「僧侶の任務」
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時事新報に掲載された「僧侶の任務」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
僧侶の任務
近來僧侶が被選擧權を得んとして政府に要むる所あるの景色を示したるより世の論者は政教混同の不利を説き嘖々相傳へて今は一の問題となれるが如し我輩は多年僧侶の身の上に關心し時に宗教の本色を説て僧侶たる者は俗界の政治に奔々するよりも寧ろ別に經世の大切なる役目を負ふものなりとて或は其身の品格より或は教法の弘傳より屡々忠言を試みたりしが遂に其甲斐もなくして我輩の注文は殆んど一も行はれず今日に至りては所謂世外の清僧が時世に連れて被選擧權を云々するの頂上にまで達したるこそ淺ましき末世の有樣と云ふべし元來宗教家が人心を和らぐるの旨意に從ひ哲理的の進歩を計るに注目するときは此一事にても力猶ほ足らざるを覺ゆるは今の日本社會の實況に照して明白なる次第なれば我國に最も廣き佛教の僧侶こそ正に身を以て之に專任すべき所なれども本來の狹義を外にしても他者には自から天下の利益を爲す可き職務こそあれば今その次第を示して以て彼等の政熱の幾分を減却するの料に供せんとす佛教家にして若しも思當る所あらば幸甚のみ抑も宗教の性質たるや何宗を問はず守舊の傾きあるを免れざるものにして事々物々多く先例古格を重んじ靈妙深奧を貴ぶの常なれば成るべく新知識の入來を拒み安穩に信仰を繋がんと欲するものにして文明を以て誇稱する西洋の耶蘇教とても亦同一轍の外に出でず往昔理學者ガリレオ氏を殺したるが如き即ちその一例として見るべし其他何事に限らず自ら進んで文明の進歩を助翼したることなきは世人の皆ともに認むる所ならん既に其性質は右の如く守舊のものなるが故に之を開進するは頗ぶる難事にして例へば教育上に於ては數百年間我國人は漢學の薫陶を受け來りたりと雖も一朝泰西と交際を開きて其學問の遙かに漢學に優る所あるを認むれば四書五經は直ちに高閣に遠ざけられ蟹字の書これに代りて人の怪む者もなく又政治の事に就て見れば封建の政深く人心に浸染して臣民たる者は堅く服從の約束を守り上と下とを區別して君々たらざるも臣々たらざる可らずとなし大人英雄を崇拜して他念なかりしものが一たび大政統一の必要を悟り再たび立憲代議の美を窺ひしより舊慣を一掃して僅々數年の其間に振古未曾有の成文憲法を發布し續いて明年は國會を開かんとするにも其取運びは頗ぶる無造作なり又軍事上の變遷を見渡せば昔しは弓矢大刀鎗を以て無上の武具となせしが既にして銃砲の利、當る可らざるを見て忽ち之に變じ猶ほ日に月に此上の利器を工風して發明また發明隨て出づれば隨て移り、舊きを捨つると弊屐を脱するが如く世の進歩に伴ふて後るゝことなしと雖も獨り宗教に至ては決して然ることを得ず今より阿彌陀經を廢して西洋の道徳論を誦する譯にも參らず木魚を抛棄して風琴太鼓に換ることもあらば何を以て信心を繋ぐことを得んや然れども西洋の耶蘇教徒は流石に期便の資に富みて學問の趨勢駐む可らざるを察し常に之に隨伴するの工風に怠らずして例へば上帝は七日にして森羅萬象を創造したりと云ふを不都合なりと認むれば混沌の頃は七日も七日ならずして實は七世紀を意味するものなるべし抔種々に手を盡して辨護するが故に未だ甚だしく世運に背馳するに至らざれども日本の佛法は此の趣向に出づること能はざる間に開國以來別して人智の進歩著るしく學問技藝も醫大の發達をなせしかば佛教は之に伴ふを得ずして恰も置去りにせられたるの姿となり昔しは檀那寺の和尚ほど世に博識なる者はなかりしが今は迂遠疎闊の仲間に編入せられて人の之に待遇するや殆んど尋常普通の觀をも爲さゞるが如し今日の有樣を以て見れば僧侶の身に取り一條の血路は唯葬祭の儀式にありと云ふも不可なからん歟、佛者の天地狹しと云ふ可し抑も佛教の日本に入り爾來天下に弘傳して法雨の霑ほさゞる隈なきに至りたる其所以を尋ぬれば教道の眞理に適ふて無上圓滿なるが故のみにあらず唯その僧侶が常に社會の先達となり人事に適切なる指導をなして衆生現在の生活に便利を与えたる由ることとして前代の高僧傳を一讀したらば歴々とその實證を發見するに足る可し日本の事々物々過半僧侶の示教に出でざるはなし佛法の縁起此の如きにも拘はらず今や即ち之に反して世間に迂闊なるのみか偶々口を放てばその固有なる平事的の計畫を忘却して政治的の事項に向ひ世の風潮に震盪せられて被選擧權を云々するとは彼の高僧に對しても恥かしかるべき次第にして若しも今日の儘に悟る所なくんば益々天下に却けられて遂に佛教の滅亡を招くことあるべし僧侶諸子思ふて茲に至らざるか我輩の解せざる所なり(未完)
平事的 ルビ シビル
政治的 ルビ ポリチカル