「大臣の勳等」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「大臣の勳等」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

大臣の勳等

道路の風説を聞くに新任遞信大臣從三位後藤伯は近々從二位に昇敍せらるべしと云ふ抑も

位記の上下は何を標準とするものなるや顧ふに今の各省大臣は何れも從二位なれば國務大

臣たる者の身分は正に從二位に相當するものならんか夫れにて我輩は別に異論もなけれど

も各大臣は從二位の外に打揃ふて勳一等なるに伯のみ獨りこれ無ければ或は其位記を進め

らるゝと共に同じく勳一等を賜はることもあらんか若しも左ることあらば我輩は少しく怪

む所なき能はざるなり元來勳と云へば我輩は少しく怪む所なき能はざるなり元來勳と云へ

る文字は字書に如何なる意義を掲ぐるやは知らざれども尋常の心を以て普通の意味を解釋

するときは勳とは曾て仕遂げたる功績の謂にして即ち過去の手柄を云ふものゝ如し左れば

軍人が戰塲に臨み何等かの功績を奏して國に忠義を盡すときは歸來賞せられて相應の勳等

を賜はることなれども出陣の初めに當り未だ矢石の間にも奔走せず帷幄の中に謀を運らし

たることもなき者に勳等の沙汰は稀なるが如し例へば今の我國の將士中にても勳章を帶ぶ

るものゝ多きは則ち明治十年西南の變亂に當り征討の軍に從ふて功を奏せしが故にして此

訳なかりせば有勳の者も亦定めて少なきことならん皆是れ過去の手柄の顯はれて勳と稱す

るに至るの實を知るに足るべし右の解釋にして誤らずとすれば文官とても亦武官と同樣既

に國家に功勞あるものなればこそ之に酬ゆるに勳を以てすることなれども唯その席を占め

其位に居るのみにては如何なる高位高官にても亦其人物は俊秀卓越のものにても直ちに賜

勳の恩典に與かることは决して相叶ふ可からず如何となれば將來を豫想して未必の勳功を

定むるは理に於て撞着す可ければなり然らば今の論旨に從て新任後藤伯の勳功如何を評せ

んか伯の官は遞信大臣にして其人物とても他の大臣に讓らざるべければ後日に至り大に國

家に功勞を効すべきなれども今日の所にては恰も文官の出陣とも云ふべき塲合にして去月

二十二日始めて就官し爾來指を屈するに未だ二旬に滿たざれば何分にも勳功として數へ擧

ぐべき程の事跡あることなし左れば單に國務大臣の地位に出陣したる後藤伯としては勳章

を授くるの理由なきこと明白なれども然りと雖も前に云へる如く勳とは過去の手柄なるが

故に伯の身には即ち王政維新前後の大勳ありと言はんか甚だ穩當なる言にして此舊勳の點

より觀察すれば伯は决して他の各大臣に讓るものに非ずして寧ろ優ること數等なれば勳一

等の上に出でゝ差支なきやに思はるゝ程なれども唯奈何せん維新の勳功を今日に表彰する

は餘程時節に後れたる次第にして且又獨り後藤伯のみならず當時の元勳中に其身の大臣に

任せられずして隨て勳章を帶びざる人物も少なからず而して其これを帶びざるは漫然忘れ

られたるに非ずして必ず理由の存することならんなれば其邊の事情を見れば維新の舊動は

追ふ可らざるものゝ如し既に新勳の擧るべき遑もなく又維新に遡りて舊動を追ふ可らずと

するときは伯が今日に於て勳一等の榮を得るは難きことならん若しも然らずして容易に之

を授くることもあらんには其授勳に就ては別に一種の理由なかる可らず唯我輩に於て之を

知らざるのみ

前に陳べたる如く勳なるものは曾て積みたる功績を云ふものなれば同一の方針を取りて同

一の事業に當り同一の才能を以て進退を共にしたる者は格別なれども然らざる以上は人に

より其功績の大小多寡を殊にすべきは盖し人事の當然なるが如し然るに明治政府の大臣參

議は必ずしも初めより其境遇を同うせざれば隨て功勞にも差違あるべき樣に思はるれども

實際に於ては其人々が内閣に入れば皆打揃ふて勳一等を戴かざるはなし我輩は其勳功の能

くも斯くまでに平均したるを怪むものにして或は是も位記と同樣大臣參議の身分に隨伴す

るものには非ずやの疑なき能はず何分にも勳の字の本義に照らして自から釋然たるを得ざ

るが故に今度後藤伯の授勳如何を見て以て庶幾くは年來の惑を解かんと欲する者なり