「日本新聞事業の發達」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「日本新聞事業の發達」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

日本新聞事業の發達

五月四日英國倫敦[ロンドン]フリーメイソン タベルンに於て倫敦新聞倶樂部の年會[ねんくわい]晩餐[ばんさん]あり逐客[ちくかく]ブーランゼー將軍も來臨[らいりん]の筈[はづ]なりしが其向きの助言[じよごん]に因り當分公會に臨席せざるの都合[つがふ]にて前一夕之を辭[じ]したれどもグレアム將軍國會議院委員長コルトチー氏ロックウード、ウエブスター等國會議員諸氏タイムス、スタンダード、テーリーニユウス等を始め英國有名の新聞記者を合せて來賓[らいひん]凡そ二百餘名、女皇並に皇族への祝杯[しゆくはい]に次ぎ陸海軍への祝杯にはグレアム將軍之れに答[こた]へ國會下議院への祝杯にはコルトチー氏之れに答[こた]へ外國新聞記者への祝杯には兼[か]ねて當倶樂部の名譽[めいよ]會員たる社友高橋義雄氏が一場の英語[えいご]演説[えんぜつ]を以て左の如く之れに答へたり

日本新聞事業の發達

會長並に紳士諸君余は曩[まさ]に當倶樂部名譽會員たるの榮[えい]を得たるのみならず今又この盛大なる宴席[えんせき]に陪[ばい]して敢て一言するの榮を得たり蓋し官大優禮[いうれい]を以て外國人を待[ま]つは英國人の美徳[びとく]にして諸君が前後余に對[たい]して此榮譽[えいよ]面目[めんもく]を與へたるは余が遼東大日本國の一新聞記者たるを以ての故なる可し且つ今夕宴會の主人は正[まさ]しく英國新聞記者諸君の組成[そせい]する新聞倶樂部なるが故に余が日本の新聞事業に就き一言英國紳士の清聽[せいてう]を煩[わづら]はすは蓋し今夕より便利にして且つ有効[いうこう]なる機會[きくわい]なかる可しと信ずるなり

抑も日本の新聞事業[じげふ]は開國外交の其後に歐洲新聞紙と同主義を以て發起[ほつき]したる者なれば其起原[きげん]の新しきは申すまでもなく所謂[いわゆる]新聞紙の名の漸く世上に知られたるは僅々[きんきん]廿年來の事なれども其發達[はつたつ]は異常にして前十年の其間に日本社會一般に對[たい]して實に一種有力なる機關[きくわん]とは爲[な]れり斯くて日本の新聞事業は成立[せいりつ]年[とし]新[あた]らしきが故に之れに從事する新聞記者も英國などに比[くら]べれば割合[わりあひ]に少壯[せうそう]なるものゝ如く事業人物共に新なりと申して可ならん昨年春の頃なりと覺[おぼ]ゆ余の米國よりリヴァプールに着するや一新聞記者來訪[らいはう]して談話[だんわ]の序に余に向ひ英國の新聞記者にて相應[そうおう]の位置に居るものは先つ以て斑白爺[はんぱくおう]ならざる可らざるに然るに日本の新聞記者は何を以て斯く少壯なりや云々と問ひたれば余は即ち之れに答へて左ればなり日本にては新聞事業が新規[しんき]なるが故に新聞記者も少壯なり少壯なるが故に其行爲[かうゐ]活溌[くわつぱつ]にして新規なるが故に其進歩迅速[じんそく]なることならん云々と述べたりしが血氣盛[さか]んに成長する我國の新聞事業は骨組[ほねぐ]みの既に定[さだ]まりたる英國の新聞事業などに比較[ひかく]して其趣の大に異なる所あるを見る可きなり即ち前十年間に我が新聞紙の増加したるは實に異常の數にして今茲に確實[かくじつ]なる統計表[とうけいへう]を得[え]ざれども余の推測[すゐそく]を以てすれば都鄙[とひ]大小毎日若くは毎週發兌[はつだ]の分を合せて殆[ほとん]ど五百紙にも上るなるべく此外横濱、東京、兵庫、長崎等にて發兌する英字新聞諸雜誌は大小合せて凡そ十種に下らざる可しと信ず此等の諸新聞諸雜誌は精確[せいかく]迅速[じんそく]に内國の事項を報道[ほうだう]することを勉[つと]むると同時に海外諸國重要の事件は外國新聞紙を參照[さんせう]して其事實要領[ようりやう]を失[うしな]はざることに勉[つと]むる其用意[ようい]の周密[しうみつ]なる日本の新聞記者中には英國社會の事情[じじやう]並びに其有名なる政事家の政略[せいりやく]言行[げんかう]等を記録[きろく]詳悉[しゃうしつ]すること或は英國の同業社に愧[は]ぢざる程の者なきに非ず唯我が日本は遼東に國して地理上歐洲に接近[せつきん]せざるが故に一語の電信料[でんしんれう]凡そ八九シルリング(日本の二圓六十錢乃至三圓に相當す)にして今日の勢新聞用として自在に之を利用[]するに由なく僅々一二の新聞社が簡單[かんたん]なるルイトル電信に接[せつ]するに過[す]ぎざるは我々の殊に遺憾[ゐかん]とする所なり

