「日本の萬國博覽會」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「日本の萬國博覽會」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

日本の萬國博覽會

英國倫敦 高橋義雄

博覽會[はくらんくわい]の利益は成る可く多くの品類[ひんるゐ]を集[あつ]めて其精粗長短[せいそちょうたん]を比較[ひかく]し技術工藝[ぎじゆつこうげい]の士に向て其撰[えら]む所を知らしむると同時に幾多縱覽[いくたじうらん]の人々をして知[し]らず識[し]らず實物[じつぶつ]上の教育[けういく]に接[せつ]し以て各その心匠[しんしやう]を養[やしな]はしむるに在るなり左れば會場の出品は之を狹[せま]き内國のみに限[かぎ]らずして廣[ひろ]く之れを外國に求[もと]め各國各樣の品類意匠を網羅[もうら]すること正に此博覽會の本色[ほんしよく]なりと申すも可ならん然るが故に來る明治二十三年日本の博覽會は最初亞細亞博覽會なりと聞き余は當局の人々が何故出品を亞細亞のみに求むるや從來博覽會の出品に慣[な]れず又彼の廣告[くわうこく]の効能[かうのう]を合點[がてん]せざる他の亞細亞國人に向つて我が亞細亞博覽會に其出品の多きを求むるは如何、余は其理由[りいう]を知るに苦[くる]しみたれとも又一方より考[かんが]ふれば是れぞ所謂[いわゆる]請[こ]ふ隗[くわい]より始めよの主義にして亞細亞博覽會は即ち後來萬國博覽會の階梯[かいてい]ならん之れを内國博覽會に比すれば規模[きぼ]の大小固[もと]より同年の願[がん]ならずと信じ當時大にその擧[きよ]を稱揚[しようよう]したることなれども實を申せば内國と云はず亞細亞と云はず我が博覽會を萬國にすること即ち余が本來希望[きぼう]する所のものなり窃[ひそか]に案[あん]ずるに目下我が商政上の急務[きうむ]は從來の内國商賣品を變形[へんけい]し又は新に意匠[いしやう]を凝[こ]らし以て萬國人の嗜好に適して其評判[ひやうばん]を博[はく]するに在ること勿論[もちろん]なれども我國の諸商工業家をして海外人の意向好尚[いかうかうしゃう]を知らしむるは實[じつ]に一大難事[なんじ]なり近來我が商工業家の中、時に自から海外に旅行[りよかう]する人々もあらんかなれども三五人の見聞[けんぶん]を擴[ひろ]げて之を全國商工家に及[およ]ぼすことは思ひも寄[よ]らず或は商品見本陳列所設置[せつち]の談[だん]などもありて無きに勝ること萬々ならんと雖ども此見本を集[あつ]むる者は各國駐在領事等實際商賣に疎縁[そえん]なる人々ならんなれば一種の參考[さんこう]にこそ為りもすべけれ之を以て海外國人の時好風尚[じかうふうしゆう]を窺[うかゞ]はんとしたらば途方[とほう]もなき間違[まちが]ひを生ずることならん左れば我が商工業家をして廣く海外貿易品の趣向[しゆこう]形色[けいしよく]を合點[がてん]せしめんとすることは萬國博覽會を我國に開[ひら]き各國各種の品類を商工諸氏の眼前[がんぜん]に陳列[ちんれつ]して諸氏の勝手[かつて]に自得するまゝ其實物の教育を受しむるの外ある可らず數の見やすき者なれども然りれども右海外各國人が我萬國博覽會に向て容易[ようい]に出品す可きや如何[いかん]、余を以て之を見れば今の廣告[くわう古く]流行[りうかう]の世の中に於て我が萬國博覽會に歐米國人の出品を得[う]るは決[けつ]して六かしき事に非ず日本は遠東[えんたう]の國にもあり又かの萬國博覽會には固[もと]より前例[ぜんれい]なき事なりとすれば泰西萬里の出品人には夫れ相應[さうおう]の特典[とくてん]を與[あた]へ例[たと]へば出品の陳列料を免[めん]じ或る特別[特別]の出品には其運送費[うんそうひ]の幾分を給「きふ」し其他萬端[ばんたん]寛典[くわんてん]を以て待遇[たいぐう]することとせんか萬國の出品萬里を遠しとせずして我が博覽會に輻輳[ふくそう]す可きや疑[うたがひ]を容れず

