「僧醫論重ねて大澤氏に答ふ」

last updated: 2019-09-29

このページについて

時事新報に掲載された「僧醫論重ねて大澤氏に答ふ」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

僧醫論重ねて大澤氏に答ふ

本月廿七日の時事新報に掲けたる僧醫論に付き大澤氏より重ねて左の書を寄せられたり

拜啓陳者貴社僧醫の御論に不服の旨申入候處早速御答辨に預り恭く奉存候扨御論の始に僧侶に醫業は叶はずとの理由は受取がたしとて現に西洋諸國の僧侶は宣教の傍に醫を兼る者多きにあらずやと申さるれ共是は吾邦等に渡來の宣教師が醫術を踏臺として其目的を貫かんと企し者にして其本國なる英獨佛等に於ては斯の如き事は無しと心得候次に小生が今日の民は昔日に同じからずと申候は富の度も幾分か加はり知惠も〓たりと申心組にて尚詳しく申さば總て動物は階級の進むに從つて外來の刺戟に對し大なる反動を起す者にして例之ば犬猫の外傷は嘗めて置けばよろしきも人間に於ては充分の手當を要するが如く藝術に限らず人智の進むに從て需要の種類も多く其程度も高くなり供給も之に伴隨すべしと申述る心組に有之候處勿卒に筆を下し爲めに意義明瞭ならず恐〓の至に候

記者は之に反し邦民の大數は無智なり貴窮なり賣藥に命を托して安心する者もあり甚しきに至りては藥餌を求むるの錢さへ無き者あるにあらずや假令明醫ありと藥巧手段を施すに由なし斯る状態に於ては醫〓の大趣意を心得たる者ありて直に治療を施すに非るも深切に忠告を與ふるが如き其功徳如何ばかりぞやと述られ一應御尤の次第にて醫者は食はずに高楊枝民は食はずに無費療治と申樣に相成りては由々しき事に候へ共小生迚も只學理の一方にのみ着眼して錢の事を問はざるにも無之候明治廿年に米の産出高は三千九千九百九十九萬九千百九十九名にして其價格の一石平均拾四圓七十一錢又麥は一千五百八十二萬三千百四十四石にして一石の値は三圓十二錢五厘なり之を人口三千九百萬に配當すれば一人一箇年の所得は殆んど七圓なり本邦の産物中最大の位置を占めたる米麥にして既に斯の如し其他の穀類野菜類製茶蠶絲水産林産鑛山及製造品を合算するも一箇年一人に付十八圓廿五錢即ち一日五錢の所得は覺束なし又全國の職工三十一種の平均一日の稼高は凡そ廿四錢なり對して邦人は戸主一人に付家族三、八五人を養へり家族は少しも稼かざる者として右の廿四錢を四、八五人に配當すれば一口の所得四錢九厘四毛となる多少技藝ある者にして斯の如し農家の生計推して知るべし又同年の租税(國税地方税區町村村費)は一人前二圓九十餘錢なり困窮の程も思ひやられて歎息の外無之候

因に記すエンゲル氏か伯林農會に於て演説せし所に依れば獨逸人か一日の活計に費す所は食料四六、四片衣服一二、五五片家賃七、三二片薪炭及點燈料五、六八衞生費二、六六雜費一一、三片合計七十六片なりと云ふ之を今日の邦貨に改算すれば凡そ廿四錢なり

前日も述たる如く病氣に罹る時は日常の〓即ち稼高〓失ふたる上に藥餌謝金等の費ある者なれば一日の〓〓は出入十錢乃至十二三錢の損毛なり勿論戸主の〓と家族とは自ら差異あるべきなれ其家内は病人あるときは他人迄も事業に阻むの患あり故に一日の病氣を減すれば少なくも十錢の益を得たる外に病苦を免かるゝの得あり是れ小生が上醫を撰ぶべしと申す理由に〓なり今更俄に外國の例に由り死者一人に付患者三十五人あり一患者の治療日數を二十日間なりとして自明治五年至同廿年十六年間の平均を取るに一箇年の患者數は實に二千三百八十餘萬人にして此治療日數は四億七千六百萬餘日此損毛一日十錢と積〓〓〓〓七百六十〓萬圓なり實に莫大の金額と云ふ〓〓〓〓より損害〓〓〓ときは要〓の訴をも起すべ〓〓〓〓の損毛は〓〓〓〓〓となし病〓とも名づけ〓〓〓〓む〓の〓〓〓〓〓〓〓人をあきらむるにも〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓て上記〓〓日〓の〓〓〓〓〓〓〓と〓〓〓〓〓〓百七十六萬餘錢〓利益〓〓〓〓分洪大の國利とも云ふべし小生が醫〓の粗數にして多數ならんよりは精巧にし少數ならん事を企望致すも此の故に候なり此少數と云へる事に就ては議論もあるべきなれども醫師の數過大なるときは其所得從て減少し術の精巧を欲するも能はざるべし