扨て又爰[ここ]に諸君の注意[ちうい]を乞[こ]はんとするは近年日本國にて英文讀者[どくしや]英語學者の増加したる事即ち是れなり蓋し日本の原文は甚だ不完全[ふくわんぜん]なるが故に追々之を改良[かいりやう]せざる可らざるは人の能く知る所にして其中或は改良など云はず寧[むし]ろ英語を其儘[そのまゝ]に移植[いしよく]するに若かず云々の説なきに非ざれども凡そ一國の言語[げんご]を變[へん]ずるの難[かた]きは今改めて申すに及ばず之を試[こころ]みて成功[せいこう]せざりし其實例遠[とほ]からず彼のウヰリヤム勝王に在り余は日本の獨立[どくりつ]する限り英語が日本語に代はる可しと信ずること能はず又斯く信ずることを好まざる者なれども日本中以上の人民が廣[ひろ]く英文を解[かい]すること年來我が教育ある部分にて彼の漢文を解したる程の度合に進まんことを望[のぞ]むものなり然るに我が政府にては近來英文教授の區域[くゐき]を廣[ひろ]めて漸く高等小學に及ぼさんとするの進路[しんろ]を取[と]るものゝ如くなれば追て英文讀者の數を増して英國其他の發兌に係[かゝ]る英字新聞紙購讀[こうどく]の區域を廣むるは勿論、日本人自身に英字新聞紙を發兌[はつだ]して之を他の英語國人に送[おく]るの數も大に増加することならん果して然らん其時には日英兩國の間に於て彼我新聞紙を交換[かうくわん]するの道を開き兩國新聞上の聯絡[れんらく]氣脈[きみやく]を(Journalistic[ジヨルナリスチツック] Connection[コンネクシヨン])貫通[かんつう]するに至ること固より疑[うたがひ]を容[い]れざるなり

諸君も既に知らるゝ如く我國にては來千八百九十年を以て帝國議會の第一會を開くの都合[つがふ]にしていよいよ議會開場の上は我が重[お]も立[だ]ちたる新聞各社所謂 Gallery[ギヤレリー] Reporter[レポルター](議院傍聽記者を云ふ)を議院[ぎゐん]に送りて手廻[てま]はりよく其筆記を紙上に掲載[けいさい]するの必要[ひつよう]を感[かん]ずるなるべく今日日本に通用する短記法[たんきはふ]の仕組の如きも亦大に改良を要するの事情に會するなるべく此等の先例便法に關しては諸君の既に實驗[じつけん]工風したる所に因りて大に利益[りえき]する所ある可しと思はるゝなり

然りと雖とも我々は他人の先例[せんれい]を借用し勞[らう]せずして自から利して自から得々[とくとく]たるものに非ず自から利せんとすると同時に人を利せんとするは實に我々の本懷[ほんくわい]にして我々の希望[きばう]は今後日英兩國の交際[かうさい]商賣[しやうばい]若くは學問等をして特に其相互利益[りえき]の關係[くわんけい]を發達せしめんとするに在るなり相互利益の關係なくして眞成[しんせい]の友誼[いうぎ]交情[かうじやう]を保續[はうぞく]す可しとは我々の信せざる所にして我々は諸君が今日日英の國交際上に於ても最も意を此に致されんことを希望[きぼう]するなり勿論今日の處にても日英兩國相互利益の關係を増し來りたるの兆[てう]ありと申すは我國にて多年政治に學問[がくもん]に近時文明的の發明工風に利益を英國に受[う]けたること多けれども英國にても近年日本美術の優美[いうび]高尚[こうしやう]なるを知りて陶器[とうき]絨毯[じうたん]綿毛布等に日本の意匠[いしやう]模樣[もやう]等を採用するもの頗る多きに至りたる事なり斯くて我が美術上の取る可き所は遠慮[えんりよ]なく之を英國に適用[てきよう]せよ又新聞事業等に就きて英國に所長美點[びてん]あらば我々は追て之を採用[さいよう]することを憚[はゞか]らず斯くの如くにして日英兩國がますます其相互利益の關係を増加するは我々日本人の大に滿足[まんぞく]する所なり