勿論重大の諸器械類[しよきかいるい]或は東洋人に不向[ふむ]きの品等西洋の博覽會には現はれて我が博覽會に顏[かほ]出しせざる品物[しなもの]も多からんと雖ども假[か]りに當英國の諸工業に就て申せばグラスゴー各造船所の汽船[きせん]雛形[ひながた]は出品たらん、ヨークシャ、ランカシャ地方一帶の綿布[めんぷ]毛布[まうふ]も出品たらん、シュツッヒールドの大小鐵器[てつき]バアーミングハムの減金[めつき]銀細工[ぎんざいく]も出品たらん、其他各地方の絨段[じうだ]織物[おりもの]或は硝子[ガラス]細工類孰[いづれ]も出品たらざるなし余[よ]嘗[かつ]てバアミングハム、マンチェスター、シュツッヒールド等の諸工場を縱覽[じゆうらん]するの序[ついで]に談次[だんじ]日本の博覽會に出品云々の問題[もんだい]を提出すること毎度なりしが英國工業家は之れに答[こた]ふるに勿論の一語を以てせざるなく金銀器具製造所等に至りては出品は固[もと]より喜[よろこ]ぶ所なれども我々の出品は其價幾十萬磅の大金に上るが故に日本の博覽會場に火災[くわさい]其他の恐[おそ]れなきや會館[くわいかん]堅固[けんご]にして保險[ほけん]の道[みち]も行き屆[とど]き居るや其邊萬端[ばんたん]掛念[けねん]なきに於ては出品勿論なり云々と答[こた]へたる者もありたり是等は英國一部分の談なれども歐米各國商工業家の根性[こんじやう]は先つ以て大同なる可きが故に各國共に我が博覽會に出品するの有志者に乏[とぼ]しからざるや疑を容[い]れず或は事情[じじやう]不通[ふつう]の爲め其出品の多からざる場合[ばあひ]もあらんか是れも亦驚[おどろ]くに足らず歐洲諸國の博覽會とても當初より出品の多かりしに非[あら]ず漸[ぜん]を以て今日の盛況[せいきやう]を呈[てい]するに至りたることなれば日本の博覽會に出品の數[すう]が少なしとて爲めに其名譽[めいよ]を落[おと]さゞるは勿論[もちろん]、日本が亞細亞の先導者[せんだうしや]として別に文明的の新事業[しんじげふ]を擧[あ]げたるの實[じつ]は世界各國人の眼[がん]に映[えい]して我が國體の一段の新光彩[くわうさい]を加ふること余の信じて疑はざる所なり

前陳の如く我國に萬國博覽會を開[ひら]けば我國一般の人民は之を縱覽[じうらん]して各樣の利益[りえき]感觸[かんしよく]を生じ坐[ゐ]ながら世界の智識[ちしき]を養[やしな]ふことを得べく美術工藝に志あるの士は内外の品類を比較[ひかく]して意匠[いしやう]製作[せいさく]の相違[さうゐ]する所を悟[さと]り以て後來[こうらい]の心得[こころえ]を爲すべく又内外の商賣家は各種の商賣品を見較[みくら]べて直段の釣合[つりあひ]、品柄[しながら]模樣[もやう]の變化[へんくわ]を合點し製造元の派出員に面接[めんせつ]して後來取引の相談[さうだん]を整へかたかた以て利益多きことなるべく又海外の出品並に來覽[らいらん]の人々は其人數の多寡[たくわ]こそ違[ちが]へ、受くる利益は寧[むし]ろ内國人よりも多かるべく彼等は自國の出品と日本産の品とを比較し或は彼此職工の勞役[らうえき]手間賃[てまちん]等を取[と]り調[しら]べて内地雜居免許の後日に企業[きげふ]する等の念[ねん]を起すべく商賣上に工藝上に又人事交際上に彼此大に相利益すること實に此萬國博覽會の結果[けつくわ]として見る可きなり尚此上にも間接[かんせつ]の利益は此一擧[きよ]、海外國人をして一層我が國事に注意[ちうい]せしむるの機會[きくわい]たる可しと申すは他に非ず近來歐米各國の新聞紙は好[この]んで日本の國事[こくじ]を記載[きさい]し其掲載[けいさい]度數[どすう]の増加したるは實に著[いちじる]しき事にして英國マンチェスターの新聞紙などは毎日若くは隔日に日本の記事を見る程なり又或る大書物店に至りて日本に關する書籍[しよせき]目録[もくろく]を求むれば殆[ほと]んど汗牛充棟[かんぎうじうとう]にして日本人自ら驚く程なれども新聞に書籍に日本の記事の斯くまでに多くなりたるは決して偶然[ぐうぜん]の事に非ず新聞紙と云ひ書籍と云ひ孰れも世に售[う]らんとする者にして今之を取扱[とりあつか]ふ者が日本の事に關係[くわんけい]して斯[か]くまで云々するを見れば廣[ひろ]き社會の人々が日本の事に注意[ちうい]して之れに關[くわん]する諸報道[しよはうどう]を愛讀[あいどく]するの勢を成したること明白[めいはく]なり而して此勢[このいきほひ]を作[つく]りたる者は誰[だれ]ぞと云へば親から日本に來遊するか或は來遊したる者に就きて其見聞談[けんぶんだん]を聞き或は其紀行[きかう]等を讀[よ]みて始て我が國と爲りに敬服[けいふく]したる人々にして此種の人がいよいよ増せば著書に新聞紙に日本の事を説明[せつめい]品評[ひんぴやう]するの度數もいよいよ増し結局[けつきよく]海外國人に向て我國の重[おも]きを致すは勢の自然なりと申すべし而して我が萬國博覽會は此方角[ほうがく]に向ても如何[いか]に有力なる可きや敢て多言[たげん]を費[つひや]さず唯余は右等の諸點より考へ合せて萬國博覽會の功徳は我が衆生を利益[りえき]し得て圓滿[えんまん]なる可しと自から信じて疑はざるものなり(以下次號)