「外國政府は思ふて他日の計に至らざるか」
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本文
外國政府は思ふて他日の計に至らざるか
雲霧山を遮て看れども見えず今日や晴れん明日や見えんとて全國の人心は唯何となく希望
の中に惱殺せられ敢て未だ容易に動搖せざるものは條約改正の談判にして當局者の政略は
何れの邊にまで運びたるや或は日ならずして雙方の和熟を見ることならんかなれども月を
移し年を經て猶ほも依然として有無朦朧の間に彷徨ひ容易に實効を見ざるによりて推察す
れば或は條約國中不理屈を唱ふるものありて求む可らざることを求め、許すべきを許さゞ
が爲めならんか、我輩は日本國民なるが故に枉げて日本の爲めに言を飾るに非されども我
國にて改正を要求するの點は頗ぶる穩當のものにして尋常普通に獨立國の保有すべき所ま
でを限り决して分外不法ならざるは内外具眼者の飽くまでも知る所なるに尚ほ其談判の結
局に至らずとは扨も扨も堪へ難き次第にこそあれ諸外國の政府は舊條約のまゝにても苦し
からずとの〓(胸・月が下)算ならんなれば云はゞ無責任の姿なれども苟も内外地を易へ
て外國人が日本人の身と爲りて考へたらば吾々人民の不平當局者の苦心を推量するに足る
可し然りと雖も痴言は徒に人の笑を取るに過ぎざれば今日と爲りては我輩も敢て愚痴を陳
べずして別に大に覺悟する所のものなきを得ず仄に聞く我當局者は改正の談判に就き各國
同一樣の同意を求めずして此方の要求に應ずるものを招き片端より箇々別々に着手するこ
とならんと言ふ此言にして事實ならば今後談判の調ふたる國は我要求に應じたるものにし
て其調はざる國は我要求を拒みたるものなり即ち調と不調と判然相分るゝことなれば吾々
日本國民が諸外國人に對する覺悟も是に於てか始めて判然して恰も厚薄の標準を得たるも
のゝ如し左れば談判の調不調は各國政府の意に一任して我輩の頓着する所に非ずと雖も其
不調國の爲めに謀りて利か不利か鄙見を以てすれば聊か氣の毒なる次第もあれば心得の爲
め試に之を一言せんに始め日本にて外國交際を開くに當りては諸外國にても能く我國情を
知らず日本とは如何なる國柄にして政府ありや將た王ありや徳川大君と申すは酋長なるや
頭領なるや人物も衣服も家屋も道路も怪しきものゝみなれ共國土の位地氣候の工合により
て察すれば何か多少の物産はあるべし好し製造品はなきにもせよ粗生品は一廉の荷物なら
ん硝子細工と交換するも損失はなかる可しとて唯貿易射利の一點にのみ着目して餘事は都
て野蠻と見下したる又一方の日本にては外國とは何れの邊にありて其國人の生活は如何な
るや荏苒の草莽を見れば人類相喰ふものに非ざるか、言語通ぜざれば言葉なきものには非
ざるか、醜虜なり蠻狄なりとして黒船の烟は驚くべきものなれども心竊に之と齒ひするを
恥ぢたりしに雙方知らざりしこそ赤面の至りなれ歳月を經るに從ひ互に事情を探りて見れ
ば日本の進歩も案外にして文物制度の秩然たるは正に是れ東海唯一の君子國なり又西洋と
ても夷狄ならず有形無形の文明は既に非常の進歩を成して學問なり技藝なり就て學ぶべき
所も少なからざりしかば我國人は早くも昨夢を忘れて爾後汲々として之を輸入するを勉め、
由りて以て長足偉大の進歩を致し法律の改良、文明の教育、商賣工業航海の事より海陸軍
の制に至るまでも先づ以て獨立國の體面に愧ることなくして文明世界の交際を維持するに
足るの今日に至りしことなり然らば則ち今日の日本は單に是れ貿易商賣のみの野蠻國に非
ずして文明交際の一帝國なり西洋諸國の政府は之を視て如何の觀を爲すや果して交際國と
認るならば宜しく對等の交際を開く可し我れ亦之に應するの覺悟ある可し、或は強大國の
故を以て唯一概に自國の我意を張り飽く迄も昔時の日本國なりと蔑如し去りて尋常普通の
條約を拒み我國人をして鬱屈の中に死生せしめんと欲するか、子孫萬世徹骨の恨は遂に忘
る可らずして之に報ひんと欲する覺悟も亦人情の常なれば日本人民が其強國人に對して商
賣上に又私交上に愉快ならずして自然に反目して雙方の不利たる可きは勿論、或あ事の大
なるものに至り例へば世局漸く變遷して他年一日彼の強大國の間に東洋問題の起ることも
あらば之を如何せん強大國の眼中日本を見る勿らんと欲するも得べからざる可し如何とな
れば日本は單に外人貿易の野蠻國に非ずして實力に乏しからざる交際國なればなり日本國
人の向背は以て強大國の勢力平均を左右するに足る可ければなり強國政府は果して其邊の
利害を知るや知らずや若しも思ふて心に得たらば何ぞ故さらに今日に不理を唱へて東洋に
於ける交際國人の心を傷ましめ以て自から他年の不利を招くの拙を行ふや我輩は假に傍観
者の地位に居て其理由の解釋に苦しむ者なり徳を知り又怨を知るは世界の人情にして日本
人も亦その例に洩れざる可し故に我輩は今日條約改正の事に就ては飽くまでも我頴敏なる
當局者を信じて之に依頼しながら又竊に人民自家の覺悟を定めて靜に事の成行を疑ひ以て
自家の向背を决せんと欲するのみ