「西洋の萬國博覽會」

last updated: 2019-11-26

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時事新報に掲載された「西洋の萬國博覽會」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

萬國博覽會の利uは美術工藝の士を奬勵して後來その技術を進むるの道を開き商賣上には

各國品類の特有所長を知りて後來彼我の貿易を擴むるの便を與ふるの外に世界各國人を一

處に集め相互に遊觀歡樂せしむるが故に人情相知り風俗相究めて廣く自他相接するの機會

と爲り各國人々その交際を融通するの効能あるものゝ如し即ち歐洲國人が萬國博覽會の擧

を稱して時にUniversal Festival(萬民遊宴)と呼ぶ所以にして萬國平和交通の道に知らず

識らず大便利を與ゆること疑を容れず尚ほ此上にも人智發育の點より申せば博覽會塲の品

類は之を縱覽する人々に向て近時敎育上に最も有効なりと知られたる彼のObject Lesson

(實物敎育)を與ふる者にして人々その職業好尚の異なるに隨ひ萬種の品類に對すれば萬

樣の所感所知を導きて自から啓發する所少なからず然るに前二十年來蒸氣船車交通の便は

到る處に搨Bし其船車の速力も亦大に揄チして一層遠方往來の便利を與へ英國故老の談を

聞くに千八百五十一年倫敦に萬國博覽會ありたる時マンチエスターより倫敦に出京する汽

車道中は十二時間にして上等列車中にも木製の腰掛を置き其頃の上等は今の下等よりも粗

末なりしが今は列車中の腰掛を始め萬端愉快と便利とを具ふるに加へて道中時間は僅かに

四時十五分間即ち三十八年前の殆んと三分の一の時を以てマンチエスター倫敦間を旅行す

ることを得るに至れり云々と云へり此等蒸氣車速力上の進歩は世界各國同樣なる可きが故

に各國人民の外國行は次第次第に其數を揩オ博覽會の來觀人も年々歳々大に加はるの勢あ

り即ち千八百五十五年佛國巴里博覽會の縱覽人は五百十六萬二千三百三十三人、同六十七

年の大博覽會は一千零二十萬人、同七十八年には千六百零三萬二千七百二十五人斯て今年

の大博覽會は縱覽人二千萬人に上る可しとの豫算なりと云ふ又た倫敦の博覽會も千八百五

十一年には縱覽人凡そ六百萬人なりしに同六十二年には六百二十一萬千百三人の數に上り

千八百八十六年七年八年と引續きてエヂンバラ、グラスゴー、リヴアプール、マンチエス

ター、ニユウカツスルオンタインに開きたる博覽會は固より地方の者なれども其縱覽人は

五箇所合計二千萬人にして一箇所四百萬人づゝの割合なりと云ふ博覽會縦覧揄チの比例以

て見る可し此他千八百七十三年墺國維也納に開きたる博覽會は縱覽人七百二十五萬四千六

百八十七人、同七十六年米國フヰラデルフヰヤの博覽會は一千萬の縦覧人を得たりと云ふ

斯る異常の多人數が孰れも博覽會塲に入りて夫れ夫れ其實物敎育を受けたることなれば博

覽會が近時人智を發育し又之を擴布したるの効能は殆ど人力の測り知る能はざる程ならん

のみ

近〓歐米の萬國博覽會に縦覧人の揄チするに隨ひ其出品人の數をも揄チするに至りたるは

勢の自然なりと申す可し凡そ今の商工業社會は實に廣告の世界にして己の製造販賣する品

類を成る可く多くの人目に示し其購買心を得んとするは即ち廣告者の極意なれば精良利便

にして且つ廉價なる品物を博覽會塲に陳列し精粗優劣〓〓萬人の評判を博せんとて出品の

人々互に〓〓ふが茲に尚〓の國の博覽會にても其陳列品の不足を告ぐる〓〓〓は甚だ稀有

の事にして寧ろ其多きが爲めに後れて申込みたる者は之を謝絶するが常なりと云ふ斯くて

出品人の數が揄チすれば博覽會中出品陳列席料の騰貴するは是れ亦自然の勢にして近年各

地博覽會の席料は最少額を凡そ我が十圓とし塲所を要する出品には一立方尺に附き凡そ我

が六十六錢内外を課するが故に廣大なる博覽會館にて其陳列品の席料は實に莫大なる者に

して會計上一廉の収入たる可きや疑を容れず且つ縱覽人一名の入塲料は英國にて一シルリ

ング即ち我が三十三錢三厘其他各國大抵大同小異なれば入塲料の収入も亦巨額なるに加へ

て館内外の飮食店並に遊戯塲等にも亦一廉の營業塲所料を課するが故に博覽會興行の諸出

費は固より莫大なりと雖ども諸収入も亦莫大にして出入相償ふのみならず三四年來英國各

地に開きたる諸工藝博覽會の如きは常に幾多の餘裕を生じたりと云ふ即ち萬國博覽會は世

間に對する直接同接の利uを外にして博覽會自身の會計より云ふも亦一種有uの企業と爲

りたるは近時歐洲各地博覽會の成蹟上最も著しき事柄なりと云ふ可し

右の次第なるが故に千八百八十七年即ち女皇即位五十年祭の節マンチエスターに開きたる

者同八十八年即ち昨年五月よりグラスゴーに開きたる者は孰も萬國博覽會にして出品も多

く會館も宏壯雄麗なりしかども固より國庫の補助を仰がず現にグラスゴー博覽會の如き府

中重立ちたる人々が今度博覽會の企業に附きて何千何百磅迄は其利害損uを引受く可しと

て銘々保證金高を記して之を各有志者に謀り其有志者等が銘々擔任したる保證金凡そ三十

萬磅を得て其保證券を銀行に預け博覽會の建築其他に入用の金は其都度右銀行より引き出

して夫れ夫れ其會費を辨ずるの仕組にして昨年博覽會打ち止めの後出入金額を計算すれば

凡そ四萬磅の餘剰を生じたるを以て有志者諸氏は其企業の損失を償ふの任にこそ當れ公共

の事業より生じたる利uを分け取る可き筈なしとて之を美術館或は其他公共の用に供する

見込なりと云へり左れば此博覽會が天下縱覽人を利したるの功コは置て問はず單にグラス

ゴー府の繁昌より申すも幾百萬の縱覽人が半箇年間府中に來りて旅宿も塞り劇塲も塞り馬

丁役夫貧窮民まで思ひ寄らざる潤澤を被り土地の繁昌を助けたる尚其上にも博覽會自身に

取りて幾多の餘剰を生じたりとは誠に冥加千萬とこそ申すべけれ斯かる事の次第にて萬國

博覽會の功コ利uは歐米國人一般の信じて疑はざる所と爲りたれば年々歳々ますます其流

行を揩キなる可く現に當英國などにては千八百五十一年より恰も四十年目なる千八百九十

一年(明治二十四年)に今のシイデンハムの水晶宮に一大萬國博覽會を開く可しとの發議

もありて之を賛成する者少なからざれば或は事實に行はるゝやも知る可らず推して未來を

想像すれば西洋の萬國博覽會は繁昌萬々歳なる可きなり(完)