「養蠶家の注意」
このページについて
時事新報に掲載された「養蠶家の注意」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
我國養蠶の前途は前號に述ぶる通りの次第にして今後u々多望なること疑ふ可きにあらざ
れば我輩は口を放て其發達進歩を促すものなれども扨て顧みて養蠶地方の實際を見れば其
亂暴不始末の情態、人の懸念を惹くものなきにあらず今我國屈指の養蠶地方なるs医p下
の事實に就て之を云はんに抑も同地方にて年々の産出高は生絲を始として種紙、眞綿、屑
物等を合算して其金額凡そ四百萬圓に達す可しと云ふ今この四百萬圓と云へる巨額の金額
は取も直さず同縣下養蠶家の手に落ちて民間に散ずるものなれば同地方人民の富饒は他に
類なくして年々豐年の觀を呈す可き筈なれどもその地方に到りて實際の景况を尋れば敢て
然らざるのみならず事全く反對にして人をして其案外なるに喫驚せしむるものなきにあら
ず聞く所に據れば同地方養蠶家の収uは事實多からざるにあらずと雖も之に由て富を成し
たるの談は未だ嘗て聞かざる所にして殊に生絲賣買を業とするものゝ如きは年々の損失少
なからず其小なるものは破産したるも多く大なるものは僅かに今日の急塲を凌ぎて他日の
好機を待つの有樣なり生産家の情態かくの如くなるが故に一方に於ては資本家の之が爲め
に影響を蒙ること亦甚だしく近年來同地方に金貸を業として貸金滯りの爲めに倒れたるも
の甚だ多く特に二三の銀行の如きは閉店に至りたるものある由なるが其實何れも養蠶製絲
の實業家に金を貸し其返金の延滯したるに原因するものなりと云ふ蓋し其然る所以を尋ぬ
るに今の世間に於て養蠶製絲の業は一般に大利あるものと認められたる其上にs地方の
如きは同業に於ては殆んど專賣特許とも云ふべき塲所なるが故に人々この地に向て金を注
入することを吝まず前者倒れば後者これに嗣ぐの有樣にして信用の貸借亂行の姿と爲り其
金は結局養蠶の農家に落ることなれども古來其地方の弊習として人民に勤儉の念甚だ薄く
隨て得れば隨て散ずるの風ありし處に近年西洋舶來品の流行は次第に民間の奢侈を導き衣
服飮食等大に其の趣を改め殊に東北鐵道の開通後は東京との往復一層便利を揩オて其風ま
すます甚しきを加へ一方に於ては非常の収uある其一方には奢侈の風に進み其有樣は恰も
海濱の人民が漁業の爲めに一時に金を得て一時に之を散ずると一般、前後の勘辨なき其處
に今日の流行として世間にては養蠶地方に金を投ずることを憚らざるが故に人民は知らず
識らずの間に身分不相應の借財を負ふて返濟を怠るの塲合に至り又資本家も中途にして其
貸出の不策なるを悟るものあれども之を中止するときは全損に歸せんことを恐れて彼是躊
躇する其中に逐に破産の災に罹るものなど少なからず即ち是れ現今養蠶地方の實情なりと
云ふ
右はs地方に就ての所聞にして或は多少相塲の廉なきにあらざる可しと雖も事の大體に
至ては實地に徴して疑ある可らず而して此有樣は獨りs地方のみ然るにあらず其他謂ゆ
る養蠶地方と稱する土地に於ては必ず此現象を見ざることなしと云ふ抑も養蠶事業は前に
も述ぶる如く實に我國の富源にして日本の外國貿易も專ら生絲に在りと云ふ程の塲合なる
に其生産地の情態を見れば右の通りの次第にして其業に從事するものゝ不始末と云ひ又資
本の濫用と云ひ言語道斷の限りと云ふ可し凡そ人の富を成すには種々樣々の手段あること
ならんと雖も詰る所は勤儉の二字に外ならず人にして既に然らば國も亦然らざるを得ず養
蠶の利uは甚だ多くして前途の望ますます大なりと雖も人民に勤儉の念乏しく隨て得て隨
て散ずるときは如何に莫大の利uありと雖も國の富を成すの期はある可らず此一點は我輩
が天下の識者と共に憂を同うし口を放て養蠶事業の發達進歩を促すと同時に其業に從事す
る者に向て切に其注意を望む所なり (畢)