「巴奈馬地峽開鑿工事の中止を憾む」
このページについて
時事新報に掲載された「巴奈馬地峽開鑿工事の中止を憾む」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
巴奈馬地峽開鑿工事の中止を憾む
巴奈馬地峽とは南北亞米利加洲の中央なる細狹地方中の最も狹き部分にして太西太平二洋
の水僅に十八里二十三町(シセツプ氏の計畫せる運河の長さ七十四キロメートルを我里法
に改算す)の土壤岩石に遮られ歐米各國の船客貨物は途をこゝに取て直に東洋諸國に達す
るを得ざるの地なり故に米國の船客貨物は鐵道の便を藉りて我が對岸の桑港に達し以て航
路を東洋諸港に通ず又歐洲諸国國の船客貨物は蘇士運河開鑿の故を以て印度洋を經て東洋
諸國に達するも多年巴奈馬の運河を經て東洋諸國に達するも里程上大差違なきものなれど
も或は酷熱の時季に際し或は颶風の候に會し巴奈馬の新航路を經過して亞濠二洲の諸港に
達するは一大便路ならざるにあらず是を以て巴奈馬地峽の橫遮は世界の貿易上に一大障碍
なるは小學生徒も熟知する所なり若し十九世紀の人民にして早晩之を除去し了らざれば必
ず二十世紀の人民より憫笑を免るゝこと能はざるの一事業なり曩年、蘇士の地峽未だ開鑿
の工事起らざるに當てや歐洲の通商貿易を亞細亞諸港に營むもの皆遠く阿非利加洲を周回
し時日を失ひ危險を冐したれども蘇士運河成工の後は歐亞の貿易、頓に繁昌を加へ殆ど意
想外の好結果を發成せり斯る大工事の企圖者なる佛國の名士チヤールス レセツプ氏は本
年八十四歳の老翁なれども尚矍鑠として巴奈馬地峽の開鑿を遂げ世界の貿易上より第二の
大障碍を除き十九世紀の光榮を添へんとしたるも資金其缺乏を告げ終に今春に至りて工事
中止の不幸を世に告るに會へり
抑も此巴奈馬地峽開鑿工事は我國に如何なる關係ありやと云ふに直接至大の關係にして此
事の成否は我國將來の盛衰と近縁因となるものなり今こゝに兩村落の間に一山の橫はるあ
りて彼我の往來を遮り迂回して交通するの他に途なきもの一旦此山を削平し兩村間に直接
近便の道を開かば彼我の便利俄に加はり有無交換の道開け土地の繁盛頓に進むべきは田夫
野人も能く解する所なり故に一方の村にて削平の土工を起し開鑿の着手ありしと聞かば他
方の村にて資財あるものは賣財を投し資財なきものは勞力を出し畚を擔ひ鋤を秉り擧て賛
成の意を表すべきは事の最も常なるものなり巴奈馬地峽の開鑿は恰も兩村間の山を削るに
異ならざれども日本國に於ては其工事着手の報に接して之を喜ぶの談を聽かず今又中止の
新聞を讀て之を悲むの人を見ず殆ど解し難き次第ならずや畢竟五千里の太平洋は我邦人の
談を遮りて巴奈馬の山容を眼底に映さゞるが故なるべし村間の山は樵童も其削平を説けど
も邦人の視線、五千里以外の巴奈馬に達せず縦令へ眼は巴奈馬の山容を見ざるも一旦開鑿
工事、竣成せば其恩澤を蒙るの最も大なるは何れの國ぞと問ふものあらば必ず先づ指を我
國に屈すべし近く其一例を掲げんに昔年太平洋鐵道竣工を告げたるより其利益の我物産に
影響したるは邦人の常に口にする所あり然れども太平洋鐵道と云ひ加奈陀鐵道と云ひ皆北
米の大陸を橫斷し二千餘の里程を馳せざれば東岸の大都會に達するを得ず其處より歐洲の
都會に通ずるには又殆んど二千里程の舟載を要するの〓〓あり生絲の如き小量貴價の品物
