「西洋の萬國博覽會」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「西洋の萬國博覽會」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

西洋の萬國博覽會

英國倫敦 高橋義雄

西洋の博覽會は千七百五十七年佛國に開きたる者を以て濫觴とし開會の主意は國中製産の

美術品を集めて其精粗優劣を比較するに在りたり次て千七百六十一年英國に諸器械類の博

覽會あり是より其後伊太利、普魯西、瑞西、西班牙、瑞典等孰れも同樣の擧ありたれども

千八百五十一年に至るまでは各國共に内國博覽會のみに止まりて出品の區域を外國に廣げ

たる者なく千八百四十九年佛國商務大臣ビツフエ氏が次回の博覽會には外國産の出品をも

許す可し云々の議を商法會議所に發言したることありたれども當時保護政策左袒の人が之

れに反對したるを以て是非紛々として决せざりし其後二年即ち千八百五十一年英國にては

皇婿アルバルト親王の考案を以て倫敦ハイド公園に彼の有名なる萬國博覽會を開會するに

至れり扨て此萬國博覽會の紀事本末を見るに附けても余は近代人智進歩の速かなるに驚か

ざるを得ず千八百五十一年と云へば今を去ること僅に三十八年前なり三十八年前の英國人

は如何なる論鋒を以て萬國博覽會を攻撃せしやと云ふに彼等は先づ説を為して今若し萬國

博覽會を開き世界各國の人をして此倫敦に群集せしめば殘忍なる亞弗利加人も來り獰猛な

る印度士人も來り其他各國不良の徒孰れも此に來會して兇行暴擧至らざる所なく或は倫敦

を攻め取るか或は火を放つて燒き拂ふか是れも亦測る可らず即ち萬國博覽會は國を危くす

るの端なりとて國會議塲にても此説の勢力甚だ強くアルバルト親王は萬國博覽會の發頭人

として倫敦府廳に現はれ出で千八百五十一年の博覽會は我々人間の工業が如何なる點にま

で發達し居るや其試石と爲り其圖解と爲るのみならず恰も此博覽會を發點として各國後來

その工業の方向を定むるに足る可し云々と演説してより世上論敵多くして博覽會の事業將

に中止せんとしたることさへあり皇婿の尊嚴に因りて纔に物情を鎮めたる程の次第なりし

が博覽會塲は水晶宮とて玻璃を皮とし鐵を骨としたるが故に其中に陳列したる一萬三千九

百三十七出品人の品類は爲めに其光彩を放ちて凡そ六百萬に下らざる縦覽人の目を驚かし

反對論者の豫想したる倫敦大亂の沙汰もなくして此一擧英國の美術工業上に異常の好影響

を及ぼしたりと云ふ扨て此博覽會に續きて規模の最も廣大なるは千八百六十七年佛國巴里

の大博覽會なり當時佛國はナポレオン第三世の世盛りにして帝は天下の盛觀を花の巴里府

に集めんとし且つ其盛觀の赫々たるを以て政治上に不平ある〓〓〓〓の人民を眩服せんと

するの意味もありたれば其出席蒐集の廣きこと英國博覽會の比に非ず特に日本支那の珍品

が大に西洋國人の眼に觸れたるは此博覽會の時にして當時日本は恰も王政維新の後、廟堂

に立て政治を取扱ふ人々は孰れも各藩浮浪の徒或は武骨なる書生輩にして從來美術賞感心

を養ひたることなく古器物などを珍重するは青公家御家人腰抜け武士の流なりと信じたる

が故に如何なる珍品が一束三文にて海外に飛ひ出すも固より之を顧みず尾張城上の金の鯱

さへ何時の間にか地中を踊り越したるやうの始末なれば其他の事情推して知る可し是れは

徳川何代將軍秘藏の香爐なり其れは梶川名作の用箪笥なりとて今日西洋人の家に珍重せら

るゝ者は多くは此博覽會塲に現れたる者にして千八百六十七年の巴里大博覽會は西洋人に

東洋美術の賞感心を與へたるの時期なりと云ふも可ならん以上英佛二大博覽會は實に萬國

博覽會の稱首にして是より其後各國爭ひて萬國博覽會を開き地方博覽會にても尚且つ世界

人の出品を求め今は殆んど普通流行の者と爲りたれども其能く人心を感發し世界各國の工

藝者に奮勵振興の念を與へたるは英佛二大博覽會の右に出つる者なかる可しと云へり

萬國博覽會は工藝奬勵の一具なり世界の品類を一處に集め之を對照參考すれば精粗優劣掩

ふ可らずして之を見聞する工藝者は自から奮發せざるを得ず例へば千八百五十一年萬國博

覽會開會の前は英國の工藝見る可きものなく各種の織物、金屬器物、家具、壁紙、敷物等

意匠に欠點多くして高雅風流の趣なく少しく美術心ある者は去て佛蘭西、伊太利等の製品

のみを購ひたることなれども千八百五十一年の萬國博覽會あるに際して英國諸工藝の士は

自から其の技術の拙劣なるを悟り爾後南ケンシントン博物館を創立し之れに附屬する諸科

學、美術及び專門學校を國中到る處に設置して工藝奬勵に盡力せしかば爾來英國の諸工藝

は駸々として佳域に進み例へばバアミングハム製産の金銀器物鐵細工類は他國品に比して

優る所甚だ多くブラツドッホルドの婦人服地毛並に絹織物、ハダスフヰルドの男服地諸織

物等は高尚なる美術心に富みたる我々日本人の目にこそ其欠點も見ゆることなれ、武骨殺

風景なる歐米國人より見るときは意匠の變化も十分にして織方萬端申分なしと云へり其他

マンチエスターの綿布、ノツチングハムの編物、仕上げも好ければ縞柄も結構なるに至り

たるは孰れも彼の萬國大博覽會後の出来事にして此一擧英國諸工藝者の心目を開き其技術

振興を促がしたるの功徳は筆紙に盡くし難き程なりと云ふ即ち萬國博覽會の利益は此一斑

を推して他を知るべく目下歐米各國政府並に人民の間に於て頻に此擧を奬勵し近來年とし

て其開設を見ざることなきに至りたるは决して偶然に非ざるなり(以下次號)