「孰れか腐敗に近きや」
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本文
孰れか腐敗に近きや
去る一月廿六日米國紐育府發兌のハーバース ウヰークリー雜誌に米國新内閣員の一人な
る驛遞總監ジヨン ワナメーカー氏の略傳を記して曰く
大統領改撰の結果として新政府を組織したるが爲め顯要の地位を占むるに至りたる者の
中には僅に一地方に尊敬を受け將た勢力を有する位に過ぎざる者少なからざれども取分け
費拉府のジヨン ワナメーカー氏の如きは果して能く驛遞總監の任に當るべき人物なるや
否や敵と味方に論なく頗ぶる疑議する所なり葢しワナメーカー氏と云へば費拉府に有名の
ものなれども其有名なるは人の故に非ず唯大店を所持するが爲めにして同府中の商家職人
は云ふも更なり新聞紙の廣告を讀む者は皆これを知らずと云ふことなかるべし氏は米國著
名の商人にして僅かの歳月間に自ら建設したる其店は米國中に最大と稱せられて世界第三
に居るものなり左れば古來赫々の成功を奏したる人々と同じく共に是れ功名録中の一人傑
ならんのみ今その素性來歴を尋ぬるに氏は千八百三十八年ペンシルバニヤのチヤンバルス
バルグに生れ父は小やかなる煉化製造塲を所有せしが幼少の頃より毎朝五百の煉化を燒い
て僅に二錢の報酬を受け業終りて後學校に往くを常とせり稍や長して書籍店の丁稚となり
一周一弗二十五錢の給料にて朝々暮々四哩づゝを奔走するが職務なりしに此地元來功名の
機會に乏しかりしより氏は斷然袖を拂ふて兩親及び四兄弟に別を告げ費拉府に赴きてタワ
ルホールと聞えたる裁縫店の番頭となり次て一年一千弗の給料にて青年基督教會の書記と
なれり千八百六十一年同志と共に組合を組織し又舅の助けによりてシツキスス街とマーケ
ツト街との間に裁縫業を始めたりしが之れは是れ氏が榮枯浮沈の分目なりしに勤勞空しか
らず數年にして漸く事業の基礎を定むるを得たり氏の此業に從ふや鋭敏にも斬新奇抜の廣
告をなして以て其名を世に知られ飽までも之れを怠らずして商利の過半は廣告の利用によ
ると云ふも不可なき程なりき、千八百七十六年の冬に當りエバンヂリスト ムーデーがサ
ルテンス街とマーケツト街の角なる鐵道荷物塲の維持に堪へずして閉店するや氏は之を購
ひ得て此所にも衣類を販賣し命じてグランド デポツトと云へり是れぞ實に氏が今日の萬
大販賣店を興して四十七業の各部を別つに至りたる始めにして夫れより花客の需に從ひ各
種の業を營み安く買ひ安く賣りて手廣く事業を擴張せしかは爲めに他の諸商人は壓倒せら
れて職業を抛つに至る者多く中には産を破り身を傾けて他の地方に移住する者あれば當の
仇敵のワナメーカー氏の許に來りて僅に職を求むる者もあるに至れり聞く所によれば右グ
ランドデポツトの勃興せざれいし以前には年々廿萬弗の商業を營み來りし商人にて果敢な
き破産に身を托する所もなく今は一週二十五弗の給料にてワナメーカー氏の坐敷番を勤む
る者ありと云ふ、氏は日々午前七時三十分より午後六時三十分まで店に坐すれども猶ほ其
上に氏が凡ろ三十年以前トウエルブス街とベーンブリツヂ街の角に設立したるベサニー日
曜學校の事務を監督する由にて同校は目下二千五百人の生徒を養ひ國中の寺院、學校、青
年文學會その他種々の慈惠及教道會とは概ね氣脈を通するものなり斯て氏は萬事を抛ちて
教道に從事するにあらずと雖も青年基督教會及び他の嘉すべき目的の爲めには數千金を投
じて曾て少しも惜む色なし、居常その行を見れば恰もピユーリタン(清教)信者に似たる
ものにして酒煙草は一切用ひず芝居にも往かず競馬その他の勝負事をも見ずして唯樂とす
る所は彼の日曜學校の管理にありとぞ居宅はウアルナツト街に町住居の家ありジエンキン
タオンに田舎住居ありケープメーポイントに海濱の別莊あるのみ蓋し質素を旨とするもの
にして二年前畫工マンガスシーの筆に成りたる基督が海賊に差向ひの繪を大金にて購ひた
るは少しく世上の注意を惹きたるものなりき
扨右の文中に明記せざれども氏は唯の金滿家にして今度驛遞總監となり新内閣に列するを
得たるは曩に大統領改撰の際大金を費してハリソン氏の當撰を助けたるが爲めにして即ち
金によりて購ひ得たるものなれば到底政務の處理に堪ふべくもあらず新内閣は早く已に腐
敗せるものなりとて暗に之を嘲笑するの寓意は言外に見る可し事實果して然るや否や假に
其説に從ふときは我輩は米國新政府が閣員其人を得ざりしを惜むの情なき能はざれども又
退いて一考するときは我國の現状に於て聊か赤面を催ほすものあり顧ふに我國とても維新
以前封建の時代にありては士族は世祿に衣食して生計上には更に顧慮する所なかりしが故
に其官途に仕進する者は由りて以て家計を豐かにせんと欲するには非ず唯平生の才量を展
べ其志を當世に行ふて功名を後に遺さんことを期するに外ならざれば苟も素志を達する能
はざるに於ては今日出身して明日その地位を棄るも惜む色なく出處進退都て淡泊公正にし
て卓然たる節操は吾人の竊に景慕に堪へざる所なりしに一朝封建の制度を廢して文明の政
府を打立てたる以來士風いつしか一變し去りて官途仕進の趣も亦昔日の潔白を留めず利祿
を先にして志を後にするものゝ如くなれば一たび得たる地位は及ぶ限りの力を盡して之を
守護し世人の物議不外聞は容易に之を聞き流して復た深く己れに省みるを須ひず恰も世は
次第に澆季に赴くに似たりと雖も能く其原因の所在を探るときは皆是れ其生計に内顧の憂
あるが爲めにして素志云々の如きは是非とも生活の次に置かざるを得ざるが故ならん左〓
は無産無祿の官吏が唯在官中の俸給に依頼するは我輩の夙に甚だ喜ばさる所なれども社會
の公僕とも稱すべき屬吏小官の輩に至ては亦是れ人物相應の職業なれば俸給に依頼して衣
食するも固より咎む可きにあらず唯これより以上の政務に當る上等官が公の俸給と私の生
計と離る可らざるの關係をなして自ら其出處進退の自由を妨ぐるとありては當人の爲めに
遺憾なるのみか又我政治上の迷惑も計る可らず今米國のワナメーカーが金の功によりて内
閣顯要の地位に立ちたるは其形跡面白からずして政務上にも不得策なるが如しと雖も氏の
一身の事情によりて考ふるときは家産既に豐にして福利に飽き今や漸く歩を進めて名譽を
博せんと欲する者にして云はゞ生計以外の餘業なり其潔不潔は彼我ともに日を同うして語
る可らず我輩は氏が立身の次第を聞き其表面の忌はしきを憾むと同時に裏面に於て自ら大
に尊重すべき所あるを察し我國にても先づ取敢へず高等政務官を無給の榮譽官と爲して名
利混合の弊を拂はんことを希望するものなり