「來年の内國博覽會」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「來年の内國博覽會」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

來年の内國博覽會

英國倫敦 高橋 義雄

余は來年の内國博覽會[はくらんくわい]に就[つ]き敢[あへ]て一言せんとするに先ち前以て其道[そのみち]の人の注意[ちうい]を乞[こ]はんと欲するものあり昨年末の事なり余は英國工藝會議[くわいぎ]に臨席[りんせき]の際、當國の名家[めいか]アルフレッド ギルバルト氏に就きて日本美術[びじゆつ]に關[くわん]する氏の持論[ぢろん]を叩[たゝ]きたることありしが氏の説[せつ]に凡そ美術の高尚[こうしゃう]なるものは其妙所[めうしよ]を感得[かんとく]するまでに幾分か其賞[しゃう]感心[かんしん]を養[やしな]ふこと肝要[かんよう]にして希臘[グリーキ]古代の彫刻品[てうこくひん]その他有名なる諸美術尋常一般人の解[かい]する所に非ず之を解[かい]するに幾多の修養[すやう]を要することなれども日本の美術は其氣韻[きゐん]の高尚なるに似[に]ず一般人をして容易[ようい]に之を賞感し得せしむるの妙所あり即ち日本の美術品が一般に評判[ひやうばん]よき所以[ゆえん]ならん云々と云へり大體に就て申せば蓋し知言[ちげん]なるが如くなれども西洋一般の人々が日本の美術を賞感するは其皮相[ひさう]のみに止まりて未だ其精神[せいしん]骨髓[こつずゐ]に達[たつ]せざるが故に日本美術家の眼[がん]より見て精妙[せいめう]言ふ可らず激賞[げきしゃう]禁[きん]ず可らざる程の面白[おもしろ]き所は一般西洋人の賞感心に映[えい]して常に漠然[ばくぜん]たるものゝ如し蓋し一般西洋人は概[がい]して武骨[ぶこつ]殺風景[さつぷうけい]にして試に高貴の家に入りて其裝飾[そうしよく]を一見すれば金地の壁紙[へきし]に紅白の絨段[じうたん]、床[とこ]の間[ま]に金銀珠玉[しゆぎよく]を列[なら]べて滅金銀の燭臺[しよくだい]は大理石のテーブルと相映[あひえひ]じ金碧煌々[くわうくわう]目[め]を眩[げん]して英語に所謂Gaudious[ゴージアス](華奢)の部分には富[と]み居れども絶[た]えて嫺雅[かんが]風流[ふうりう]の趣を存せず其風流心の卑俗[ひぞく]なること殆[ほと]んど驚くに堪[た]へたる程の次第なるが故に此等凡俗[ぼんぞく]の輩[はい]に向ひ日本の粹人社會に於て衣服の裏[うら]を絹[きぬ]にして其表を木綿[もめん]にし或は絲織の光澤[くわうたく]を忌[い]んで却て結城紬[ゆふきつむぎ]を撰[えら]むの意向[いかう]、若くは風流茶人の家に淡墨[たんぼく]の四君子書を珍重[ちんちよう]するなどの心事[しんじ]を問[と]はんか如何[いか]で其清澄[せいてう]恬澹[てんたん]の味を解[かい]すべき況[いは]んや神經[しんけい]の鋭敏[えいびん]なる我が美術家の想像[さうぞう]意匠[いしゃう]、飽[あ]まで風雅[ふうが]高尚[かうしゃう]なる者に於てをや世に蘇格蘭[スコツトランド]人が遲鈍[ちどん]にして諧謔[かいぎやく]を聞きて之を解[かい]せず其後數日始めて其意味[いみ]を發覺[はつかく]して突然に笑[わら]ひ出すことありとの奇談[きだん]あれども一般西洋人の風流心は至て遲鈍[ちどん]なる者なるが故に彼等をして我が美術の妙想[めうさう]を解[かい]して一旦豁然[かつぜん]として感心[かんしん]せしめんとするには蘇格蘭人に諧謔を輿[あた]へて豫[あらかじ]め研究[けんきう]せしむるが如く前以て其鑑定[かんてい]修養[しうやう]の道[みち]を開くの工風こそ肝要[かんよう]ならんと思はるゝなり余一日當國の或る實業家[じつげふか]と談

