「觀花」
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時事新報に掲載された「觀花」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
觀花
「見わたせは柳さくらをこきませて都そ春の錦なりける」今や滿都の春色、錦を織成して
東西南北宮城禁園のあたりより田夫野人の家に至るまで花柳の綺羅を張らざるはなく殊に
昨日來は天氣も麗らかにして空吹く風も穩かなれば百萬の都人は貴賤を論せず貧富を問は
ず遊春弄花の興に忙はしく東台の山上、墨陀の堤邊、到る處に扇影衣香の雜沓を見ること
ならん之れは東京府下のみに就きての觀なれども時に多少の遲速こそあれ昨今は全國何處
も花の季節にして惠風枝を誘ふて滿山白を呈すれば處々の名所遊園に子女の相嬉遊する情
態は坐して思ひ見る可し抑も人間の浮世に在るや其命運は種々樣々にして陰徳必ずしも人
間の浮世に在るや其命運は種々樣々にして陰徳必ずしも陽報なく不義にして富み且つ貴き
ものもあれば正直にして貧、且つ窮するものも多く佳人に薄命と云ひ才子に多病と云ひ細
かに其起伏纏綿の有樣を觀察すれば今の人間社會は之を不平怨恨の淵藪と稱するも不可な
きのみならず更に一層深入して其内情を探索するときは時と地位とを得て表面には至極得
意らしく見ゆるものも實際の實情に立入れば亦案外の者にして仲間の折合にも注意せざる
可らず世間の評判にも気付ざる可らず其心配苦勞一方ならざる猶ほ其上に家内の風波も穩
かならず家計の鹽梅も宜しきを得ざるなど獨り自ら心を惱まして人知れぬ苦みもある可し
左れば圓滿なる快樂は朱門高第の邊に在らずして却て三間の茅屋中に存する事もあらんな
れども其は兎も角も不平怨恨は人間社會に免る可らずして人生五十、一年三百六十五日貴
となく賤となく富となく貧となく總てこの不平の海底に沈溺して自ら起つことを知らざる
其間に氣候は何時しか變遷して艷陽四月の節となり都鄙の春色、正に錦を織るに至れば年
中鬱屈したる人心も亦いつしか春を催ほして貴賤貧富男女老若おのおの夫れ相應の綺羅を
着飾りて花前に醉ひ花下に歌ひ共に平生の苦痛を忘れて春の日の短きを喞つものは正にこ
れ昨今花時の有樣にして或る外客の評に日本人は花に狂するものなりと云ひたる由なるが
其言敢て不當ならず日本人はこの花時の狂態に斯生一年の鬱屈を散ずるものにして或は造
化が特に日本人に私するの賜物と稱するも可ならんか兎に角にこの賜物が平等一樣、人の
心を融和して年中鬱屈の情を伸ぶる其効能は至大のものなりと云はざるを得ず
就て思ふに正直、勤勉、儉約は經濟上の三要徳にして人生よく之を守りて怠らざるときは
處世の道に不如意の事なかる可しとは學説上の道理にして如何にも尤もなる次第なれども
如何せん人間世界は道理一片の世界にあらず一方に理の領分あれば又一方には情の支配を
免るゝ能はざるものにして其境界分量は孰れか廣狹、孰れか多少容易に判知す可らず譬へ
ば猶ほ人間が精神と身體とより成立すると同樣の次第にして其精神は即ち理と情とより成
りて事の實際に現はれたる處より云へば理は三分にして情は其七分を占むると云ふも可な
る程のものなれば道理の上にては一點の批難なき正論も有情世界の實際には容易に行はれ
難きもの多し正直以下の三徳の如き則ち其例にして經濟上の道理に於ては毫も間然す可き
處なしと雖も扨その實行となれば甚だ困難なるものにして例へば正直は人の美徳たるに相
違なきも之を嚴正に守るときは一塲の戯言も猶ほ且つ之を咎めざる可らざるに至らん今の
人情世界に通用す可きや否や若しも又これと反對にして今の浮世に理屈は談ず可らずとな
し單に情のみに趨ることもあらば其弊は詐欺、懶惰、驕奢の惡風に流れて復た救ふ可らざ
るに至らんのみ左れば人間社會の事は理に偏す可らず又情に泥む可らず能く其節制中和を
得ること肝要にして經濟上の諸徳を守るに於ても偏屈に失せず放縱に流れず正直にしてよ
く戯謔し、能く勉め能く遊び、常に儉約を守りて時に豪奢を試むる等理と情との間に出入
して其程を失はざるの心掛專一なりと知る可し今や都鄙到る處花盛りの好時節にして人々
花に狂して造化の樂みを樂む其樂みは愉快なることならんと雖も顧みるに平生一身の心掛
は果して何れの邊に在りや年中よく正直、勤勉、儉約の諸徳を守りて怠ることなく時に春
晴に乘して花下に遊戯し身分相應の豪奢を試るが如きは所謂情を養ふの法にして其養情法
は更に勤勉儉約の働に新鮮の生力を添るものなり觀花の事些末に似たれども人間處世の妙
機を窺ふに足る可し