は鐵道の賃銀、貿易上の大障碍たらざれども大量廉價の品物は〓〓あるも運賃に妨げられ
て運輸の便少なし故に他年巴奈馬の開通あらば我物産の主眼なる茶、米、陶器、雜貨の如
きは橫濱或は神戸にて舟載の儘、直に之を米歐繁盛の都會に輸るへく又米國南部の主産に
して我國に需要最も多き棉花の如き或は又同國の名産石油の如き皆運賃時日の半を減して
我が諸港に達するを得べければ彼我貿易の繁昌、想ひ見るへし又開鑿以前の今日は輸出輸
入の噂なきものも事成るの後は運賃減し時日費へざるを以て輸出入の目録に加はるへき品
物の續發するは疑はざる所なり例へは西印度諸嶋の砂糖は臺灣の砂糖より低廉なるの奇談
もあるへし又我國に豊饒なる石炭の如きは太平洋航海者の必要品となりて販賣の數量頓に
倍〓(し・草冠+徒の土が止)するの吉報も聞くならん其他船中必要の糧食即ち肉類蔬菜
菓實の類も大に販路を開き意外の繁昌を來すべきなり今日寂寥たる太平洋面も開通の後は
一變して熱閙の海となり東西洋を往還するの船客貨物は西よりするもの東よりするもの
各々其便に就き我諸港の如きは萬舶必由の要地たるべきなり
今や學術の應用、長足の進歩を爲し昔日、險路視したる洋海は坦々たる大路となり日を期
し時を期して往來すべき道路となりぬ特に太平洋は名稱自詮の平路なり然れども南北米洲
の連亘して北は氷海に接し南はホルン海角の風濤險惡なるが爲め彼岸の地方に豐肥の野あ
り無盡の鑛山あれども人口未だ稀疎にして物産の興殖其盛を鳴らすの國少し且東洋諸國我
日本を始め支那朝鮮の如きも僅に居守の貿易を營み出て利戰を試るの壯圖なければ印度洋
を經過し來る商客の爲めには我國は最も僻遠遐陬の地にして貨物の交易、船客の來往亦從
て鮮少なり唯學術應用の進歩に依て汽力、船足を早め蘇士の開通、里程を縮め近年に至り
東洋の貿易漸く頻繁の觀を呈するに至れり今若し之に巴奈馬の開通を加へなば東西の船舶
こゝに相會し我日本の如きは一變して世界の中心たるの日あるも未だ知るべからず又太平
洋の東岸なる南北亞米利加の諸國は歐洲諸國よりの新植民地となり富饒の野を拓き無盡の
鑛物を採り工業こゝに興り商賣こゝに榮えて北氷洋より南氷洋に至る一帶地方は幾千萬の
人を棲ましめ太平洋の海面に帆影を眺め汽笛を聽くこと猶ほ目今の太西洋に於るが如き光
景を現出するは世人の豫期する所なり果して此日の到達あらば洋の西岸なる我が日本の如
きは坐して利益の半を収むべし我國の富強と密接の關係を有するもの殆んど之より大なる
は無るべし然るに此利源もレセツプ氏の企業中止の爲め開達の時機何の年に在るやを知ら
ず
余輩是を聞く巴奈馬は炎陽瘴雨の地方にして大に人の健康を害し茲(玄+玄)に使役せら
るゝ者は命を墜すもの多し故に西印度諸嶋の黒人及此地の土人、風土に慣るゝ者を用ふと
果して事實ならしめば我國の勞役者を誘致して瘴毒聞くが如きの甚しきに非ざれば官の保
護を以て勞役者を誘導し此工事の進捗を扶け開通の期を早からしむるは彼我の洪益なるべ
しと私に考慮せしことなれども今は資本缺乏の爲め工事の中止を耳にせり若し我國をして
〓國ならしめずして餘資の海外に移すべきあらばレセツプ氏の偉業を助け我が富源を開き
世界の歴史上に我が日本人こそ佛國の偉丈夫 チヤーレス レセツプ氏の大業を賛け巴奈
馬地峽の開鑿を竣工せりとの美名を千載に傳へんは希望に堪へざる所なり