「政治壇上には利を説く可らず」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「政治壇上には利を説く可らず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

政治壇上には利を説く可らず

政治壇上には利を説く可らず

熟ら熟ら西洋諸國政治社會の有樣を見るに黨派政治よく實際に行はれて其効を見るの國々

少なからざる中にも英國の如きは其最たるものにして内閣の更迭を黨派の爭に附して甲仆

乙起、政權授受の頻繁なるにも拘はらず政機は常に圓滑にして曾て澁滯扞格の患なく獨り

黨派政治の美を世界に專らにして世の政を談ずるもの皆これを稱せざるものなしと云ふ抑

も政權の授受を公然たる黨派の爭に訴へて毫も難色なく授くる者も受る者も之を尋常視し

て其間に不平怨恨の沙汰なしとは假令へ年來養成したる習慣に依るものとは云へ一見先づ

驚かざるを得ず近來我國に於ても頻りに英政の美を唱へ黨派政治の利を説くもの少なから

ずして此輩の胸中には日本政治の將來に彼の實例を畫くことならんなれども今日の有樣よ

り推して今後の成行を考ふるときは事實果して望の如くなる可きや否や不安心の思なきに

あらずと申す次第は抑も英政が今日の美を致したる所以のものは種々の原因もある可しと

雖も我輩の所見を以てすれば之を彼の國人固有の美徳即ち政治壇上に利を説かざるの氣風

習慣に歸せざるを得ず抑も利に趨るは世界古今の人情にして殊に英人の如きは最も利に敏

き人種なるに獨り政治上に利を説かざるは不思議に似たれども决して不思議に非ず即ち其

利を説かざるは利に敏きが故なりと云ふ可きのみ一國の政治社會に政黨員が私利を營まん

とするときは國の政治は忽ち其秩序を紊して偏頗不公平の政略となり商工社會に非常の損

害を及ぼすのみならず黨爭激烈の極度に達す可きは勢の免れざる所にして國運猶ほ幼稚に

商工の業未だ發達せざる國に於ては往々斯る災害を見ることなれども其進歩發達英國の如

きものに至ては則ち政治上の私利の爲めに一國の大利を殉せしむることを許す可らず是に

於てか利を營まんとする者は政治の外に於てせざるを得ずして政治社會は唯、權を振ふの

塲所となり利を欲するものは商工社會に往き權を好む者は政治社會に入り兩者相分れて相

紊さゞるのみならず實際權を振はんとするには利を損せざるを得ざるの塲合あるを以て政

治の事と營利の業とは相兩立すべからざることと爲り其政治社會に入るは既に利を得たる

ものが更に權を振はんとして物數寄にも餘勇を政治上に皷するに外ならず或は之を評して

英國人は政治に衣食せずして政治を樂しむ者と云ふも可なり然るに顧みて我國の有樣を見

れば國運の進歩固より英國と同日に語る可らずと雖も古來政治上に利と權との區別甚だ分

明ならざるものあるが如し往昔封建の士族は世祿にして衣食の不自由を知らざるが故に利

を營むの念も亦自から淡泊なりと云ふと雖も徳川の治世二百何十年の事實を見るに諸藩に

て黨派論の激烈にして政治の紛耘絶えざりしは兎角貧藩薄祿の家中に多くして大藩厚祿の

家には其例極めて少なかりしと云ふ即ち藩政の爭に政治の權と衣食の利と相混し政權の名

を以て錢米を〓ひし者にして此氣風の存する限りは黨派政治の長處は到底望み難きものと

覺悟せざる可らず近來は日本の國運も大に進歩して政治の論も稍や精密に赴きたれば此邊

の心配は左まで必要ならざるが如しと雖も更に眼界を廣くして全國の情態を察すれば殖産

興業の氣運は政治論の進歩に伴ふ能はずして國中無數の政論家は既に利に滿足し更に其餘

力を以て權を振はんとする者のみならず中には無錢有志の輩も甚だ少なからずして政壇を

以て利達榮華の塲所と心得、只管これに熱心するものなきにあらずと云ふ若しも斯る輩を

して其志を得せしめなば政治社會は如何なる有樣に陥る可きや英國黨派政治の先例は徒に

夢想に歸し舊藩黨禍の慘劇を今日に再演することなしとも云ひ難し國の爲めに謀りて此上

の不祥ある可らずと我輩の大に恐るゝ所のものなり左れば今日の政治を談ずるものは利と

權との區別を明白にすること最も肝要にして彼の擾々たる下界の政論家に至てはこれを責

むるも今更詮なきことなれども上流の地位に在りて政論に從事せんとするものは務めて此

區別を嚴にして堅く自ら守る所のものなかる可らず若しも然らずして政治の上流に少しに

ても汚塵を帶ぶるときは滔々たる下流の混濁は遂に洗ふ可らざるにも至る可し我國今日の

進歩に於ては遽に利と權との區別を明白にすること或は困難なる可しと雖も當局其人の心

掛次第にて其事も強ち行れ難きにあらずして今後黨派政治の實際に行はるゝも行はれざる

も又其黨派の爭の圓滑なるも酷烈なるも皆この區別の如何に原因するものなれば我輩は今

の上流に在りて政論に從事する人々に向ひ特にこの區別を巖にせん事を望む者なり

讀メール新聞

我輩は去る三日の時事新報に於て衆議院議員の年齢三十歳以上とあるを廿五歳と改むる方

は寧ろ得策なるべしとの旨を開陳せしに橫濱メール新聞記者は昨日の紙上に之を評論して

近來政治社會に壯士なるものあれば之をして國會議塲に出現せざらしめんが爲め法律の上

に充分の用心を加へざる可らず其上年齢を三十歳以上と制限するも他に差したる不都合あ

るべしとも思はれざれば今日の所は先づ此儘として後日に至り不適當なることあらば其節

に改正を施こすも未だ敢て遲きに非ず撰擧の區域を擴張するは易く之を縮小するは難し

云々とて壯士の爲めに深く心を勞するものゝ如し此點に於ては我輩も亦同感にして小壯な

る活溌論者が國會の議論を左右するは誠に好ましからざる次第にして心に之を思はざるに

は非ざれども前日の論文にも記載したる通り事の實際に於ては老人の撰擧せらるゝ者多か

るべくして既に府縣會の議員も三十歳以下の人は僅に總數の五分位に過ぎざることなれば

其邊に深く遠慮せんよりは寧ろ區域を擴張して政略の大膽を示すに如かずと申したるにて

啻に壯士を忘れざるのみか一は以て其囂々の聲を防がんと欲せしなり如何となれば前記の

如く所詮少壯論者は國會議塲に出づること能はざるに相違なけれども今年齢三十歳以上と

制限するときは恰も此法律の爲めに議員たるを妨げられたる樣の感覺をなして若し之無け

れば乃公も亦議員たるべきに法律こそ不都合なれとて不平の口實を得ると共に無益の議論

を放たしむるやも知る可らずメール記者の配慮は尤もの儀にして我輩も精神に於ては異な

る所なけれども唯其前途の見込を異にしたる迄なれば一たび事の實際に照すときは記者も

亦同説に出づることあらんか况んや日本人民が心身の發達の速なるは過日の紙上にも記し

たる如く其老衰の速なるを見ても亦知るべきに於てをや既に壯士の出づるを憂へず將た何

を苦んで青年稀有の人材を失ひ併せて壯士の口實を造らんや記して以て記者の反省を乞ふ