「法律は掛念するに足らず又恃むに足らず」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「法律は掛念するに足らず又恃むに足らず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

法律は掛念するに足らず又恃むに足らず

政府の當局者を始め思慮深しと稱する老論の人々は思へらく明年の國會は定めて囂々とし

て間々行はる可らざることを行はんと欲し許す可らざることを許さんと欲するの議論もあ

らん勢の免れ難き所なれども第一憲法は動かす可らず又觸る可らず第二貴族院の議員は身

分地位ともに之を衆議員議員に比するに遙に重きものなれば隨て其議論も鄭重なるべし第

三衆議員中にも官吏兼帶議員あれば成るべく實地に離れざる樣注意する所あるべし凡ろ此

等は衆議院の活溌論を中和するに足るものなれば假令へ政治社會に如何なる議論の流行す

ることあるも政府は毫も驚くに足らず靜に枕を高くうするを得べしとて安心する者あれば

又一方に於ける民間の活溌なる政治家は思へらく在野政黨の準備略々成ると雖も憲法あり

貴族院あり將た官吏兼帶議員ありて何れも多少吾黨に主張する意見の通行を容易ならしめ

ざるの風景あるが故に吾々は國會議塲に於てあらん限りの氣力を振ひ堅く守て鋭く進むの

工風を怠る可らず言若し行はれずんば何の面目ありて撰擧人に見えん云々とて頻に言論に

熱中する者なきに非ず雙方ともに覺悟の次第は尤もなれども我輩の所見は少しく之に異な

る所ありて甲の恃む所も未だ以て恃むに足らず乙の惧るゝ所も亦必ずしも惧るゝに足らず

安心するも不安心なれば性急なるも亦無益なるが如し成程明年を待て開設する第一期の國

會には活溌なる議論の容易に通過するを得ずして議員三百人の中二百に對する百の少數に

て否決せらるゝ事ありとせんに其開期中には一旦否決せられたる議案を再び呈出する能は

ざること法律に定むる所なれば唯その儘に諦め去り靜に次年の開期を待つべし其間には演

説に新聞に畢生の力を盡して議案の否决せらる可らざる理由を論辨し聊かにても天下の輿

論を己れの味方に招きて次の開期に及んで始めの通り復た之を呈出すべし此時に當り議案

にして若しも正當ならんには多少同意者の數を増して前には二百に對する百のものが一歩

を進めて百八十に對する百二十となり此時も亦少數にて否决せらるべし隨て否决せらるれ

ば隨て又次の開期に移し前と同樣の手段を以て唯同意者を増殖するを勉め磯邊の浪の返へ

されて又打寄せて幾度にても倦まず怠らず同一の議案を繰返して遂には百五十一に對する

百四十九となり其差僅に一人となりても法律によれば矢張り多數にして議案は又も否决せ

らるべし其差僅に一人なり政府は猶ほも泰然として更に議塲の景况に頓着せず味方の議論

を奬勵するを得べきや否や、斯て其翌年には辛抱盡力の効空しからずして衆議院に於ては

多數を占め呈出したる議案の通過するとせんに次に控へたる貴族院にては何分にも之に賛

成すること能はずとて斷然否决することあらん衆議院多數の决議にても貴族院の賛成なけ

れば國會の决議となすに足らざるは是も法律の定むる所なれば又如何ともすること能はざ

れども左りとて亦敢て驚くべきにも非ず最初に行ひたる手續に從ひ再三これを貴族院に呈

出するときは同院中にも次第に賛成者の數を増して是亦同じく僅に一人の少數とならんか

衆議院は既に議决せり貴族院は僅に一人の少數なり然れども法律の定むる所によれば否决

の權は聊かも變る所ある可らず政府は猶ほも法律に依頼して味方の議論を奬勵し得べきや

否や既にして兩院ともに其議案に賛成を表し始めて國會の决議となるも此上政府の採納を

得るに非ざれば未だ其目的を達し得たりと云ふ可らず此塲合には種々の手段の外に天皇に

上奏するの道もあることなれば必ずしも失望するに足らざれども斯までに取運びたる其間

には新めて上奏するまでもなく事の次第は早く既に叡聞に達して陛下は輿論の向背を察し

給ひ聖慮の御沙汰に及ぶなるべし然りと雖ども是は極端の塲合を想像したるものにして事

の茲に到らざる間に於て下院の决議の通過を見ること容易なる可ければ今の活溌なる政治

家が其意見を呈出して一兩度の障害に遇へばとて之が爲めに心を動かし詭激の言論をなし

て無益の騒動を惹起すの愚をなす可らず撰擧人に見ゆるの面目なしとて徒に鋭進に急なる

は抑も計の拙なるものゝみ前陳の手續によるときは表面は恰も緩なれども其内勢は却て偉

大にして金鐵の法律も亦遂に如何ともすること能はざるべし左れば政府とても同じことに

て法律に如何なる堅壁あるも之に由りて以て姑息の安心を買ふ可らず宜しく度量を寛大に

して輿論の傾くまゝに一任し徳義上より自ら省みて取捨する所あるこそ肝要なれ法律の許

す限りを極端に押詰めて以て運動の標準となすは機宜に處するの道に非ざるなり