「政黨と藩閥」
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本文
政黨と藩閥
近來政治社會の有樣を見るに黨派の勢甚だ盛にして在朝在野を問はず苟くも政治家を以て
自ら任ずる者は陰に陽に黨派を作り黨勢を張るの用意に怠らざるものゝ如し國會いよいよ
開設して議塲に相爭ふの日に至れば假令へ内閣は政黨外に超然たる可しと云ふと雖も議會
の議决が自ら政府の政略に影響す可きは必然の勢にして議塲に多數を制するものは内外に
向ても亦有力者たる可きものなれば今日の政治社會に黨派の聲援は在朝在野ともに缺く可
らずして政府に立て政略を行ふも民間に在て其政略を動かさんとするも頼みとする所は均
しく黨派聲援の強弱如何に在るものと覺悟せざる可らず左れば黨派の聲援は今後の政治社
會に缺く可らざるものとして扨その黨派を作り聲援を得んとするには如何なる手段方法に
依る可きや聞く所に據れば西洋諸國の所謂政黨には夫々の主義綱領ありて一黨の人々は何
れも之を目的に運動するよしなれども今我國の黨派は果して斯の如くなるや否や從來世間
に政黨の名を唱へ主義は斯の如くなるや否や從來世間に政黨の名を唱へ主義は斯々なり綱
領は云々なりなど吹聽したるものなきにあらざれども其所謂主義綱領なるものを見るに甚
だ漠然として若しも其文面のみを目的として運動するには何か物足らぬ心地して實際適從
する所を知らざるの情なきにあらず盖し我國の文化は西洋諸國に比すれば猶ほ幼稚の域を
脱せず隨て政黨の如きも主義を以て團結するの機運未だ到らざるものにして今日の實際上
より見れば日本の政黨團結は漠然たる主義綱領を以てするよりも寧ろ人に依るを便利とな
すの觀なきにあらず例へば彼の自由黨と云ひ改進黨と云ひ將た近來の大同團結など云ふも
のゝ如き何れも一定の主義綱領あるには相違なかる可しと雖も其運動の實に就て見れば黨
派の盛衰消長は首領たる人物の出處進退に關するが如くなれば目下の機運に於て黨派の分
立は先づ主義に依らずして人物に頼るものと覺悟して可なるべし人或は今の時は人物崇拜
の時代にあらずなど云ふものあれども其實あるは爭ふ可からずして自由黨に板垣伯と云ひ
改進黨に大隈伯と云ひ又大同團結の後藤伯、自治黨の井上伯の如き何れも維新の功臣とし
て天下一般の崇拜する所なればその今日の主義技倆は兎も角も所謂人閥の勢に乘するもの
にして此人閥は其朝に在ると野に在るとを問はず其身に隨從して天下に重きをなすが故に
今の黨派が之に依て分るゝ其利害得失の談は擱き時の勢に於て事實致方なきものと觀念せ
ざるを得ず右の次第にて維新功臣の人閥が天下に重きを成すの事實は人の疑はざる所なれ
ども又今日の政治社會に於て人閥よりは更に一層勢力の盛なる藩閥なる者の存在すること
を忘る可らず盖し人閥は單に其人物の名望を景慕して之を尊信するものなれば其勢力も亦
名望の及ぶ限りなれども所謂藩閥に至ては其勢力决して此に止まらず數百年來一藩政治の
下に結合凝固したる其團結の力に依頼するものにして殊に維新以來二十餘年間隱然、力を
政治上に逞ふし曾て衰減の色なきは世人の共に認むる所なれば今後若しも其固有の結合力
を利用して現然競爭の塲に縦橫するにも至らば其勢力固より人閥の比に非らずして天下亦
これに當る者ある可らず近時の勢を察するに前に述べたる如く在朝在野を問はず黨派の聲
援を要するの有樣にして政治の事には疎遠なる神道家佛教家などの種類さへも猶ほ團結
云々を口にするの時節に際し我輩の臆測を以てすれば今日に隱然たる藩閥の結合が現然其
形を世間に顯すの機も餘り遠からざる可しと斷定せざるを得ず抑も政黨の論を講ずるに當
りては人に依て黨を分つさへ我輩の感服せざる所なるに况して舊藩政治の結合を以て今日
の政治社會に重きを成さんとするに至りては政黨の性質より見て議論の限にあらざれども
然れども世間滔々人に依て黨を成すの今日に當りては藩閥黨の現出も亦敢て怪しむに足ら
ず日本相應の現象なりとして之を看過し眞實の政黨論は之を他年の後に讓るの外ならんの
み