醫師は人口との比例は醫師一人に付人口六百なるを最大とし(米國)一ト七千五百(シュウェーデン國)なるを最小となすやに覺居候小生考ふるに其配布宜きを得るときは一ト千五百にて充分なるべし然るに昨年末には現在醫師の數四萬餘人にして一ト一千よりも大なる比例なり而して向後倍々醫師を増すべきの傾向あり故に目下の要務は醫師の濫製を防禦し其配布を平等にし其學術を精巧ならしむるにあり僧侶にして教師醫師を兼業とし其上にも本分たる宗教に從事することを得は生は僧醫の御説に感伏すべし況んや患者を毒殺して本分の所得を増す等の忠萬あらさるに於てをや乍去僧侶にして此三業を修め孰れも完全なるが如きは記者も固より期せざる所なるべし醫師濫製の害を了承あらば生が不伏を唱ふるの理由も自ら明ならん

尚醫師の教育に於ては不日國政醫學會に於て所考を述ふる心得に候へば雜誌發行の日御一覽可被下候御承知の通り生は專門の學に從事致居候へば世事に疎き所も可有之右所論の如きも尚未だ疊水練たるを免れざるべし記者幸に教を賜はゞ滿足の至に御座候匆々敬具

六月二十七日 大澤 讓二 拜

時事新報記者足下

我輩は唯簡單に寄書中の要領に對して一二の鄙言を呈するのみ英獨佛等の本國には僧醫兼帶の者なしとの來諭なれども彼の文明の大都會はイザ知らず交通不便なる田舍國の邊陬に至れば僧侶が醫を兼るのみか醫師にして呪を兼帶する者さへなきにあらず賣藥はまだしも結構なれども素人が何か草の根、木の皮等を干して紙の袋に貯置き病氣の時には此草根木皮を服して安心する者もあるよしなれば歐米の國々にても都會と田舍とは餘ほど事情の殊なることゝ察し知る可し

又日本に無智貧民の多きは氏に於ても異なきが如し唯氏の立論は斯く貧民多き其中に病氣をしては益々難澁なるが故に醫學を進歩せしめ其病を少なくして國の富源を深くせんとの趣旨なるが如くなれども我輩の所見を以てすれば何程醫學を勸めて其醫療に錢を費すこと多くしては貧國社會の爲めには名醫も其用を爲す可らず夫れよりも唯醫學の大義を大に誤らざる者をして俗に所謂やすあがりに治を施さしめんと欲するのみ即是れ氏の説と鄙見と相異なる所にして我輩は事の成否を人間今日の實際に訴るものなり近く其實例を示さんに東京は日本國中名醫の賽淵なれども貧困社會の患者を見るに曾て名醫の得澤を蒙らざる者多きは何ぞや名醫の難有きを知らざるに非ざれども錢なければ其診察を乞ふ譯けに參らず假令へ診察を受けても其差圖に從ふて藥餌を調ふるに道なし誠に殘念ながら病苦し病死し又は生涯不具と爲りて身を終る者此々皆是れなり醫學の罪に非ず貧乏の致す所なり此大都會に於ても斯の如し況んや片田舍に於てをや我輩は貧民相應にやすあがりの醫を求めざるを得ず唯その醫師が値の低にも拘らず醫學の大義をば誤らずして淺學ながらも眞理原則の方向に在らんことを要するのみ僧侶の爲めに謀りて左まで〓〓に非ずしてやすあがりの一點に於ては斷して疑いある可らざるなり