「政治上の徳義と一身上の徳義」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「政治上の徳義と一身上の徳義」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

政治上の徳義と一身上の徳義

日本の政治社會と西洋の政治社會とを比較[ひかく]するに其進歩發達[はつたつ]の趣固[もと]より同樣ならずして殊[こと]に政治上に現[あらは]るゝ公徳[こうとく]と私徳との關係[くわんけい]に至ては東西の相違[そうゐ]最も甚だしきが如し蓋し政治上に徳義[とくぎ]の貴[たつと]ぶ可きは今更いふ迄もなき處にして此一段に於ては何れも同樣なりと雖も其同樣なるものは即ち政治上の公徳にして若し夫れ私徳の關係[くわんけい]に至ては雙方に著[いちじ]るしき相違[さうゐ]あるを見る可し竊[ひそか]に西洋諸國の風習を案[あん]するに政治の議論[ぎろん]頗る喧[かまびす]しく隨て人の徳義[とくぎ]に關[くわん]して云々すること少なからずと雖も其善たるや孰[いづ]れも戸外公徳の議論[ぎろん]のみにして一身上の事に至ては陰[いん]に陽[やう]に之に容喙[ようかい]すること甚だ稀[ま]れなり左れば國會の議場又は私會の論席[ろんせき]などに於て劇烈[げきれつ]の言を交[まじ]へ其論鋒[ろんぽう]時として皮肉に入ることあるも或は其人の反〓常[はん〓]なきを責[せ]め或は其説の前後撞着[どうちやく]を詰[なじ]るなど其趣意は政情上の徳義に外ならずして絶[た]えて一身の私に觸[ふ]れたれば之を聞て敢て醜[しう]を覺[おぼ]ゆることなしと云ふ然らば西洋諸國の人々は政治上の公徳のみを論じて一身の私〓[し]〓全く之を忘却[ばうきやく]したるやと云ふに又決して然らず其ことを論ぜざるは敢[あへ]て忘[わす]れたるが爲めにあらず啻[たゞ]に忘[わす]れざるのみならず之を配すること却て堅[かた]くして時に及んで情容赦[ようしや]なく其聲を大にし一身私徳の關係[くわんけい]より公事上に影響[えいきやう]を及ぼしたるの例[れい]は甚だ珍[めづ]らしからず曾て米國に於て故グランド將軍大統領在職の折、一夕宴會[えんくわい]を開き將軍及び夫人より華盛頓駐在の各國公使夫妻を招きたることあり然るに露國公使の夫人は其身分曖昧[あいまい]の女なればとて其招に預[あづか]らず中には頻しき[]りに此事を心配[しんぱい]して彼是いふものありたれどもグランド夫人は斷然[だんぜん]これを聽入[きゝい]れず之が爲め露國公使は米國に留[とゞ]まる能はずして歸任[きにん]するに至りたりと云ふ駐在公使の進退[しんたい]は兩國交際上の一大事件なるに纔[わづ]か一婦人の身分の故を以て之を左右するに至りたるを見れば彼國に於ては私徳と公徳と其關係の微妙[びめう]なる實に間、髮[はつ]を容れざるものなることを知る可し然るに我國の事情は之と異[こと]にして一身上の私行に立入り云ふ可らざることを容易に[ようい]喋々[てふてふ]して人の迷惑[めいわく]を顧[かへり]みざるが如きは平常の事として之を怪[あやし]しむことなし彼の新聞紙上に現[あら]はるゝ記事を見るに人の私行上に關し聞くに忍びざるの事實を公言して憚[はゞ]からざるもの少なしとせず傍[かたはら]より見て其醜に堪[た]へざることなれども然れども此事に就[つい]ては獨[ひと]り今の新聞紙のみを咎[とが]む可きにあらず畢竟[ひつきよう]斯る事柄を記載[きさい]するは世上の人々が斯る記事を讀[よ]むことを好[この]むが爲めにして之を要[えう]するに日本人の私儀の事を談[だん]ずるは全く一身上に止まりて政治上に關係[くわんけい]するにあらず即ち一身上の徳義と政治上の權〓とは全く別物[べつもの]となし私の品行修[をさ]まらざるも公の徳義には毫[がう]も關係[くわんけい]する所なしと爲すものゝ如し古諺に大行は細謹[さいきん]を顧[かへり]みずと云へることあり公徳は私徳の如何に拘[かゝは]らずして其體を全うすべしの意味[いみ]にして蓋し我邦人の徳義の思想[しさう]は全く此邊に在ることならん左れば古來政治上に人物を評[ひやう]するに當り其人の私行に就て云々〓〓〓の議は甚だ稀[まれ]にして日本の政治家は其私行上に〓〓〓制裁[せいさい]を免れたる姿なれども今後社會の事情次第〓〓〓に赴[おもむ]き政治の論、人物の評、漸[やうや]く微妙[びめう]の境に入る〓〓は政治上に於ける公私徳義の關係[くわんけい]も從來の如く漠〓〓〓〓〓を得べからずして或は當局顕要[けんえう]の地位も一身の私徳の爲めに促[うなか]かさるゝにも至ることならんなれば苟も政治社會に立て功名を全うせんとする者は其公徳を謹[つゝし]むと同時に私徳を忽[ゆるが]せにす可らざること勿論[もちろん]なる可しと雖も世上一般の人々も能[よ]く公私の兩徳を識別[しきべつ]し他の一身上に立入て云ふ可らざことを喋々[てふてふ]するを止め假令[たと]へ其行の咎[とが]む可きものあるも事の私に關[くわん]するものは容易に之を口外せず唯これを心に記[しる]して忘るゝことなく時に臨[のぞ]んでは大に論ずるの心掛肝要[かんえう]なる可し要するに今後局に當るものは公私兩徳の關係[くわんけい]甚だ微妙[びめう]にして苟も忽にす可らざることを覺悟[かくご]して自ら其行を謹み外より之を論[ろん]ずるものも亦よく此點を注意[ちゆうい]し妄[みだり]りに口を開て人を傷[きづゝ]くるなからんこと我輩の希望[きばう]する所なり