「弊極りて弊生ず」
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時事新報に掲載された「弊極りて弊生ず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
弊極りて弊生ず
往昔[おうせき]江戸に男達[をとこだて]と稱[しよう]するものあり其身分を尋[たづ]ぬれば士ならず商ならず一種の無頼者[ぶらいしや]にして定[さだ]まりたる職業なく徒黨[とたう]を成して市中を横行[わうかう]し世の妨害[ばうがい]を爲すこと少なからざりしかども常に男[をとこ]を磨[みが]くと稱して仁侠[にんけふ]自ら任[にん]じ弱[じやく]を救[すく]ひ強[きよう]を挫[くじ]き直[ちよく]を扶[たす]け曲[きよく]を排[はい]し事に當りて身命を惜[を]しまざるの氣概[きがい]ありしが故に當時の俗間[ぞくかん]に畏敬[ゐけい]せられしのみならず今日に至りても猶ほ其事を傳稱[でんしよう]して措[お]かざるものあり所謂幡隨院[ばんずゐゐん]の徒[と]の如き即ち是なり今日文明の眼[がん]より見れば其所行の不理亂暴[らんばう]なる言語道斷[ごんごどうだん]にして賤[いや]しむ可きの外なけれども熟[つ]ら熟ら其時の事情[じじやう]を察すれば斯[かゝ]る亂暴[らんばう]の徒の世間に現出するも決して無理ならずと思はるゝ理由なきに非ず抑も當時戰國の世を距[さ]ること遠[とほ]からず城頭の鐵鼓[てつこ]聲[こえ]猶[な]ほ震[ふる]ひ匣裡[かふり]の金刀血未だ乾[かは]かざる時なれば士風の剽悍[へうかん]殺伐[さつばつ]なる想ひ見る可し左れば徳川の政法極めて嚴密[げんみつ]なりと雖も旗下の子弟輩の客氣は容易[ようい]に抑壓[よくあつ]す可らざるのみならず尚武[しやうぶ]の風習として卑怯[ひけふ]破廉恥[はれんち]等いやしくも武士の面目に係[かゝ]る事とあれば敢て容赦[ようしや]することなかりしも平民に對して威張[いば]るが如き其特權[とくけん]として之を咎[とが]めず時としては世間の難儀[なんぎ]となる可き所行[しよぎよう]にても特權内に誤用[ごよう]されたること少なからず故に少年の子弟にして功名立身の苦[く]を嘗[な]めたる輩は既に其祖先が矢石劍銃[てつはう]の間に出入し自ら萬死を冒[おか]して其餘榮を子弟に遺[のこ]したる昔を忘却[ばうきやく]し剩[あまつさ]へ武士の最も謹[つゝ]しむ可き奢侈[しやし]の戒[いましめ]を犯[をか]して衣裳帶刀の飾[かざ]りに華奢[くわしや]を競[]ひ氣隨[きずゐ]氣儘[きまゝ]の振舞[ふるまひ]して漫[まん]に平民を侮辱[ぶじよく]するを愉快[ゆくわい]と爲すものあり即ち世に稱する白柄組[しらつかぐみ]などの輩にして世の害物[がいぶつ]と云ふ可きものなれども當時の習慣[しふかん]として容易に之を罰[ばつ]すること能はず府下の人民は正に其論議に苦むの最中に當り彼の男達なるものが一方に現出し任侠[にんけふ]の氣概[きがい]を以て彼の暴慢[ばうまん]を制[せい]し以て華奢[くわしや]少年の氣を挫[くじ]きたるものなりと云ふ蓋し男達の氣風と云ひ少年の所行と云ひ共に常經[じやうけい]を外[はづ]れたる一種の弊害にして暴を以て暴に易ふるの實は免れざる可しと雖も畢竟弊を以て弊を制したるものにて社會の弊、久ふして之を矯正[けうせい]するものなく其極端に達するときは他の極端を以て之を制するに至る可し即ち弊極つて弊生ずるは事物當然の勢なりと知る可し
近來我國士風の赴く所を見るに維新[ゐしん]草々諸藩の士族始めて東京に置掛たる頃は都人士の評に武骨[ぶこつ]殺風景[さつぷうけい]の譏[そしり]こそ免れざれ參議正三位の官位に在りながら一僕をも召連[めしつ]れず自ら辨當[べんたう]を腰[こし]にして太政官に出仕するなどの奇談[きだん]もありて質素[しつそ]儉約[けんやく]の風頗る盛なりしが人生慣[な]れ易[やす]きは奢侈[しやし]の風にして年を經るに隨ひ社會の氣風次第に其〓を改め衣服飮食より車馬邸宅[ていたく]に至るまで何れも華美[くわび]を競[きそ]うことゝなり甚しきは糟糠[さうかう]の妻[つま]を堂より下し更に阿嬌[あけう]を金屋に聘[へい]するなど大混亂[だいこんらん]の最中恰[あたか]も西洋風の輸入と共に社會外粧論[くわいさうろん]の流行を催ほし男女の洋服、舞踏[ぶたふ]、夜會、假粧會、園遊會など官邊の事は外にしても紳商紳士又は會社の役員など稱する輩が一夕の宴遊[えんいう]に數百萬圓を費したる談は珍[めづ]らしからずして社會一般に奢侈の増長したるを知る可し古言に宴安は鴆毒[ちんどく]に均しと云ふ奢侈の一事は種々の害毒[がいどく]を社會に流す源となり爲めに士族の腐敗[ふはい]を致したるものにや社會の流弊漸く甚しきを調ふる折柄近來世間に壯士なるもの出來り其中には弊衣[へいい]粗食[そしよく]一錢の資力なき身にして傲然[がうぜん]天下の事を以て自ら任じ其擧動[きよどう]傍若無人[ばうじやくぶじん]を極め叱咤[しつた]狂呼[きやこ]して俄に世人の沈醉[ちんすゐ]を驚さんと自ら期[き]する者あるが如し其志の在る所は問[と]ふに遑[いとま]あらず兔にも角にも其所行は士君子の與する能はざる所にして世間にても之を惡[にく]むこと甚しく目して社會の害物[がいぶつ]となし只管[ひたすら]これを排斥[はいせき]せんとするの議論[ぎろん]多し我輩も固より其害[そのがい]を知らざるに非ず個々の所業に就ては誠に厭惡[えんを]に堪へずと雖も更に限界を廣くして社會の形成人心の動機[どうき]を察[さつ]するときは畢竟[ひつきよう]今の世に斯る壯士輩の出でたるも一方に文弱奢侈の流弊[りうへい]甚しきものあるが爲めに他の一方に反對の病症[びやうしよう]を現はしたることにして其趣は昔時旗下の子弟輩が風流華奢に陷[おちゐ]りたるに際し彼の男達の流が市井の間に起りたるものと日を同ふして語る可きのみ左れば天下經世[けいせい]の士君子は今日目前の現象を見て唯その局部にのみ心勞[しんらう]するを止め少しく思慮[しりよ]を前後に運らして今後社會の流弊ますます甚しく遂に弊極りて弊生ずるの極端に至るを豫防するの考案[かうあん]今より大切なる可し