得ず國會の會期は漸く切迫して官民の不調和は却てますます甚だし
きを加へ今を去ること十五箇月明治二十年の末に保安條例の急發の如きは實に頂上の椿事
にして之を要するに官民調和を以て國會開設の準備とするときは開設約束の其時より保安
條例の發令に至るまで我政治上に出現したる事相は往々準備の反對症と稱す可きもの少な
からざるが如し我輩は唯拙筆の微力に赤面して世運の滔々たるに驚くのみなりしが人事の
活動は又自から意外なるものにして近來は政府にも政費節減の説を生じて頻りに其取調に
忙しく隨て官海全體に資素の風を催ほして從前なれば車馬高樓文明の榮華に誇りし者も今
は却て控目を主とし踏舞夜會などの盛事も自然に光明を失ふて一擲千金の沙汰は先づ以て
稀なるよし甚だ妙なりと云ふ可し又政談等の事に就ても本年二月憲法發布の前後より頓に
一面目を新にして調和の端は政府の方より開け第一官吏に政談演説を許して朝野の説を交
ふるの便利を生じ次て發布したる憲法は公明正大或は我民智の度に比しては過ぎたりと稱
す可き程に完全なるものにして國民の耳目を驚かしたり同時に大赦の恩典を以て國事犯罪
人は悉皆其罪を赦され彼の十五ケ月前に保安條例の爲めに退去を命せられたる者も一朝に
して青天白日の身と爲りたるが如きは政略の變化とは申しながら其劇しきこと嚴冬凛烈の
夜に眠り翌朝早起して忽ち春暖晴明の天を見る者に似たり又近來に至りては後藤伯の入閣
も其一事例にして伯が野に居て政府の主義に反對し政治上に於て現政府の人と不和なるは
世人の普く知る所にして既に彼の保安條例急發のときも後藤伯は退去の一名には非ずや隨
分危き者なりなど風聞せし程の次第なるに十五ケ月の日子こそ靈妙不思議なれ一切の不和
を溶解して其危かりし伯が内閣の一大臣と爲り他の諸大臣と共に安全至極なり
以上は何れも官民調和の一端にして即ち國會開設の準備ならざるはなし今後本年中より來
年の開期に至るまで尚ほ同一の方向に進んで所謂政府國と人民國との間柄は次第に相近づ
くことならん即ち我輩の宿論も少しく實を現はしたる姿にして誠に欣喜に堪へず唯この事
をして時機を早くせしめ等しく調和するものをば斷じて數年の前に决行したらんには其間
に官民双方の不愉快を釀すこともなく無益に財を費すにも及ばずして一層の美を加へたる
ことならんと少しく殘念に思ふのみなれども是れは俗情世界の習ひにして意の如くなる可
きに非ず況んや今日の調和は晩しと雖も全く時機に後れたるものに非ざるに於てをや兎に
角に目出度き事として尚ほ今より來年に至るまで政略の方向に改む可きもの甚だ少なから
ざれば若しも政府が其改革に勇ならずして日一日を空うし官民の不愉快未だ消散せざる其
間に早く既に國會開設の期に入るが如きあらば國會は唯是れ紛擾混雜の會にして徒に當路
者の累を爲し全國中政府と情を同うして相憐む者なかる可し此時に臨んで俄に心付き用を
節し税を薄くし繁を除き人を減し士に交り民を撫し官尊民卑は宜しからず言論不自由は道
理ならずなどとて頻りに救濟の策を運らすも是れぞ所謂十日の菊六日の菖蒲又證文の出し
後れにして物の用を爲す可らず當路の諸彦は思ふて果して心に得るや否や試に一言を呈す
るのみ