「板垣伯と相原氏」
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時事新報に掲載された「板垣伯と相原氏」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
板垣伯と相原氏
板垣伯と相原氏
時事新報の讀者は去る十三日の紙上に記したる相原尚〓(耿の下に衣)氏が板垣伯に面會
したる一節の雜報を讀まれたることならん回顧すれば相原氏が板垣伯を「將來の賊」と認
め岐阜懇親會の席上に於て刃傷に及びたるは明治十五年の春にして今を距ること八年の昔
なり伯の負傷は幸ひ淺手にして其後、間もなく快復し今日に至りても精神氣力依然として
舊に異ならず氏も哀願の趣もありたる上に圖らざる特典に逢ふて端なく再び自由の身とな
り八年前に國賊と認めたる其人に面會し恩を謝するに至りたる事の次第は實に當世の一美
談として只管感嘆するの外ある可らず抑も伯が一身の故を以て其罪を惡まざるのみか一度
ならず二度までも其當の敵たる罪人の恩赦を哀願に及びたる度量は政治社會の大人たる伯
に在ては去ることながら、氏が八年の禁錮中みづから其思違ひを悟り獄を出るに及んでは
伯に面會を乞ふて遇を悔ゐ恩を謝したる其心事も亦憐むに堪へたりと云ふ可し然りと雖も
若し氏にして事を行ふの前に當り聊か思慮を運らし伯に面會して先づ其所思を窺ふの覺悟
ありしならば當時必ず自から悟りて决して今日の悔もあらざるべく且つ又伯の瘡も輕傷に
して速に全癒なしたればこそ幸ひなれ若しも然らずして其刀下に命を失ふこともあらば氏
も亦刑死せられて相共に恨を地下に呑みたりし事ならんに其然らずして今日あるは實に意
外の天幸にして雙方の爲めに賀せざるを得ず左れば人間社會の不幸は相知らざるより大な
るはなし相知らざるは相害するの起因なりと云ふも不可なきが如し我國にては維新の前後
より政治上の暗殺、踵を接し知名の士にして之が爲め不慮の災に罹りたるもの其數僅少な
らず而して其起因を尋るに眞實雙方相容るゝ能はざるの怨よりするには非ずして大概皆相
知らざるの間違に生ずるものなれば若しも其人々を地下に起して面會せしむる事を得ば共
に釋然容解すること相原氏出獄の後の如くなる可きや疑を容れず今や日本の政治社會は一
方に於ては政黨と云ひ政派と云ひ競爭軋轢、やうやく將に激烈ならんとするに他の一方に
は封建殺伐の遺習未だ止む能はずして動もすれば事の判斷を理論外に求めんとするの風な
きにあらず今後その勢をしてますます切迫して互に相衝突する事もあらしめなば禍の惨酷
なる豫め計る可らざるものある可し我輩は世の經驗と思慮に乏しき壯年輩が能く今度の事
を手本として深く自ら戒むる所あらん事を勸告するものなり
不徳の男子を如何せん
一個人の私行は法律を以て檢(手偏)するの限りにあらずと雖も之が爲めに社會の風俗を
亂るの虞あるものは法律の力を以て之を制すること實に已むを得ざるものにして彼の無恥
の婦女子が密に醜業を營むを禁ずるも即ち之が爲めなる可し我輩の敢て異存なき所なれど
も凡そ弊害を防ぐの法は徒らに其末を治めず先づ其本を改むること肝要にして彼の隱密な
る醜業の如きも單にその婦女子を罰したるのみにては未だ其法を盡したりと云ふ可らず如
何となれば斯る醜業者の社會に現出するは畢竟これを誘引する不徳男子の在るが爲めなれ
ばなり聞く所に據れば其筋にても醜業の取締に付ては用心等閑ならず種々の方便を用ひて
摘隱發微の實效を奏し哀れなる婦女子輩の罪せらるゝもの少なからざる由なれども現行法
にては其罰獨とり婦女子にのみ止まり同犯(寧ろ原犯)なる不徳男子に及ばざるが故に罪
人の多き割合に其害源を塞ぐの效は甚だ薄しと云ふ左れば道理一片の眼を以て見れば斯る
不徳不倫の男子は用捨なく同罪者として差支なかるべき筈なれども又一方より觀察すれば
社會の關係は種々入込みたるものにして一片の理屈を以て貫く可きにあらず若しも斯る所
業を以て雙方の罪となし之を罰して毫も假さゞるときは罪人は日に益す益す多くして意外
の結果なしとも云ひ難し社會の事情に於て許さゞる所なれば此一點に於ては多少の斟酌な
きを得ずして一般普通の法律にのみ依頼すること能はざる事もあらん歟、果して然らば夫
は夫として更に男子の一方に對し裡面より之を檢(手偏)束するの法を設くること肝要な
る可し即ち政府にては官吏服務規律中に云々の條を加へ又諸會社組合等に於ても其規約中
社員雇人に關する項中更に一箇條を追加し若しも不行跡を爲したる塲合には假令へ一般の
法律上には其罪を問はざるも勤務服役の規律に於て其罰を免るゝこと能はざる事となさば
如何、今の社會の風習として金錢上の關係は人々これを喋々して毫も假借する所なけれど
も婦女に關する醜行に至ては之を咎むるものなきのみならず公然人の前に語りて却て得色
あるものすらなきにあらず世の弊源は實に茲(玄+玄)に存在することなれば我輩は社會
矯風の爲めに獨り無恥なる婦女子を罰するに止まらず更に進んで不徳なる男子の放縦を檢
(手偏)するの必要を信ずるものなり