「佛蘭西人 一」

last updated: 2019-09-29

このページについて

時事新報に掲載された「佛蘭西人 一」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

佛蘭西人 一

英國倫敦 高橋義雄

佛蘭西人は驚く可き人民なり不揃ひなる人民なり調子外れの人民なり其企圖實行する所、

時として人の豫想外に出で尋常繩墨の當て所なきこと多く此一點に至りては歐洲同列國中

に於て絶て其比を見ずと申すも可ならん抑も英國の人民は多年海上赫々の軍功今に天下を

震懾して獨り海上王の全權を握り地球到る處に通商し又その殖民地を開きて自から世界貿

易の中心と爲りテームス河上の國會議院は巍々として蒼空に聳えロンドン地下の鐵道は蜿

蜒として街底を走りグラスゴーにはクライド河上一帶の造船塲ありリヴアプールにはメル

シー沿岸七英里間の船渠あり海内外の偉功大業一見驚く可きが如くなれども英國の人民は

意氣身體共に武骨屈強にして物に當りて苟も動かず動けば必ず直進して其目的を達するの

氣根ある人種にして此氣根ある人民が彼の絶大なる事業を成就したるは固より以て驚くに

足らず事業人物正しく相適應したる者なりと云ふ可きのみ扨て又日耳曼の人民は聯邦の統

一、日猶ほ淺きにも拘はらず陸軍の精強、勝を天下に擅にし學問深遠獨り理論の淵叢と爲

り其國天然の福利に富まざるも商工殖産別に富國の道を開きて世界貿易の市塲には往々英

國人を壓倒せんとするの勢あり是れ亦大に驚く可きが如くなれども日耳曼人は堅忍勤勉苦

役を辭せざること支那人の如く愛國獨立の精神に富みて物に屈せざること英國人の如く然

かも多年の修練に因りて武事に勇むの風あるが故に今日此人民の事業の彼れが如くに赫々

たるを見るも决して驚くに足らざるなり孰も誠に尋常にして加藤清正が虎を撃ち樊〓(か

い・口+會)が門を破ると一般其事業は其人物骨相に對して恰も相當するを見る可きなり

佛國人に至りては然らず古來佛國の歴史を見るにシヤーレマン帝以下武功の赫々たる實に

羅馬の相續人にして常に歐洲の中原に雄視しナポレオン第一世の勃興するに及んでは蒼隼

の群雀を睥睨するが如く四隣列國孰れも其鼻息を窺はざる者なし何んぞ其れ盛なるや又そ

の政治史を通觀すれば帝政と云ひ共和政と云ひ政變革命旦暮相接し官民軋轢し同胞嫉視し

て時に幾千人を虐殺し其殘忍酷薄なる至尊を斷頭塲に斬るに至りて極まれりと云ふ可し此

等の事實より觀察すれば佛國人は武斷殺伐なるが如くなれども又一方より觀察すれば繪畫

文藝の思想に富み都雅風流の中心として模範を天下に示すなど優にやさしき趣に乏しから

ず今試に佛國人を見渡すに身體概して英國人よりも小なるが如く顔色は青白くして輕快柔

和の情を含み衣服は時好に隨て巧に之を着用し輕(か・革+華)高帽は流行と共に新にし

て善く云へば巧言令色、酷に評すれば隨從輕薄、交際に禮讓を重んじて武骨殺風景の痕跡

を留めず或る英國人の説に世に佛蘭西人ほど臆病なる者あらず佛蘭西人はシヤンパンの代

りに誤まりて酢を飲ませられても是れは誠に結構なるシヤンパンかなとて交際上主人の機

嫌を損することを恐れ敢て事實を直言すること能はず云々とありしが佛人極端の人情を穿

ち得て妙なりと云ふ可し苟も英米の殺風景なる國民に接して然る後に佛國に赴きたる人々

は鐵道停車塲に着し旅舘に投じ街上を行き知友を訪ふの樣に前陳の事實を感覺す可きや疑

を容れず英國の詩人ゴルドスミス氏は曾てアルプス山上より歐洲各國を俯瞰して有名なる

「旅人の歌」を作りたりしが其中佛國を評するには唯浮華の字を以てしたり夫れ唯浮華な

り輕俊才子、風流子弟、清〓衣に勝へざる人物なる可しと思ひの外此人物が武功に勇んで

歐洲列國を震懾し或は骨肉相食んで幾千の人民を殺戮し殘忍見るに忍びざるの事を爲す是

れ余が佛國人を稱して驚く可き人民なりと云ふ所以なり張子房は婦人女子の如くにして博

浪の椎ありとは状貌事業の相釣合はざる者にして古來世人の驚く所なれども余は佛蘭西國

人全體に對して竊に此感なきを得ざるなり