[だん]じて右の工風論に及びたる時その人の説[せつ]に近來倫敦[ロンドン]に開會したる亞米利加、伊太利、愛蘭博覽會等の例[れい]に倣[なら]ひ日本一手の博覽會を倫敦なり巴里なり或は又紐育なり實地家の望[のぞみ]を屬す[ぞく]る歐米大都府の中に開き内國博覽會の拔萃[そつすゐ]を其儘[そのまゝ]西洋に移[うつ]し來りて世界各國人の心眼[しんがん]を抉[けつ]するは如何、從來各國一手博覽會の結果を見るに出品珍[めづ]らしくして多くの縱覽[じうらん]人を引き且つ會場の取締方その宜しきを得たる者は實費[じつぴ]差引[さしひ]き幾分の餘剩[よぜい]を生ずるの勘定[かんぢやう]にして然かも其工藝[こうげい]を世界各國人に示[しめ]すには最も屈強[くつきやう]の手段[しゆだん]なるが故に日本の工藝を外に示して其實感心を喚起[くわんき]するには日本一手の出張博覽會を企[くわだ]つるに若[し]くもなかる可し云々とありたりこれ亦自から一説にして其利害[]得失[]に就[]きては余も亦所見なきに非ざれども是れは別問題[べつもんだい]として暫く擱[さしお]き唯一般西洋人の中に我が美術を賞感するの心を養はしむるの必要は日本商工業の發達[はつたつ]に注意[ちうい]する人々の相共に銘肝[めいかん]す可き事ならんのみ前陳の事情果[はた]して大なる相違[さうゐ]なきが來年の内國博覽會に於ても亦その邊の工風を忘[わす]る可らず即ち余の所見にては右内國博覽會中に實物博覽會と稱する者を附屬[ふぞく]し日本全國官氏公私有の寶物[ほうもつ]を出品せしめ内國一般の人に向て古今工藝對照[たいせう]の便を與ふると同時に幾多來觀[らいくわん]の海外人をして古來我が美術工藝の變遷[へんせん]傳來[でんらい]する所を知らしめ筆法刀跡[たうせき]の沿革[ゑんかく]に因て以て其氣品[きひん]風骨[ふうこつ]の超邁[てうまい]非凡なるを窺[うかが]はしむる事最も妙[めう]なる可しと信ず抑も我日本國にては往事財産權[ざいさんけん]固[かた]からざりし時の遺風にや神品逸物を所藏[しよざう]する者は之を世に示すことを憚[はゞか]り古今名家の技術[ぎじゆつ]意匠[いしやう]を參考[さんかう]するの道なくして我が工藝者の便利[べんり]を欠[か]くこと少なからず余も日本に在りたる時は左まで之れに注意[ちうい]せざりしが海外諸國の美術博物館等に入りて其品類蒐集[しうしふ]の盛なるを見、又何公何伯と云ひ或は素封[そほう]の商工家が私に其寶物館を開[ひら]きて一般公衆の縱覽[じうらん]を許し名書名刻勝手[かつて]に之を臨墓[りんぼ]せしむる等の事實を見、或は西洋人と談話[だんわ]の際、貴國にては名品を所藏する者が人に示すことを野卑[やひ]なりとし私有の品を公私美術館に貸[か]し出す等の事は以ての外なる由に聞けども事實果して如何など質問[しつもん]を試みらるゝ毎に思へば誠に迂闊[うくわつ]なりし、今日工藝奬勵[しやうれい]の大切なる時に際し古今名工の貴重なる意匠、畢生の心血を注[そゝ]ぎたる丹精[たんせい]を華族の内庫佛寺の筐底[きやうてい]に埋うも[]らし金岡の馬をして暗室[あんしつ]の壁に噺[いなゝ]かしめ光琳春正の卷繪[まきえ]をして蛛[くも]の巣の束縛[そくばく]を受けしむるは國家美術の盛衰[せいずゐ]に關[くわん]して實に痛惜[つうせき]に堪へざることを感[かん]ずるに至りたり左れば追て我國に完全なる美術館の設置[せつち]を要[よう]すること勿論[もちろん]なれども是れは他日の論として差當[さしあた]り來年の内國博覽會中に寶物博覽會を附屬し一には他年美術館設置の端[たん]を開き一には縱覽人殊に海外人をして我が美術を賞玩[しやうくわん]するの念を生ぜしむる事、當座[とうざ]即妙[そくめう]なる可きなり斯くて其道の人々がいよいよ此擧[このきよ]を決行[けつかう]するの發意あらんか内國博覽會中右寶物博覽會の部分は御物を始め高貴[かうき]の寶物を陳列[ちんれつ]することなれば成る可く其館の堅固[]なるを期[き]し夫れも急速[きうそく]間[ま]に合[あ]ひ難[がた]しとの掛念[けねん]もあらば博覽會場に接近[せつきん]して成る可く便利なる處に於て寺院なり又は既成の官舍なり一時其用に充[あ]つるも可なり既に會場に故障[こしやう]なき以上は御物の拜借[はいしやく]を祈[いの]るは勿論、毎度我軍の持論の如く帝室の璽光は全國萬物を遍照[へんせう]する者にして彼の美術工藝の如きは殊に其應護[おうご]を仰[あふ]く可き者なるが故に斯る場合に臨んではその應護者たる帝室に於て華族其他の名家に向ひ所蔵出品の勅諭[ちよくゆ]を布かるゝの盛儀[せいぎ]もあるべく又全國各寺院の向きへは各宗管長より命を傳[つた]へて成る可く出品の多きを所望[しよまう]するの機轉[きてん]もあるべく稀代[きたい]の名品全國各地より集[あつ]まり來り千百年來殆んど天日を仰[あふ]がざる靈寶[れいほう]逸品[いつひん]に至るまでも世界公衆の眼前に現[あら]はれて各々かの光彩[くわうさい]神色[しんしよく]を競[きそ]ふことならん果して然らんが我が美術工藝の士は因て以て先輩の技術用意を窺[うかゞ]ふべく海外各國の縱覽人は因て以てますます我が美術品を欽仰[きんげい]景慕[けいぼ]するの念を増すべく内國博覽會其物に取りても温故知新[をんこちしん]の功を加へてますます完全[くわんぜん]を致[いた]す可きなり近年西洋の内國博覽會には凡そ半箇年前より發起[ほつき]して之を成就[じやうじゆ]する者さへあり我が共道の人にして果して右の趣向[しゆかう]に發意あらば來年の内國博覽會に寶物博覽會を附屬[ふぞく]すること固[もと]より爲し難[がた]きに非ず余の世人と共に渇望[かつばう]

する所なり(以下次號)

賞玩 玩は酉に元