「佛蘭西人三」

last updated: 2019-11-24

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時事新報に掲載された「佛蘭西人三」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

英國倫敦 高橋義雄

佛國の富は何處にありや農産物製造業並に諸美術品等は固より其一部分なる可しと雖ども

千八百七十一年の敗戰には内の軍費の莫大なるに加へて獨逸に五十憶フランクの償金を拂

ひ爾後陸軍の擴張に又海防軍艦等の諸兵備に年々租税を揄チしたれども人民之を負擔して

敢て苦顏を示さゞるのみならず近時佛國の政事家が獨逸に對する諸策略の中今の歐洲軍國

の兵備は互に相平行比例すること肝要にして敵に一門の大砲を揩ケば我また之を晁hせざ

る可らず然るに獨逸の國と爲り富源に限りあるが故に我れ若し國用を傾けて之を兵備の一

方に注けば獨逸は兵備上の數に於て我れと相對比する能はざるの日ある可しとて獨逸に對

して兵備費額の力較べを試みんとする者ありと云へり此策果して事實に行はる可きや如何

は暫く置き佛國政事家が其富有を信ずるの厚きこと明白にして此等の富の何處に存するや

は世人の知るに苦しむ所なり余は此問題を擧げて外友諸氏に質すこと幾回なるを知らざれ

ども諸氏の意見は區々にして或は彼の巴里府を以て佛國富源の一と爲し世界各國の人々が

年々巴里府に豪遊して金を散すること莫大にして現に米國人のみの散財額毎年三千萬弗に

下らずとの説もあれば全體の遊興費推して知る可く特に巴里府廳にては府中に輸入する赤

葡萄酒(ボルト、クラレツト、ボルガンデー等の總名)に殆んど一倍の入市税を課し其他

遊客の消費品には大抵此比例を以て課税するが故に世界各國の遊客が年々佛國官民に仕拂

ふ者は實に莫大の金額にして今日巴里の盛觀も多くは此費額中より來り延て佛國富源の一

たる可きや疑を容れず云々の説あり又他の一説には佛國の富は祖先傳來積年の富にして其

富たる國土天然の沃饒より來り或は國民工藝の精巧より來りたること勿論なれども多年戰

捷凱陣の際に降服國より持ち歸りたる財寶も多かる可く現に千八百十五年十一月(ナポレ

オン第一世ウヲータアローに敗績してルイ十八世第二回目の復位の時)の條約にて佛國政

府はナポレオンの分捕たる繪畫彫刻諸美術品を伊太利並に日耳曼に返還することを諾した

る等の事情に因りて考ふるも當時戰捷者の所爲如何を知るべし孰れも佛國積年の富を成し

たる者にして古池に水枯れずの喩に違はず今日國費多端なるに堪ふるものならんと云ふ即

ち今日佛國の富は其來る所種々にして右等諸原因の結合したる者たるや疑を容れず斯くて

同國には所謂積年の富に因りて金の融通に不自由なく多年内外の多事に接して處世の活溌

なるを愛し心波情海滔々たる政治社會の變遷を見ること恰も一種の芝居の如く或は人氣あ

る政事家を聲援し或は其影武者と爲りて樂屋の蔭より之をあや釣る人々も少なからず現に

今のブーランジエー將軍が過般セーンの撰擧區に於て議員投票を爭ひたる時の如き其散財

は莫大にして當時フロツケ―氏の諸機關は將軍に大金のある可き筈なく金の出所こそ疑は

しけれと詰問したるに將軍黨は之れに答へて奸黨國を覆さんとする今日、正義愛國の人々

は窃に將軍の義風を欽募して之を助援せざる者なく將軍兵粮の無盡藏なるは固より怪しむ

に足らざるなり云々と説明したりしが其糧道の極端は彼の影武者の金穴に通ずること明白

にして彼等は其遊資を散して窃に政治上の活劇を樂しむ者なりと云ふも可ならん左れば近

年佛國にては内閣の變更頻繁にして短きものは數箇月、長きものも一二年に過ぎず政事家

の榮枯轉々間断あることなく「萌出るも枯るゝもおなじ野邊の草いつれか秋に逢はて果つ

べき」の一句は移して以て今日佛國内閣の状態を形容するに足る可く過般フロツケー内閣

の交迭に際して倫敦の或る新聞記者は佛國内閣は木葉の如く年に一度は落つるがゆえに舊

葉國中に散亂して昨今途上相逢ふ者概ね前内閣の落武者ならざるなし云々と評したり孰れ

も他國人の顰蹙して傍より心痛する所なれども佛國人は心窃に此變更の頻々たるを樂み此

變更なかりせば芝居の幕の換はらざると一般、却て興味の寂寞たるを感ずることならん蓋

し佛國人民は古來歐洲中原に在りて内外交渉の衝に當り深く國民獨立の義を解するが故に

人民自から立つ所に立て實際政府に依ョすることなく大統領職を辭して數日間國に主領な

きも宰相政敵と野に會して勝負を决鬪に訴ふるも人民其所を失はざるのみならず青天白日

其活劇を環視して市に閧笑怒罵する者比々として皆な是なり誠に不思議の國民にして尋常

繩墨の測る可き所に非ず從來歴史上の經驗に據るに英雄豪傑世に出てゝ此國民を引率すれ

ば龍驤虎騰何程強くなる可きやも知れず事業中道不如意にして敗色外に現はるゝ時は龍虎

忽ち犬羊に變じて何程弱くなる可きやも知れず即ち所謂調子外れの人民なる所以にしてナ

ポレオン再たび出現して此人民を皷舞すれば更に歐洲を震懾して其鼻息を窺はしむるの機

なしとも云ふ可らず今の佛人は昔の佛人に異ならず而して彼の英雄豪傑の士は時に人間に

降生するの望なきに非ず他年佛獨兩軍の勝負の如きも談何んぞ容易ならん如何となれば佛

國人は實に驚く可き人民なればなり(終)